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Channel: 資本主義の腐海のたび日記:シンガポールのとある日本人ヘッジファンド運用者のつぶやき
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アナリストJobの変遷その4:バリュエーション至上主義から中小型株ブーム、アクティビストブーム等によるヘッジファンドの台頭へ。

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さて、今までの所で、DCFによる企業価値評価の問題点を肴にしながら、大量にバイサイドアナリストを抱えた大手ロングオンリーがどのようにして退潮して行き得るのかについて雑多に書いていったように思う。

これで次の議論を進める準備が整ったので、次は題名の通り。バリュエーション至上主義から、中小型株ブーム、アクティビストブーム、またこれらの運用戦略を行う器となったヘッジファンドの台頭と言ったトピックである。

90年代の終盤に黎明期を迎え、2000年代の前半〜中頃までにかけて大手機関投資家が煮詰まり感を見せる中で台頭し、アナリスト人材の受け皿にもなったのが、中小型株ブーム、アクティビストブーム(後述するがこれも広義では中小型株ブームの一つと見なせる)であり、これらの運用スタイルを機動的に行う事が出来たヘッジファンドである(アクティビストファンドも成功報酬等のフィー体系等考えるとヘッジファンドの一つと考えて良いと思う)。今回からはこれらのトピックについて徒然に書いて行こうと思う。

さて、元々は中小型株と言うのは、位置づけとしてマイナーな立場にあった。
理由としては、兆円単位の資金を運用する大手の機関投資家では、時価総額が数百億円あるいはそれ以下しかないような銘柄を買う事は出来なかったからである。このため、アナリストが中小型株まで調べるニーズと言うのは、年金基金からの受託を中心としたロングオンリーの運用では余り無かったのである。

この点について理解するために、簡単な例を挙げて説明する。
例として、主に年金基金等から受託した1兆円の日本株ファンドを運用する事を考えてみる。
実際には等金額でポートフォリオを組むと言う事はないのだが、ここでは話の単純化のために、1兆円を等金額で200銘柄に分散したポートフォリオを組むとする。この場合、1銘柄につき50億円の株式を買い付けないといけない事が分かる。

ここで投資先である上場企業側からこの事について考えてみる。時価総額が100億円の会社を50億円買ったら、過半保有する事になってしまう。議決権の過半を持ったらそれは会社を経営すると言う事になるし、売却しようと思ってもマーケットインパクトをかけずに短期間で売却するのは先ず無理になる。純粋なポートフォリオ運用でこれは非現実的である。半年とか1年とかの単位で売買出来ないと困る訳であるし、そう言う意味で経営にまでコミットしなければならない状況と言うのも困る訳である。

時価総額が1000億円の会社でも50億円買えば発行済み株式数の5%を保有する事になり、大量保有報告の義務が発生する。世間に自らのカードの手の内を晒す事になってしまうので、相当自信がある時で無い限りはこれは避けたい。

そんなこんなの事情を考えると、いわゆる大手のロングオンリーの機関投資家の最低投資金額の目安は(運用資産額や運用スタイル、運用会社によって多少の違いはあっただろうが)概ね1000億円以上、と言った所が標準だったのである。つまりバイサイドアナリストの調査ユニバースも時価総額1000億円以上と言うのが普通であった。実際には時価総額2000-3000億円程度でも「サイズとしては小さい」「若手に調べさせておこうか」と言う扱いだったように思う。

また、ベンチマークをTopixとして、これにアウトパフォームすると言ったゴール設定のファンドがロングオンリーでは過半であると言う事情もある。つまり、Topixで上位の比率を占めている、銀行、自動車、電機等のセクターで主要な部分を占める銘柄においていかに上手くやるかと言うのが、対Topixでの敗者のゲームをやらないといけない大手ロングオンリーの宿命でもある。

そう言う事もあるので、主にはトヨタにキャノンにソニーに新日鉄に花王にファナックに、と言った顔ぶれを調べるのが大手ロングオンリーの仕事であり、大手バイサイドのアナリストの仕事であり、そう言ったバイサイドにレポートを書いたり売買手数料を貰ったりする証券会社の仕事でもあった、と言って良いであろう。

そんな訳で、元々は中小型株の調査についてはマイナーな位置づけであり、せいぜい株式分析を学ぶための題材として手頃なサイズの中小型株を新卒の若手に調べさせて、OJTの研修代わりにする、と言った位置づけだったのである。

これは運用会社だけでなくセルサイドでも同様であった。ロングオンリーの運用会社側で中小型株調査のニーズが無かったと言う事は、運用会社にサービスを提供して手数料を稼ぐ側であるセルサイドの証券会社側でもニーズは余り無かったと言う事である。セルサイドアナリストにおいても中小型株と言うのはマイナーな位置づけで、地位の高いものでは無かったのである(ちなみに、中小型株ブームの中で一時期中小型株アナリストの地位は高まったが、今は再度地位が下がって元に戻ったように思う。あるいは売買手数料等の低下に伴い、証券会社側で中小型株のアナリストにリソースを割ける余裕が無くなっているとも言える)。



しかし、上記のような状況「だからこそ」、中小型株に注目する人々が出て来た。

証券会社も大手機関投資家も調べていないと言う事は、そこを調べればアルファが取れるのではなかろうか。市場に織り込まれていない情報があるのではなかろうか。割安に放置されたままの優良企業が沢山あるのではなかろうか。また、中小型株アノマリー(長期で見れば大型株より中小型株の方がリスク調整後でもリターンが良いと言うファイナンスの研究)も狙えるのではないか。ここで稼ぐ事が出来るのではないか。ヘッジファンドとして小さめの資金で機動的に動けば、上述の大手機関投資家のような問題も少なくて済むだろう。

こう言った発想で中小型株に取り組むヘッジファンドが出て来たのである。狭い世間過ぎるので実名は余り挙げないでおくが、ニュース等でも紹介された一般的な情報から有名な所では、100億円部長を輩出したT投資顧問等は、一般のかたでも聞いた事のある所と思う。

また、当時アクティビストファンドをやりたかった人間、例えば村上ファンドの村上氏等にとっては、中小型株の方が好都合であった。

つまりトヨタだのNTTだのに経営改善を促せる程の株を持とうと思ったら、単位が1銘柄で数千億円とか1兆円のオーダーになってしまう。独立して最初にファンドを始める時のサイズは、数十億円〜良くても数百億円位のサイズである。

そう言った限られた資金で、分散効果がある程度効いて来る最低でも10銘柄位には分散投資して(ものの研究では、確か15-20銘柄程度でポートフォリオ分散効果の8割がたは実現出来、余り銘柄を分散し過ぎるとメンテの手間等ばかりかかるので良くない、と言った調査がある)、かつ経営陣に経営改善を促せる程度の発行済株式総数に対する比率を保有しようとなると、中小型株がターゲットになるのである。時価総額で例えば300億円〜大きくて500億円以下位の銘柄で、1銘柄辺り発行済の5-20%の間位で10-30億円位の保有で、10銘柄保有して200-300億円程度のAUM(受託資産)を運用する、この位のイメージ感である。

更には、上記の通り証券会社のリサーチも入っておらず、IRや株主対応、財務政策等も上場企業としてはだいぶ素朴過ぎるような会社、改善余地のある会社が中小型株の分野には多数あった点も好都合であった。村上ファンドが当初昭栄等の銘柄でアクティビスト活動を行って居たのにはこう言った背景がある訳である。

時期的には、1990年代の後半位が、上記のような流れが起きる「黎明期」であった。実際には運用金額も小さく、知名度もなく、「こう言う分野をやればリターンが取れるんじゃないかな」と言った思いつき〜少額で始めてみた、と言う段階である。

そして2000年代に入り、大手ロングオンリー等がITバブルの崩壊、年金基金の代行返上に伴う大型株の集中売りや委託運用解約等に苦しむ一方で、日銀は大規模な金融緩和を継続し、世間にマネーが大量に供給される中で、上述したヘッジファンドやアクティビストファンドが台頭する舞台が整えられたのである。

どう言う事かと言えば、大手ロングオンリーが没落していく中で機動的に動けるヘッジファンドや、日本の株式持ち合い構造等で立ち後れたコーポレートガバナンスを改善する事でロングオンリーでは取れないリターンを取ってみせる!等と言うマーケティングをするアクティビストファンドに投資しようと言う人間が出て来る状況が整って行ったと言う事である。また日銀のゼロ金利政策に代表される強烈な金融緩和の継続が、後に中小型株と言ったマネー資本主義の「末しょう神経」「毛細血管」にまでマネーが大量に行き届く下地を作ったと言う事である。

村上ファンドも、ホリエモンも、100億円部長も、マクロ的な視点で見ればこう言った背景の中で出て来る事になったと言う訳である。

そして上記のような状況変化は、筆者のような無名の末席アナリストの雇用環境にも確実に影響して、変化をもたらした。

筆者の体験談等も含めた詳細の話は、またの機会にでも。

シンガポール体験メモ:昭南神社の70年前と今。

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(1942年の昭南神社の鳥居。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)
(1943年の昭南神社の建物。出所:シンガポール都市論 勉誠出版)

さて、今日は上記の昭南神社に探検して、お祈りをする事にしていた日であった。

(注:筆者は無宗教であり、かつ思想的に左右どちらでも無く、この辺りの点については完全に中立である事は付記しておく。過去の歴史と言うものがあり、70年前にシンガポールで戦争捕虜等を動員して神社を作ったと言う事実があり、そう言った時代の大きな渦の中で日本人もマレー人やシンガポール人もこの地で多数命を落としたと言う事実がある。そう言った事に対して只安らかに、と祈るのである。この点確認しておきたい。)

昭南神社とは、1942年、太平洋戦争において日本軍がシンガポールを陥落させた後に建設された、天照大神を祭神とされていた神社である。場所は、マクリッチ貯水池の西端の北側の小高い所に建設された。伊勢神宮の内宮を流れる五十鈴川を想起させる景観であった事からこの地が選ばれた、と参考書籍にはある(注1)。筆者の推理では、この場所の北に小高い山のような場所(現在はHSBCのスポンサーで景観の良い橋がかかっている)があり、南側に水場があり、池の水に抱かれるような地形で北山南水の風水的にも良い場所と判断された面もあるのではなかろうかと思う。

さて、先ずはMacRitchie Reservoirの普通の散歩コースをゆく。雨上がりで多少ぬかるんだが、気持ちよかった。


さて、これが昭南神社に向かう道の入口の目印となる、「二つの大きな置き石」である。場所の詳細を書こうと思ったのだが、止めておこうと思う。「MacRitchie Reservoirの散歩道のどこか」とだけ書いておこうと思う。

伏せておく理由は、一つには思ったよりも道がちゃんと無く、ヘタをしたら本当に迷って出られなくなったり変な植物や生物でケガしたりしてもおかしくない感じがしたので一般には薦められないからと言う点。もう一点は、やはり経緯が経緯と言うか、余り観光客が大挙して気軽に来るような場所ではないと感じたからである。

最初のうちは、他のウェブサイトにあるように、「道無き道」を進む事になる。比較的容易に進める。
段々こんな感じで倒木等増えて来て、行きづらくなる。
最初のうちは、こう言った目印があるのでこれに沿って進めば良い。
しかし、他のWebサイトに書いてあったよりずっと進みづらかった。
倒木等で完全に道が遮断されてしまっている場所があり、迂回して遠回りしているうちにどこが道なのか分からなくなってしまい、「道なき道」どころか、「本当にただのジャングル」の中を、iPhoneの地図を頼りに、推定される神社があった場所をチェックしながら進む事になる。30−40分位歩いていて、完全に迷ってしまい、道なぞ何もない中を分け入って進む感じになってしまった。ジーンズに長袖、動き易い靴で水位は持って来ていたが、万能ナイフ等サバイバルグッズは何も持って来ていなかった。うわー困った。なんてこった。

しかし幸運が。遠くから声が聞こえる。うおーついに筆者も日本軍兵士の亡霊の方々の声とか聞こえるようになったか(冷汗)等と思ったら、数人で探検に来て居たシンガポール人であった。

彼らはジャックナイフ等持って来ていたが、昭南神社の詳細の場所を知らなかったようである。なので昭南神社がマクリッチ貯水池の西端の北側の小高い丘にあると言う事を知らなかったのでその旨彼らに教えて、iPhoneで地図を見せてこちらに向かえば良いと思う、と伝えたら、彼らにも喜んで貰えた。場所は知っていたが装備が無かった筆者と、装備があったが場所を知らないシンガポール人が出会うとは何と言う幸運。神聖な場所ではこう言う幸運がふわっと起きたりするのが不思議である。宇宙と、もしかしたら居たかも知れない日本人の霊魂にも感謝である。

マジこう言う場所を進んで行く事になってしまった。他のWebサイトだと、「何か道がないなりに踏み固められた道みたいなのがあって、時折見える目印に沿って40−50分歩けばサクッと到着する」みたいなニュアンスで書いてあったような氣もするのだが、実際にはそうは行かなかった。恐らくこの何年かの間で更に倒木等の増加で道が塞がれてしまったのだろうと思う。
そして最初の写真で紹介した、神社の鳥居があったと思われる近所の湖のほとりに到着。今やうっそうとした密林である。これが70年の年月の経過と言うものなのだろう。当時の影も形もない。
遂に最初の石段を発見。感慨深い。
これが70年後の昭南神社跡である。何と言うか、ラピュタの遺跡でも訪問しているような不思議な氣分になった。祇園精舎の鐘の声が聞こえて来る感じだ。諸行無常である。そう言えば、位置関係の確認も出来た。以前に「これは橋の跡か?」とTwitterで紹介した、湖の上のコンクリートの基礎のようなものは、やはり入口階段との位置関係等からして違うのではないかと思う。

これが手水舎の傍にあった、柱の基礎?か何かの跡。
これが手水舎の跡。70年前、ここで手を清めて参拝する日本人が居たのである。何と言うか、本当に不思議な氣持ちになった。
石垣である。正に諸行無常である。
石段は続く。
70年後の昭南神社跡は、蔦の生い茂る密林である。

この辺が、位置関係的に本殿等があったと思われる場所。建物は戦争終結時に日本軍の手により爆破され、現在残っているのは石段や手水舎の跡等だけである。時代の大きな渦の中で命を落とした多くの人々の事等想いながら、小さく手を合わせて祈りを捧げた。只安らかに。

帰り道は行きよりは楽であったが、ぬかるみで靴が泥だらけになるわで、中々大変であった。元の二つ置き石があるポイントまで戻れた際に、出会ったシンガポール人達と握手をして帰宅の途についた。歴史を実地体験したひと時であった。

最後に、今日のマイベストフォト。この光の具合など、勿論一切照明など使っていない。光に照らされる四葉のクローバーのような形の葉が、一隅を照らすように、ささやかな幸運を祝福するようにそこにあったのが美しかった。何度来てもこう言った違う表情を見せるのが、自然の素晴らしい所である。

今はシンガポール人と日本人が昭南神社跡を一緒に探検して握手出来る時代になった。この平和を大切にしたいものである。多民族が平和に住める環境があってこそ、筆者のようなガイジンが、シンガポールで相場の仕事が出来るのである。色々な人や事のお陰様でもって、相場の仕事をしているのだと言う事を再確認したい。


(注1)出所は以下。シンガポールに住んでいる等でないと中々興味を持って読めないかも知れないが、歴史、経済、教育制度など色々なトピックから学者の趣味的な分析や解説が為されており、シンガポールに興味があるかたにとっては中々楽しめるので紹介しておく。

アナリストJobの変遷その5:アクティビストファンド台頭時の末端アナリストの思い出など徒然に。

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さて、前回で、中小型株ブーム、アクティビストブームの到来についての時代背景や一般的情報を幾らか書いたように思う。今回は、そう言った状況下でのアナリストJobがどう言ったものだったのか、筆者の経験等も交えながら、差し支えない範囲でぼちぼち呟いてみたいと思う。


○アクティビストファンドの下っ端の仕事内容など。

筆者は短期間であるが、いわゆるアクティビスト的な投資戦略のもとでリサーチの仕事をしていた事がある。まずはこの頃の思い出を幾らか書こうと思う。

さて、実際の所は「アクティビスト」だとイメージが悪いし事業会社が驚いてしまう。このため「リレーショナルインヴェスティング」等とちょっとインテリな響きで柔らかめな印象を受ける呼称を実際には使っていた。この手の戦略は、詰まる所は事業会社の経営陣に「こうしたら良いんじゃないですか」的な提案を行う投資戦略で、比較的少数の銘柄に、大量保有報告に出る位の集中投資を行い、事業会社側に提案を行い企業価値を上げる事で超過リターンを得ましょうと、まあそう言ったコンセプトのファンドである。

筆者がこの手の戦略に関わっていたのはアクティビストファンド初期〜序盤戦だった上、会社の方針として敵対的に過ぎるのは日本の風土に合わないからよそうと言った面もあった(現在も日本で生き残っている数少ないアクティビストファンドは皆この点踏まえたものになっているので、当時やや迫力には欠ける面もあったのだが、結果としては正しかったと思う)。

このため、筆者が関わっていたのは込み入ったプロキシファイトだの大規模な業界再編だのではなく、活動内容は比較的プリミティブなものであった。その点踏まえて以下の文章は読んで頂ければ幸いである。


当時下っ端アクティビストファンドアナリストの筆者がやっていた事はこんな感じ・・・。

当時下っ端アナリストの筆者のやっていた事はこんな感じだ。

まずは時価総額でスクリーニング。以前書いた通り、ファンドの運用額や経営改善の提案が出来得る規模感等から適切なサイズの会社を投資ユニバースとして列挙する。

その中から、当時お決まりだった「キャッシュリッチ」銘柄を抽出する。理想としては、本業では比較的強いブランドなりビジネスフランチャイズなりを持っていて損益計算書側ではそんなに問題がないのに、バランスシートにキャッシュが溜まっているとか、無駄に投資有価証券ばっかり保有しているとか、財テクやって失敗したとかでキャッシュの使い道に問題があるから株価が低迷しているとか、そう言った会社を探す事である。

あるいは、キャッシュリッチの逆で、負債が多すぎて倒産リスクが高いせいでエクイティリスクプレミアムが高すぎる会社にEquityを注入すれば倒産リスク後退で株主価値が上がるかどうかとか言う視点もあったように思う。その他、過去のビジネスの失敗で繰越損失があってしばらく税金払わなくて良い会社とか、利益剰余金がマイナスで配当払えないけど今後払えるようになるんじゃないかとかそう言った会社に注目する視点、言ってみればややディストレスト投資的なアプローチもあったように思う。

言ってみればまあ、一般のセルサイド・バイサイドがPLの業績予想による株価変動を中心に手掛けるのに対して、アクティビストの場合主にバランスシートの観点から会社を見て、付属的にPLを見て行く訳である。


○なぜアクティビストはバランスシートに注目していたのか。

なぜアクティビストはバランスシートに注目していたのかと言うと、理由は簡単で、バランスシートの改善を促す方が、PL改善を促すよりも金融屋にとっては簡単だからである。

金融屋が高々発行済株式総数の5%だの10%だの保有した程度で、パブリックな情報からの分析で、事業会社のPLを我々の卓越した能力だかMECEな提案だかで改善してやる等と言うのは金融マン(あるいはコンサル等)の傲慢である。実際にはこれを外部者が、眼に見えて株価に効く形でやるのは中々難しい。時間もかかる。事業は事業会社の内部の人間の方が当たり前だが良く分かっている。金融屋がやれるPL改善提案など、せいぜい余剰人員のリストラだの言った話がせいぜいである。

一方で財務面・バランスシートについては、当時の(あるいは今も一部の会社はそうかも知れないが)日本企業はまだ資本効率だとか、資本コストだとか、株主資本コストを上回るROEを出す事の重要性とか、そういう概念に基づいた効率的な運営を行っていない面も強かった。コーポレートファイナンスの話は一応金融マンの登場する余地の充分ある分野でもある。なので、主に金融屋の活躍の場である財務面・バランスシートの調達運用の観点から何か提案が出来ないかと言った発想がなされていたのである。

また、過小資本気味の会社(負債過剰、利益剰余金のマイナス、繰越損失)等の改善局面にBetするのは、株式をオプションと考えた時、ストライクプライス近辺(ストライクプライス=実質純資産0の時、実質債務超過するかしないかの境目と考えると分かり易い)のコールオプションをロングしてポジティブガンマベットするのに似ていたかも知れない。損失は最大で株券が紙くずになるまでであり投資額に限定される。一方で会社の復活/回復局面では(繰越損失がある場合)税金も払わなくて良いので株主の貰いが急速に改善する。また(過剰負債/過少資本等の場合)例えば第三者割り当てでエクイティ注入をすれば、希薄化のマイナス効果よりも倒産リスク後退によるエクイティリスクプレミアム急低下のプラス効果の方が大きくなる場合が時と状況によりあり、この場合もりもりと株主価値が改善する訳である。言ってみればモジリアーニミラーの定理の実務応用編である。つまりこう言ったディストレスト的投資アイデアにせよ、金融屋的な発想で取り組めるものだったのである。

まあこう言った所が、単純に要約すると当時のアクティビストの視点であった。


○話を当時の筆者のアナリストJobに戻すと・・・。

話を当時の筆者のアナリストJobに戻すと、ヤングな下っ端であった筆者はこう言った会社(主に小型~中型株位まで)をスクリーニングして、先ずは普通の取材の形でIRや財務担当役員位までにヒアリングして、DCF等のValuationを作り、上にパスするまでが仕事であった。イキナリ偉い人間が物々しく出向くより、最初の所では若造が可愛らしく「教えてください♪」的に取材する方が、話も引き出し易いし色々な意味で都合が良かったのである。

でもって、取材先では茶でも頂きながら事業内容や業界環境、財務面の議論等の話をIRや財務担当役員と行う。株主資本はタダでなくて資本コストがあるという事やROEの重要性についてどう思うか。不要なキャッシュは株主に返す事、休眠資産や不要な投資有価証券や不採算事業部門などの処分と言った考え方についてどう思うか。売上利益やその成長と言ったPLのマネジメントだけでなくバランスシートのマネジメントも株主価値を考える上で重要だと思うがどう考えるか、と言った事等を、MBAのファイナンス経典、お経さながらに説明しては反応を伺ってみる訳である。今考えると20代の若造にこんな事根掘り葉掘り聞かれる財務やIRは大変だなあと思うが、上場している限りこれはまあ仕方ない。

これで、IRや財務が「いや、うちはそういうのはお断りなんで」と言った様子であれば、他を当たる事になる。一方で、ちょうどIRや財務が興味を示していて、「いやーそろそろ株式市場の声をちゃんと聞くとか、株式市場にIRの声を適切に届けるとか、資産効率のマネジメントとか、大事だと思うんですよねえ。でも中々社内で聞いてくれる人がねえ・・・」と言った類いの対応であればチャンスである。言ってみればアクティビストファンドが財務・IRの声の代理になり、事業会社の財務IRのサポートを得ながら経営陣の説得を試みる事がし易いからである。こういう場合はある程度きちんとした産業分析や同業他社比較等普通のアナリスト的分析もして、一方でDCF等のValuationを、バランスシート改善せず、改善した場合などシナリオ別に作ってみて、割安感が見られればファンドの上司に回すのである。そしてマネジメントとの面談のセットアップやプレゼン資料の作成にかかる。

でもってトップ会談をやって、建設的な議論が出来れば投資を開始する(注)。現在残っているアクティビストファンドの投資プロセスがどうなっているかについては、筆者はその手の世界を離れて久しいので良く分からないが、当時に筆者が関わって居たファンドにおいては、こんな所が一般的な投資プロセスだったように思う。

(注:場合によっては多少株を保有してから議論のテーブルをセットする事もあったようにも思うが、事業会社側の心情も考えると議論してからが理想であった。プリンシパルの株主がエージェントの経営陣に意見するのは資本主義のルール上は勿論権利ではあるが、市場で株を買って突然「俺様株持ってんだ、話訊けよ」と言うのは、日本の社会においては特に「慇懃無礼」と取られがちであったし今もそうだと思う。)

但し経営陣との議論と言っても、増配しますとか自己株買いやりますとか余剰キャッシュ何とかしたいとかの言質を取る訳ではない。これをやったらインサイダー取引になってしまい、投資が出来なくなるので逆に困ってしまう。あくまで取材として、その延長で経営についての考え方や、財務についての考え方を聞く必要があった。この点は注意の必要な点であった(注)。

(注:ただ、どう言った情報をもってインサイダー取引に該当するかと言うのはとても曖昧で、慎重さが求められる所であった。日本の証取法では、インサイダー情報とはこれとあれを指します、それ以外は聞いてOKですときれいに明示されているのではない。「その他条項」と言って、有体に言えば「何か株価にとって大事そうだったらインサイダー適用され得る」的な面がある。この「その他」が、政治状況等によって、例えば小泉政権下のような緩く解釈されていた時期もあったり、村上ファンドの村上氏逮捕に代表されるように厳格に適用されたりといった具合なのである。そういう意味では、六本木ヒルズのオフィス棟・住居等を舞台に村上氏が新興経営者等…”六本人会”等と当時呼ばれた…と頻繁に会合して”各種活動”を展開していた事については、それが品が宜しかったかと言えばグレーゾーンだろうと言う評判は逮捕前の当時から同業者内ではあったにせよ、村上ファンドの村上代表には、同業者としては同情する面もある。)


○投資後のフォローアップはこんな感じだったかな・・・。

でもって、投資した後は、ニュースフローや決算や株価のフォローをしたり、足もとフォローアップ的な普通のアナリストの取材をしたりと言った一般的なアナリストの仕事に加えて、IRのやり方の改善提案であるとか、財務関係の勉強会や交流の場を作ったりであるとか、まあそういう活動を若手としてサポートする事になった。

筆者のような下っ端は、提案のためのプレゼン資料作り下データ作りの手伝いであるとか、パワーポイントの体裁整えだとか、更には印刷屋にセミナー用のパワポのハンドアウトを発注するだとか、この手の勉強会の当日の裏方や受付などやったりもした。これはバイサイドのアナリストのやる仕事としては多分珍しい類いの事で、当時は面食らった面もあった。

しかし若いうちにこう言う下仕事をきちんとやっておいて良かったように今考えると思う。セルサイドのぴしっと整ったパワポのプレゼンだとか、きちんと段取りの出来たセミナー等に対してちゃんと尊敬・感謝出来る程度には社会人としての常識が身に付いたように思う(一方でプレゼン資料のフォントの揺れとかレイアウトのちょっとしたずれ等にも敏感になり、ああこの作業者ルーラー使ってないなとかフォントをArialで統一してないなとかにも目が行くようになる訳だが)。また、調査やエクセルいじり以外の例えば”ハンドアウトの手配”、”印刷屋の手配”、”会の段取り”等の「いわゆる社会人的な普通の下仕事」も苦手なりに一応やっておいたのは、きちんと機能する社会人になると言う観点では結構良かったと思っている。

その他後日に例えばある程度ファンド側の意向に添うような事、例えば自己株買いや増配等発表してくれた際には御礼の手紙を書いたりもした。当たり前だがアウトサイダーとしてコンプラ遵守のもとで投資をしており、提案と言ってもあくまで取材の延長で議論の題材としてプレゼン等も搭載すると言う話である。このため別に事業会社側はファンド側の提案を守る必要等もなかった。結果として、実際ちゃんとこう言う事をやってくれるのかどうかは、アクティビストと言ってもまともな運営がなされているファンドであれば開示が出てからでないと分からなかったのである。株主還元改善の類いのプレスリリースが出ると嬉しかった事を記憶している。

株主総会についても普通の運用であれば殆ど参加しないが、この手の戦略の際は特段株主提案等行っていなくても筆者もお使いで総会に行って、投資先の財務に挨拶をして、総会の状況を上司に報告したりした。後はファンドの顧客への説明資料の作成等等細かい仕事が幾らかあった。

投資後の運用プロセスについては、投資先の株価が十分上がったり、逆にファンド側の改善提案をいつまで経ってもちゃんと聞いてくれないとかPL側・ビジネスモデルや事業環境そのものが全く想定外に悪化してしまう等あればExit。強制ロスカットポイント等はポジションサイズも非常に大きい事から設けない。筆者のような若手は上記のような下作業やお使いJobが中心で、売買判断にはノータッチであった。まあこんな感じであった。


○これらは、アクティビストファンドの「牧歌的」時代・・・。

さて、徒然にオチもなく当時の事を呟いてみたが、筆者がこの手の運用戦略に関わって居た頃は、上記の通りまだ比較的牧歌的な段階であったし、上記を満たすような投資対象も比較的豊富にあり、パフォーマンスも付いて来ていた頃であった。

またアクティビストのファンドの上層部には、経営陣にプレゼンしたり議論したりしてもサマになる感じの投資銀行部門やコンサル経験者等が概ね控えており、何とはなしに見栄えがしたものである。勉強会やセミナーを催しても、一般バイサイドとは異なりと言うかバイサイドにしては珍しくと言うか、何となしに当時華があったように思う。

更にはこう言ったファンドはその性質から、3年間等の解約ロックアップが付いた資金を主に受託していた。このため運用会社でしばしば散見される、中長期投資を謡って居ながら設定解約は3ヶ月毎なので結局近視眼的対応をせざるを得ないと言ったALM上の問題も生じて居なかった。

新聞・メディアでも日本のコーポレートガバナンスの改善と言った切り口でこの手のファンドが紹介されてもいた。事業会社と議論をしながら株主価値について考え、向上を目指すという面で資本主義・株式投資のダイナミズムを体感出来る投資戦略でもあった。

物事は全て上手く行くかに見えた。


○しかし・・・。

しかし祇園精舎のカネの声、諸行無常のこの業界、一時は多数のファンドや証券会社のプロップが試みていたこの手の投資戦略も、ほんの数年後には厳しい時を迎える事になる。だいぶ長くなってしまったので、この辺はまた次回にでも。

○2ch世代の葛藤と、Twitter・FB世代における所得格差ならぬ『思考・想念格差』について

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本日は、普段の無名アナリストの中年の新橋ガード下語りからは離れて、題名のお話について。(でも基本的に新橋ガード下うだうだ飲みレベルの雑談である事は添えておく。)

筆者も、ブログを使い始めて1年以上が経ち、TwitterやFBも活用して試行錯誤して何ヶ月かが経過した。今日はその中で氣付いた事について書こうと思う。断っておくと筆者はWebやITの専門家でも何でもない。そのため、素人1ユーザとしての雑感・ヨタ話程度のものである面は最初に添えておきたいし、この点ご容赦頂けると幸いである。


○2ch世代の葛藤。

題名の意図するところは、ブログ・Twitter、FB等を中心に現在ネットの起きている事は、以下に述べるような感じなのではなかろうか、と言うことである。

数年前の2ch世代に代表される雰囲気は、”匿名で言いたい放題だぜヒャッハー!”、”ネットじゃやりたい放題だぜヒャッハー!”(北斗の拳の悪役を想起してヒャッハーの辺りをイメージ頂きたい)と言ったものであったように思う。

つまり2ch等流行って居た頃は、削除されない限り匿名で言いたい放題であったし、有無を言わさず会話・スレッドに介入して、ゲリラ的に匿名で自説を述べたり、極論で煽ったりも出来、鬱憤晴らしの罵倒の類も含めて匿名でやりたい放題出来て居たのである。そして攻撃されたら、『言論の自由』辺りが防衛手段である。言論の自由があるんだから、何を発言しようが自由なんだよ、お前ら俺の話聞けよ、と言う理屈であろうか。ちなみに蛇足になるが、資本市場においては、フジテレビ・ニッポン放送案件周辺の村上ファンドやライブドアの手法等も匿名ではないが手法が2chの煽り的な感じだったように個人的には思う(「株主様の権利なんだよ、お前ら俺の話聞けよ」)。

ところが、TwitterやFBではそれが通用しなくなっている(資本市場においてもこの手の敵対的アクティビズムが通じなかった旨は前のエントリで多少触れたし、今後のエントリでも多少触れるかもしれないがそれはまたの機会に)。

Twitterは匿名でも発信可能ではあるものの、筆者の尊敬している春山昇華氏による所の”Personal Identity”が発生してきている。ブロック機能の存在により、品がない、不愉快だと判断した人間を排除する事が出来るようにもなっているし、ブロックまではしなくても、「余り失礼だと最終的にはブロックするから、紳士淑女に振舞いましょう、ほらRTで皆さんも見てますよ」と言った文脈に持って行くとこれに抗う事は中々難しいようになっているように思う。金融クラスタのTLなど眺めていても、下世話な話やシモネタで一杯ではありこれで無邪気にきゃっきゃやるのが楽しい面がある一方で、過半の人達が、匿名であっても「一線を弁えたTweet」「悪意のない冗談・娯楽の類で済む類のTweet」を自然と心がけているようにも見える。まあこれが一般的なネット上におけるマナーだろう。

FBにおいては、先ず本名が前提であり、友人にする際にフィルターがかかる。更には、友人に加えた後でやっぱりモラルがない、品がない、微妙な筋のお方だった、コミュニティの平和が乱れる等と判明した場合、先方に了解なく一方的に友人から外す事が出来るようになっている。

尚、旧来からのブログにおいても、書き込みが自由になっておらず許可制の所も増えて来ている(筆者もそうしている)。

つまり、『言論の自由』と「匿名性」を盾に言いたい放題Webで鬱憤解消をしていた層は、2chの時代からTwitterやFBの時代に移行するにつれ、当たり前の現実に直面する事になっているのではなかろうかと思われる。

つまり、言論の自由は勿論あるんだが、一方で皆に「情報の取捨選択の自由」「どんな情報や思想、価値観を持っている人と接するか接さないかを選択する自由」もあると言う事である。

また、発信する側には、「自分の思考やその結果としての発言や立ち居振る舞いによって、他人から自由意志でそういった選択をされてしまうと言う責任」があり、「自分と分相応の人しか相手をしてくれないと言う現実」があるという事でもある。

言ってみれば、TwitterやFBは、「似たもの同志」が集まる世界なのであり、TwitterやFBの普及により、言ってみればリアルの世界では当たり前のこう言った事柄に、Webにおいても我々はより明瞭に直面することになっているのではなかろうかと思う。

結果、ネットで匿名で鬱憤を晴らしていた層は、俺の話を聞いてくれなくなった、2ch等の溜まり場・吹き溜まりで通用していた煽り等も通用しなくなりつつある、と言った具合に葛藤を感じているのではなかろうかと、Twitterなど利用していて時折見られる反応など見るに付け、最近ふと思うようになった。

一方で、恐らく日常においては目立たないのかも知れないにせよ、Twitter等でじわじわと人柄等が垣間見えるにつれ「キラリと光る人」と言うのが見出される事も起きているように思う。Twitterの会計・金融クラスタ等眺めている限り、結構こういういぶし銀な良い味を出している層もまた多くみられる。

これが幾らかブログ、FB、Twitterを運営してみて筆者が感じた事である。


○所得格差よりもある意味シビアな「思想・品性・想念の格差」の進行。

こう言った事を思うにつれ、現在進行している事態は、所得格差よりもある意味シビアな「思想・品性・想念の格差」の進行なのではないかと筆者は最近思うようになった。まあ筆者の定性的な主観であるし、証明・論証出来る類の事ではない与太話ではあるけれども。

ネットで呟く言葉には、思っている事をアウトプットするのに障壁が少ない事もあるし、上述の通り人柄がにじみ出るようにも思う。特に長期間呟いているとこの事は言えるように思う。

結果として起きている事は、所得格差ならぬ”思想格差”、”品性格差”、”想念格差”と言ったもので、思想、想念、人柄の成熟度等の面で”似たもの同志”が集う場にネットがなって来ているのではないかと言う事である。

こういった状況がなぜ所得格差よりもシビアなのかと言うと、言い逃れのしようが無いからである。

所得格差であれば、「カネ持ちブルジョワジーだけで固まって、なんかずるいよな」「こんな格差社会を作った政治が経済が企業が上司が・・・」と言った具合に、カネ持ちなり世の中なり他人なりを悪役にすれば、憂さも幾分晴れる面はあろうかとも思う。

しかし、思想格差、品性格差、想念格差となるとそうはいかない。「あなたの思考や品性相応の人と接する事になっているんですよ。思考や品性はカネの有無の問題ではなく、あなたの心がけ次第ですよ。今時志さえあれば簡単に孫正義氏のような大富豪にもメッセージが送れる状況だし、愚痴や不満ばかり言って同類を引き寄せる事も出来るし、それもあなた次第なのですよ。」となってしまうと、逃げ場も言い訳のしようもないのである。

元来、TwitterやFBが普及する前から、人生あるいは世の中には「思考・品性・想念による格差」「思考・品性・想念が人生をつくる」と言う面は存在する。それは、例えばマザーテレサが以下のように見事に要約している。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

マザーテレサ
しかしこう言った事実が、TwitterやFBによって加速している、あるいはより明瞭な形で筆者を含めた皆の目の前で進行している、と言った事のようにふと筆者の氣分的に思ったのである。まあヨタ話の類と言えばそんな感じだけれども。


○ここから先はまあ、更にヨタ話ではあるけれども・・・

ここから先は更にヨタ話の感が深まって来るので、参考にするしないは更に各人の自由と言う話になるが更に徒然に「バシャール」を紹介してみる。「バシャール」と言う未来人だか宇宙人だかと、須藤元気氏や本田健氏が対談をした本が出ているので、その中のエピソードを紹介しておく。

(注:「ロハス金融道」的には金融マンにも関わらずこういう所からも引用を引いてくる辺りが、筆者のアナリスト芸人なり運用者芸人なりとしてのキャラ的な特色・位置づけではある。真偽の程等は全く保証しないし、興味の無いかたは読み飛ばして欲しい。)

これらの対談によると、どうやら2012年と言うのは色々な意味で節目らしい。ちなみに2012年と言うのは、映画2012等でご存知のかたも居るかも知れないが、ホピ族の予言であるとか、その手の界隈の話で重要な年である。

で、何が節目かと言うと、各自が体験する世界・地球が、パラレル的に枝分かれし始める節目と言う事らしい。

つまり電車の例えで行くと、いままでは色々な目的地に行く列車も並走していたし、駅では相互の路線への乗り換えも可能であった。まあアレだ、いままでの時代は、東京から品川まで行っていたようなものだと。これが、2012年からは、ある者は新幹線で関西なり九州なりに行き、ある者は東海道線で伊豆に行き、ある者は横須賀線で逗子に行き、ある者は山手線で、ある者は空港行って海外へ、と言った具合に分化し始め、次第に相互の乗り換え・乗り入れもなされなくなる、と言った事らしい。

つまり経済的な面での格差の拡大なのか、思想面等でのコミュニティの分化固定の話なのかはよく分からないにせよ、格差や分化が2012年辺りから急速に進むよ、と言った事をバシャール君は言っている訳である(で、「ワクワクお金持ち」が商売道具でありトレードマークでもある本田氏は「わくわくする人生、自身も周囲もわくわくしている、わくわく列車に乗りましょう」と言った定番のまとめかたをしている)。

こういう話を信じる・信じないは各自の自由であるし、筆者も話の内容自体は自己啓発として適度にまっとうだとは思うもののバシャールと言う存在自体はうーんどうなんでしょうねと言う面もある。

しかし筆者がこの話を聞いた時に興味を持ったのは、「仮にこういう流れが起きる・起きているとしたら、いったいどう言った経路、状況でもって起きる・起きているのだろうか?」と言う事であった。この手の話は一歩間違うとオカルト商法の類になり得るので、安易に鵜呑みをするのもどうかとは思うが、書籍代1000円そこらで、本田健氏や須藤元気氏のようなガイドの下でこういう思考遊びが出来る事には価値がある(と筆者的には思っている)。

そしてふと、TwitterやFBの普及、と言うのが、思考・想念の面での格差、電車の目的地が分化して交差する事がなくなり始めるきっかけになり得るのかな、と言った事を感じた訳である。

この話を信じる・信じないも、参考にする・しないも自由であるが、筆者としてはこういう事が起きているのかも知れないな、どの列車(思想・コミュニティ)に乗るのかはきちっと選んでおきたいな、そういった文脈の中でTwitterやFBも活用したいものだな、等と感じている昨今であった。

と言う訳で、今日もオチもなく終了・・・。

(書籍紹介)
バシャール本は下記。未来予想が当たるかどうかと言う意味では、Amazonのレビュー等見ると過去外して来た所も結構あるようなので(まあ元々がアナリスト稼業の同業者的には同情する・爆)、娯楽程度の気持ちで読むと中々面白い。本田健氏のほうは、比較的無難にまとめた感じであり、須藤元気氏の方は氏の独特の個性やツイストが入っており、氏の笑いのツボにはまれる向きは面白いと思う。


○ヱヴァンゲリヲン新劇場版が、なぜリメイク作品であるにも関わらず非常に人気があるのかについての簡単な考察と、それの金融プロフェッショナルへの含意について。

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(出所:スタジオカラー)

さて、今回は雑談で、題名の内容。
日本では金曜ロードショーでヱヴァンゲリヲン「破」も放映され、高い人気を保っているようである。
Twitterで呟いた内容を多少編集してブログに掲載した次第である。


○ヱヴァンゲリヲン新劇場版が、なぜリメイク作品であるにも関わらず非常に人気があるのかについての簡単な考察。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版が人気である。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」は興行収入20億円を記録し、金曜ロードショーでは12.7%の視聴率を記録。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は興行収入40億円を記録し、金曜ロードショーの視聴率は現状不明だがTwitterのTL上でも大量に投稿された。

元々エヴァンゲリオンは、90年代にTV放映と映画公開が為された作品であり、2000年代の上記映画と今後公開される「Q」については、(ストーリーや画像は新たに作られ変化が為されているものの)リメイク作品である。

過去のリメイク作品が、なぜこれだけの人気を誇っているのか。今回はその理由を、駄文社会学者の風呂敷文章ちっくに筆者なりにまとめてみた。

思うに、エヴァと言う「過去作品のリメイク」に対して、なぜ現在も(拝金主義等細かい批判は勿論あるものの)かなりのファンや支持があるのかと言うと、ファンは庵野秀明氏と言う「とあるヲタク」の成長を、エヴァ(とその登場人物)の描かれ方の変化を通じて見る事が出来るからと言う面があるのではないかと思う。

90sの初代エヴァの時は、自己無価値感、低い自己評価を、膨大なアニメに対する知識、精神分析や聖書等からも引用しているとみられる込み入った世界設定・伏線・謎かけ等で自尊心を補完する、ある種の脆さのようなものが作品にも出ていたように思う。言ってみれば、人類補完計画は、虚無感・無価値感補完計画、自尊心補完計画だったのではなかろうかと言う事である。

登場人物が明らかに皆アダルトチルドレンである。時間のあるかたはTsutayaでTVアニメ版のエヴァンゲリオンを1〜26話までみてみると良いかも知れない。シンジ、レイ、アスカ、ミサト、リツコと言った主要キャラクターは、ことごとく「自己無価値感」に苛まれている。その表出の仕方が各々違うだけである。例えばシンジのようにふさぎ込みがちになりつつもエヴァンゲリオンに乗っている自分は価値があると言う所に依存するようになる者もあるし、レイのように過剰な自己犠牲に繋がる者もあるし、アスカやミサトのように仕事での評価に依存・のめり込むが幾ら仕事で達成しても虚しさがなくならず壊れて行く者も居るし、リツコのように恋愛が不幸系になる者も居る、と言った具合である。これらの登場人物は、結局TV版〜90s劇場版の「初代エヴァ」では、全く救われる事のないまま、話の進展と共に、皆心身共に壊れて行くと言う流れを辿る事になった。

また、TV放送〜90sの映画の「初代エヴァ」の段階では、原作・監督の庵野氏の病み具合も進んでしまったのか、登場キャラクターだけでなく、ストーリーライン全体、作品全体としても、全くいただけない形で空中分解してしまった。せっかく途中までは緻密な伏線や設定、人物造形の描き込み等で世界を作ったのに、最後の方は完全に壊れてしまっているというか、風呂敷をたたみ切れずに煙にまいて終えてしまっている。

つまり登場人物がことごとく精神的に(あるいは物理的にも)崩壊して行き、最後には何か非常に憔悴し切ったパラレルワールドを見せられる事になった。例えばTV版の終盤における学芸祭の演劇みたいのとか、何の救いも無い上に風呂敷たたみ切れないまま巨大綾波レイなど登場した末、最後のアスカの「気持ち悪ぅ」のセリフによる90s映画版の終わりであるとか。

結局、大風呂敷を広げたは良いがたたみ切れず、何とか煙に巻いたのかなと言う、そう言う感じである。肚に落ちない、腰の据わらない終わり方だった。


それが、年月を経て、庵野秀明氏も結婚する等の変化があり、「自己無価値感やコンプレックスの埋め合わせとしての仕事」から、「適切なSelf Esteemを基礎にした肚の据わったクリエーター」への変化が見られる事がリメイク版で感じられるに至りつつあるように思われるのである。

弱々しかったシンジ君は今回のリメイク版では明らかに成長していて、物語が「シンジ君の成長物語」として肚の据わった軸のあるものになりつつある(少なくとも「破」の所までは)。ユイの幻影をみながら職場内研究者親子を食い散らかす等不健康極まりない憂さ晴らしをするゲンドウも微妙に変化ししていて、所々に不器用ながらも父親らしさを伺わせるような表現に変化している(これも「破」現在)。

こう言った作風の微妙な、しかし明らかな変化を通じて、エヴァの受け手は、庵野秀明氏の成長を感じる事が出来る面があるだろう。

つまり「リメイク前」と「リメイク後」の作者の葛藤、挫折、内観を経た成長自体、「自己無価値感とコンプレックスに悩む自我の脆弱なヲタク」が「適切なSelf esteemを持ったクリエーター」に成長していく過程自体を、「物語」として、受け手側が感じる事が出来るのである。

「リメイクの今回もまたヲタクの空中分解で終わっちゃうんじゃないか」と言う微妙な危なっかしさも孕みつつも、いやしかし作者の成長が作品に出ていて、より「骨太の軸を持った物語」と言う、「90sエヴァとは別の”パラレルワールド"」を見せてくれるのではないかと言う期待感があるのではないか。

こういった要素が重なって、リメイクにも関わらず、エヴァの人気が高いのではなかろうか、等とどこぞの駄文社会学者の風呂敷文章のような事を思い浮かんだので、雑記までに呟きであった。例によりオチも特段無いが、お付き合い頂いたかたは、ありがとうございます。


○ちなみに...ヱヴァンゲリヲンの金融プロフェッショナルへの含意。

ちなみに、「初代90sエヴァ」のような「自己無価値感、コンプレックスの埋め合わせ」で仕事してしまうパターンは、金融マンでも良く居るパターンである。

脆い自我、自己無価値感や低い自己評価を、膨大な金融知識(あるいはアナリストの場合は膨大な業界や企業に対する知識)、高いボーナス、美麗なキャリア、周囲の評価、寄って来る拝金美女蝶々と言うか蛾等で埋めようとするパターンである(これでギクッと来た同業者も幾らかあられるかも知れないが、御愁傷様である)。

あるいは運用屋だとトラックレコードの維持等で脆い自尊心を何とか保っている人も居るように思う。傍から見ていてつらそうと言うか、とげのある雰囲気と言うか、お疲れ様ですなと言う雰囲気が感じられるのでこういうのは体感的に分かる。

いずれにせよ、上記のエヴァンゲリオンで言えば、「90sのTV版〜映画版」までの時の、脆弱なヲタクの心理と似ている。「自己無価値感、低い自己評価、コンプレックス」を、カネで埋めると言うのは起業家や金融プロフェッショナルで比較的良くみられるパターンなのである。

大体、普通に特段悩みも無く満ち足りた生活をしていたら、常識的に考えて、解雇率も極めて高く、深夜まで労働は及び、人格の壊れ気味の意味不明の上司の奴隷になってまで、年収ん千万円等の収入を得る、と言った進路など普通の人間であれば選ばないであろう。何か満たされないものがあるから、こう言う生活を選ぶと言う面は(必ずと言う訳ではないが、得てして)あるように思う。マネーはこう言う心の隙間に見事に入り込み、人の精神を浸食して行くのである。

そんな訳で強引に最後を締めると、昨今の金融プロフェッショナルにおいても求められるのは、ヱヴァンゲリヲンや庵野秀明監督と同様の、「リビルド」ではなかろうかと思う。

つまり、自我の脆弱なヲタクから、適切なSelf Esteemのあるクリエーターへ。金融は虚業だと自らを嘲りながら自己無価値感や虚無感をカネや知識や経歴で埋めようとする段階から、適切なSelf Esteemを伴った金融ならではのクリエイティビティを伴ったマネーの探究と活用への昇華へ、と言う事である。

ヱヴァンゲリヲンの上記一連のありようは、我々金融プロフェッショナルに対しても重要な示唆を投げかけているのではなかろうかと思う(...って本当?)。おっしゃー電波社会学者的強引な締めくくりが出来たぞ!と自己満に浸った所で、今日はこの辺りで失礼致します。

○ロハス金融道・正テキスト紹介:「ザ・マネーゲーム」から脱出する法

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「ザ・マネーゲーム」から脱出する法 [単行本(ソフトカバー)]


随分更新期間が空いてしまったが、良い本を見つけたので紹介。


著者はロバート・シャインフェルド氏と言い、他にも「第11番目の鍵」等の著書があるようである。本の最初には「こころのチキンスープ」の著者のジャック・キャンフィールド氏が序文を寄せている(注)。成功哲学ごっこ、ポジティブシンキングごっこだアファメーションごっこだをやって来た結果として、どうやらある一定の境地に達したと言う事のようである。「ロハス金融道」としてこう言う事が言いたかったと言う事をそのまんま書いて頂いたな、と言った内容。

多分まあ同業者からはこう言う本を紹介しても余り尊敬されないだろうし、トンデモ本認定されてもおかしくなかろうとは思う。そう言う意味では、この手の本を紹介すると言うのは筆者のキャリア人生において多少のリスクテイクはしていると言えるかも知れない。また、手に取る人生のタイミングも選ぶ本だと思う。しかしまあ、人生自然の流れに任せるのが良いと思うし、良いと思ったものは思うままに紹介させて頂こうと思う。

端的に要約すれば、この世の全ての物事は幻に過ぎず、マネーと言うのはその最たるものだ、と言うかなりぶっ飛んだ内容な訳だが、当ブログの「資本主義マトリックス」のタグに入っている内容等に理解を示されるかたは、比較的スッと入れるだろう。字も大きいし、軽い本なのでちょっと読んでみると面白いと思う。

そんな訳で、筆者の言いたい事はロバートさんに代弁して頂いたと言う事で、筆者は本業に励むのでありました、めでたしめでたし。。。最近ちょっと、ブログは一通り書きたいこと書いたかな〜と言う感じで、余り色々書こうと言う氣分でもないので、こんな感じで。


(注:当初、著者の過去作品について筆者の誤認があったため、後日訂正している。ロバート・シャインフェルド氏は「こころのチキンスープ」の共著者ではない。)

○ロハス金融道的「ぷー」のあり方入門:職場を解雇されてぷーになった。その時どうする?

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久しぶりのブログだが、題名の件について。

以前はリストラ時のパッケージ額は大きく、転職の案件も多く、無職期間も短い事が通例だったものの昨今だとパッケージは切なくも小さく、案件も少なく、転職活動も長期化しがちである。リストラ等も多くなった昨今、たくましく無職期間を過ごす重要性は以前より増しているかも知れない、もしかしたら昨今ニーズのある話題なのかも知れないと言う事で、今回は「ぷーになった、その時どうする!?」について徒然に書こうと思う。


○筆者の場合

筆者の場合はリーマンショックも過ぎてしばらく経ったある日に、離婚と解雇が一度にやって来た。

20代は寝る間も惜しんでがむしゃらに仕事やスキルアップやに費やして到達した30代だったが、30代入って早々に自身のキャリアにも私生活にも暗雲が垂れ込め、そして公私共にまあすってんてんとなった案配だ(^^;)。

しかし氣分は存外爽やかで清々しく、空が澄み渡り青く感じたのを覚えている。学生時代に付き合っていた彼女がご執心だった坂口安吾の「堕落論」の「焼け野原の妙な清々しい」感覚とはこう言う感じなのかなと思ったものだ。

今思えば公私ともに疲れて居たのだろうと思う。仕事を探さなくてはいけなかったし悠々自適に過ごせるような蓄えが在る訳でも無かった上、転職先の案件が大して沢山ある訳でもなかったが、不思議と解放感があった。

大人の人生の夏休み。私生活も真っ白、キャリアも真っ白。人生のキャンバスにこれから何を描こうか。そんな桜の花咲く春のひと時であった。

・・・とは言えそうも悠長に言ってばかりも居られないと言う氣分の方も居るであろうから、おじさんの自分語りはこの辺にして本題に入ろう。


○解雇先との交渉。

さて、余りに現実的過ぎて申し訳ないが、まずやるべきはこちらである。
こちらについては以前にエントリーを書いているので以下を参照して欲しい。

ファイヤー!の際にどうする:解雇の危機管理法。

参照するのが面倒な場合のために、ポイントは以下。

・解雇と言う事実は受け入れる:

解雇と言う事実を覆す事は殆ど無理だし覆した所で幸せなキャリアはその会社では待ってなど居ない。ここでは争わないのが無難。

ごく時折外資系金融業界でも不当解雇の訴訟があったり、昨今GSで解雇者による労組結成等と言った話があるが、筆者的には薦めない。本当に先方の対応が人間の基本的な尊厳やら人権やらを蹂躙していると思える程に腹立たしいものでキャリアを捨ててもいいから人間としての尊厳のために戦う程の事だとか、あるいは市民派弁護士にでも転向する積もりならともかく、この仕事を続ける前提ならよした方がいい。現在完了形になってしまったリストラ通告はサンクコストとして、今とこれからを良くする事を考えるのが前向きだし得策だろう。

・一方で日本の法律は労働者の権利が手厚い。泣き寝入りする必要もない:

解雇要件を満たしているかの点で争われると企業側も面倒と言った面もあるので、この点はきちっと交渉していい。昨今の状況で一昔前のように年単位のパッケージを貰うのは中々難しいかも知れないが、2-3ヶ月分と言うのは企業側からすれば「これで手打ちできれば幸運、出来なくてもこれをスタートポイントに交渉すれば良い」位のラインで、実際の所はリストラの際に何割か位はパッケージ延長交渉をして来る前提でリストラコストも見積もりが為されているとも聞く。また賃貸している家を社宅扱いで入れている場合等も、普通は交渉すれば賃貸物件の名義を個人に変更するなりしばらくの間は会社の籍だけ保って入居可能にして貰う位の交渉は、余程コトがこじれた場合を除いては可能なものだ。会社都合にするか自己都合にするか籍だけは維持しておくかで失業給付開始時期やレジュメの体裁等も変わって来る訳だがこの点もある程度は交渉可能な場合も少なくないと思う。

この段階でなんとか粘って、転職活動や人生のリセットを焦らず行えるような期間を確保して欲しい。


○ヘッドハンターへの連絡。

次はこちらである。昨今転職活動期間も長期化している。連絡したからって直ぐに案件が動き出す訳でも無いので、早めに連絡する事をお勧めする。ちょっと旅行にでも行こうか云々とか、心の整理を云々とか、ずっとやれてなかったファイナルファンタジーでもやろうか等と言うのはヘッドハンターに連絡してからでも十分なので、まずはこちらを遂行する事を筆者的には薦めたい。

連絡の際は、外資/日系、外人ヘッドハンター/同日本人、成功報酬ありきの所(ばんばん案件は紹介してくれるが的外れの事も多い)/リテイナーフィー・コンサルフィーも取る所(案件の動きは遅いが狙いを定めたマッチングをする)、東京/香港/シンガポール/ニューヨーク/ロンドンに広汎に分散して多数に事の次第を説明して英文/日本語のレジュメを投げるべきである。10社は簡単に越えていいだろう。上記属性毎に強みとする案件等も結構違うので、社数だけでなく属性も分散した方がいいだろう。

ヘッドハンターが興味を持ってくれれば追って先ずはヘッドハンターとのミーティングやテレカン等のアレンジをしてくれるので、これを行う。ミーティングの際は過去のキャリア実績、今後のキャリアの志望、いつ頃位に採用を決めたいか等をこちらからは説明する。ヘッドハンターからは昨今の労働市場の状況、採用フロー等をヒアリングする。筆者の場合は大体聞かれる事は一緒だったので数件目位からは個人情報等の面で差し支え無い範囲でFAQを作成して投げる事にした。それでも相互に雰囲気や人柄、どんなカルチャーにフィットしそうか、信頼に足る相手なのか等は会わないと分からないのでミーティングで会うと言うプロセスは入れてはいた。

こういう活動を定期的に行う事で、無職状態ではあっても社会との最低限の「繋がり感」は維持出来るし、ぷっつんと凧の糸が切れたように引きこもりになったり人生おかしくなったりしないで済む。仕事だと思ってやる事である。

以後、以下に記載する様々な活動をしている最中にも、ヘッドハンターとの打ち合わせや面接を定期的に、ペースメーカーとして入れておくと良いと思う。いたずらに焦りだけ募ると言った事態を防ぐ事が出来るだろう。


○後は気長に構える。

さて、上記の作業が一段落したら、あとは気長に構える事である。採用フローは外資のボーナスシーズン1-2月を終えた位から立ち上がって春過ぎ位で一段落、夏は余り案件が無くて、秋口から翌年の予算・採用スロットを意識した活動が始まる、位の話なので繁閑もある。ここは気長に構えるのが良いだろう。焦りは足もとをみられるもとであるし、何事も焦り過ぎは良くない。

また、足もとみられる云々以上に重要なのは、解雇と言うのは「人生上重要なイヴェント」であり、神様が「ちょっと休んで一回棚卸しをして、どの方向に進むのかじっくり考えてみなさい」と教えてくれていると言う事である。

つまり過去の棚卸しや、普段やりたかったがやれて居なかった活動をしたり、視野を広げたりするチャンスでもあると言う事だ。人生トータルで考えると、バタバタと過去の延長で仕事を決めに入り過ぎると勿体ない面もあるように思う。

筆者も、当初は焦って手許の案件で決めそうになってしまったが、その頃に起業した知人の手伝いをしていた時に、「勿論今仕事を決めても新しい職場できっと活躍出来ると思うしそれもいいと思う。でも中々社会人になってからゆっくり人生考えられるときなんて無いんだから、しばらくゆっくり考えてみるのも良いんじゃないかな。手伝ってくれてるしご飯位おごるよ〜」と知人にアドバイスを貰ったりして、大変有り難かった。今となると、焦って目の前にある案件に飛びつかず、ゆっくり人生考えて正解でもあった。


○お勧めの活動例

そんな訳で、筆者的には以下のような活動をお勧めしたい。

・旅行。リフレッシュ出来るし、人生の節目でする旅行は仕事の間のバケーションに忙しなくやる旅行とはひと味違った感慨がある。昨今スマートフォンなどあれば国内外に旅行してもヘッドハンターとの最低限の連絡は保てる。筆者の知人では世界旅行をした人も居るし、筆者の場合は電車等が余り充実して居なくて何となく行けていなかったパワースポットである熊野詣で、紀伊半島奥地の温泉巡りなどに行った。


・個人の名刺の作成。会社を離れた「個人」としての自分を体感する事が出来るだろう。会社の名刺ほど一瞥しただけでは信用してはくれないし、個人の勝負になる。会社の信用の有り難さも身にしみるだろうし、一方で会社の名刺から離れる自由さも体感出来るだろう。どちらにせよ良い経験になる。

・個人の売り込み用のプレゼンテンプレート・売り込み資料の作成、レジュメのブラッシュアップ他。ヘッドハンターと会ったり面接をすると言う活動をペースメーカーにしながら、「ぷーの仕事」と思ってこれらをやると中々捗る。仕事面の棚卸しにもなる。会社のパワポのテンプレートでなく、自分のデザインしたテンプレートなど作ると、会社員ではなくビジネスパーソンとしての自立心と言うか自立しなきゃいけないんですね的な自覚も促されて良いかなと思う。

・過去のノートや仕事、書籍等の整理、電子化、DB化等。過去の棚卸し、断捨離をすると共に、戦線復帰した際にパワーアップして復帰するためでもある。


・ボランティア活動、起業した知人の手伝い等。こう言った活動も、普段では得られないような視野の広がりや、多様な人との出会いをもたらしてくれる。色々な人生の選択肢がある事を体感する事も出来て、進路選択の参考にもなる。いざとなったら履歴書にも書ける。外人なんかはこう言う活動も平気でアピールポイントにして来る。参考にしても良いだろう。

・過去の名刺の整理。これも棚卸しであると共に、多忙にかまけて疎遠にしていた人に連絡をしてみると言った目的も含まれている。ここから採用に繋がる事もあるし、「いやーくびになっちゃってぷーなんですよー」と言って連絡したら案外興味を持ってくれて会ってくれたり人を紹介してくれたりする事もある。採用に繋がらなくても普段会えないような偉い人とも案外会えて知り合いになれたりもする。しかも仕事抜きのカジュアルな形で会えて、素直に「いやーぷーで人生白紙ですわーどうしよう」と相談すれば色々アドバイスをくれたりする事すらある。仕事ではこれは中々無い機会だろう。幸運を引き寄せるための接点を増やすのに有効と思う。

・やりたかったゲーム、観たかった映画、読みたかった本などを存分に味わう。平日の昼間っからビールなど飲みながらこれをやるのは、いやあ快感であります。また、人生の節目なので感受性豊かにこれらに触れる事が出来ると言うか、色々感じたり考えたりする事も出来る。これが今後の進路を考える上でフレキシビリティと豊かさを与えてくれるように思う。

・占い。普段信じない人も、タロットなり星占いなりを、ある程度きちんとした実績のあるかたに観て貰うと結構面白い。詐欺や胡散臭い人に捕まらないよう、身元の信頼出来る友人知人等にまっとうな実績があり金銭支払等も常識的な範疇で済む占い師を紹介して貰う事をお勧めする。また、ぷーのタイミングだとこう言う占い師等を紹介してくれる人が出て来るから面白い。特段全部信じる必要はない。人生アドバイスの一つ、的な位置づけとして活用すれば(人生の節目なだけに)結構参考になる。

・引越し、平素と違う場所での長期滞在。筆者の場合、ぷーの湘南暮らしと言うのは大変に有意義だった。朝に海辺をジョギングして見知らぬ人と笑顔で挨拶があると言った経験は都内では全く無かった事だし、ピリピリせかせかした都心の時間の流れと比べてゆったりとした時間の流れと大らかな人の気質に接した事で、人生の価値観を結構揺り動かすものがあった。勿論休息・充電としても大変に有意義だった。

・ホームパーティ等への参加。無職だと気後れしがちだが、むしろ無職の時程堂々と参加した方が良い。人と接点を持つ事で人生がドライヴして行くものだし、仕事も見つかるものだ。「いやーリストラされちゃってぷーなんですよー」と言った自己紹介をすると覚えて貰い易いし、普段知り合えない層の人とも知り合いになれて面白いし人生も広がる。


・やりたいけれども手つかずだった趣味。これも多様な人と出会う接点を増やしてくれる。筆者も食養法講座、健康料理講座、大型二輪免許取得などに平日の昼間に出てみたりしたものだ。この「平日の昼間に出会う人」と言うのが、普段会社員をしていては出会えない/何をしているのか想像も付かない感じの人であったりして面白いし、人生の視野も広がったりする。


・・・等等。


○まとめ:開き直って「ぷー」と言う地位を活用すると結構面白い。

・・・上記はほんの一例で、他にも色々あるかも知れない。
総じて言えるのは、開き直って「無職」と言う地位を上手く活用する、と言う事と思う。

例えば投資銀行だかヘッジファンドでバンカーだかトレーダーだかです等と言う立場だと湘南や地方に滞在しても中々地域の人と距離感が埋まらない(多くの人にとっては外資系金融マンだのヘッジファンドなんて高学歴でキリキリ働く人間の情に欠けたエリートのカネカネマシーンみたいな印象であり、得てして接したいような類いの人間では無いと言う事を理解する事になったりする)。ところが一転「金融マンだったんですけど、リストラされちゃってぷーで人生の終了未定の夏休みで途方に暮れちゃってるんですけど取り敢えずこちらに滞在してるんです。いやー良い場所で癒されます」等と言うと、人間味と親近感が一気に増大するように思う。

普段だと忙しくて、またきっかけも無くて疎遠にしていた人と会う事は後回しにされがちかも知れない。しかし「ちょっと聞いてよ、いやーぷーになっちゃって。人生相談に乗って欲しいです」とメールを投げたりすると(普段会うのが憚られるような地位の人等も含めて)案外相談に乗ってくれたりする。こう言うのが実は人生の裏口入学とでも言おうか、面白いのだ。

こう言った活動をして、自身の過去の棚卸しをし、今後の方針を色々な人や経験をしながら感じて考えて行きつつ、定期的にヘッドハンターとの接点をペースメーカーのように維持して面接等もぽつぽつ受けながら「ぷー暮らし」をしていれば、丁度人生の棚卸しと今後の過ごしたい人生が見えて来た辺りで「次」が見えて来るように思う。

まあ勿論保証は出来ないしこれらを信じる信じないも全て「自己責任」であるし筆者は上記を実行した事によるいかなる結果も一切責任を負わない(金融マンお得意のディスクレーマーですハイ)。中々職が無いなかで預金残高がみるみる減って行くと焦りが出る・恐怖感が出るのも筆者自身経験しているので良く分かる。そんな時に独り過ごす夜は中々に辛いと言うか厳しくはある。

また、念のためにずっと採用が無かった場合の最終手段(実家に帰るとか、一時的に食いつなぐための手段の確保とか)も頭の片隅には置いておくと言ったバランス感覚があるのも、勿論大切ではある。たまに衝動的に会社を辞めたり突如リストラされた人がぷっつん行ってしまうと言うか、自分探しをやった挙げ句自我の迷路にでもハマってしまうのか「糸の切れた凧のように”ぷっつん”行って壊れてしまう」と言った事態も散見される。こう言った事態を防ぐ上では最悪シナリオの考慮と現実的な対応策を考えておく事を軽視し過ぎるのはお勧めしない。

しかし、いたずらに焦りが募った所で採用が自分の都合である訳でもない。また「解雇/リストラ」と後ろ向きに考えて悪い事態ばかり考えて煮詰まってしまっているより、ある程度の開き直りと共に「ぷー」と言う時間を前向きに過ごして、ある意味「キャリアの一部」「人生の大変に有意義なひと時」にしてしまう位の方が、採用する側からしても前向きな雰囲気で好感が持てると言った確率も上がるであろうと言った面もある。実際、後から振り返ってみるといったん立ち止まって人生の棚卸しをした無職のひと時と言うのは、大変に有意義で貴重な時間でもある。

以上、至極個人的な経験を基にした個人的な内容ではあるが、「ロハス金融道的なぷー/無職期間の過ごし方」としては、上記のような過ごし方をお勧めしたい。

アナリストJobの変遷その6:アクティビストファンドの退潮。

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今回は久しぶりに題名の件の続きである。アナリストJobの変遷と題して、筆者の個人的な経験を交えながら、主にバイサイドから見たアナリスト職の変遷について書いていた。「DCFマニアック教」の隆盛と衰退、次にアクティビストも含めた広義での中小型株ブームの流れ、アクティビスト初期の仕事内容、と言った流れで説明をして、次にアクティビストがなぜ日本では機能出来きれないまま退潮を迎えることになったのかについて書こうと言う段であった。にも関わらず筆不精で随分時間が経ってしまった。久しぶりに続きを書いてみようと思う。

アクティビストが日本で機能出来きれないまま退潮を迎えた理由は、端的に言えば「継続して安定した運用パフォーマンスを(海外は別として、少なくとも日本では)出し続ける事が難しい戦略だった、或いは時の経過と共に難しくなったから」である。パフォーマンスが出なければ顧客が離れて、戦略として機能しなくなる。ごく単純な話である。

以下に、「ではなぜアクティビストが運用パフォーマンスを継続して出しづらかったのか」について、筆者が感じた所を幾らか理由を挙げてみたいと思う。厳密な検証を経たものではない事はお断りしておくし、特定ファンドについての判断を述べている訳ではない点も付記しておく。

1.「案件」を継続・安定して発掘・ソーシングする事が難しくなった。

一番の問題はこの点だっただろう。アクティビストの戦略で安定してパフォーマンスを出し続けるには、IRの改善、増配や自己株買いと言った株主還元の増大、或いはM&A・業界再編等等と言った事が期待出来る案件を定期的に探し、10-30銘柄程度のポートフォリオを組み続ける必要がある。これが実際には結構難しい。なぜ難しいのかについては複合的な要因がある。以下に幾らか記したい。

-規模の問題。

なぜ「案件」を安定してソーシング出来なくなったのか。重要な理由の一つには規模の問題があった。

当初はアクティビストの運用額も数百億円の前半程度であり、以前解説した通りで1銘柄10-20億円程度の投資を10-15社程度していれば良かったし、投資ユニバースも中小型株中心だったので潜在的な投資対象は沢山あった。

しかし、アクティビストファンドが脚光を浴びた結果、顧客資金がアクティビストファンドに集中する事になった。この結果、アクティビストファンドのAUMは急激に増大した。例えば村上ファンドの村上代表が逮捕される直前(2006年)頃には、村上ファンドのAUMは4000億円以上あったと言われている。

4000億円となると、1銘柄40億円で100社、80億円で50社、160億円でも25社への投資が必要になる。感覚的に考えても、こんなに沢山の銘柄に対して次々に大規模な財務政策の変更、M&A等業界再編等を促し続ける事は難しいと言う事は理解出来ると思う。

しかも、これだけの多額の投資を一社に行えるとなると、投資ユニバースとなる時価総額も大きくならざるを得ない。時価総額が大きくなると、対象となる企業数は急激に減る。

これは村上ファンド等が運営されていた頃のデータではなく現在のデータになってしまい恐縮だが、例えば以下を参考にして欲しい。2012年の3月現在で、時価総額別に企業数を検索すると大雑把に以下のようになる。

日本の上場株全部:3500銘柄ちょっと。
時価総額100億円未満:1800銘柄くらい。
時価総額100億円以上:1700-1800銘柄くらい。
時価総額500億円以上:700銘柄内外。
時価総額1000億円以上:500銘柄切るくらい。
時価総額3000億円以上:200銘柄くらい。
時価総額1兆円以上:数十銘柄後半。

(出所:Bloomberg)

つまり大まかに言えば時価総額の銘柄数の分布は概ね80:20の法則に基づいていて、時価総額の過半をごく少数の銘柄が占めていて、後は小粒の中小型株が無数にある、と言う構造になっている。運用額が小さく中小型株を手掛けられたうちは資本再編等を促しうる上に割安な会社を見つける事は相対的に容易であったが、運用額が巨大になり大型株しか手掛けられないようになると選択肢が一気に減ってしまうのである。

こうして、運用額が巨大になったアクティビストファンドが安定的にリターンを上げるのが難しくなっていったと言う面があったのである。

-競合の増大。

アクティビストファンドが脚光を浴びるにつれて、年金基金等の資金がアクティビスト戦略に集中した。結果として競合が増える事になり、バランスシート面で改善余地があるような銘柄の割安感が薄れて行く事になった。市場は常にこの、「ある戦略がリターンが出ると脚光を浴びる→資金が集中する→競合激化する→超過リターンが出づらくなる→衰退する」の繰り返しで、自然に新陳代謝が起きるようになっている。こうして割安感のある銘柄が少なくなる事で、アクティビストファンドの投資先の発掘も難しくなっていったのである。

-敵対的アクティビズムの場合、取材等による調査が不可能になる等の問題。

具体的社名は避けておくが、敵対的アクティビズムで有名になったファンドにおいては、取材を申し込もうにも断れらてしまうなど、調査活動で次第に支障が出て来ていたといった話は当時筆者の耳にも入っていた。取材が出来ないとなると、勿論投資先の発掘調査はやりづらくなる。日本の文化・風土の難しさと言えるかも知れない。

-事業会社自体のIRや財務政策の改善。

アクティビストが有名になるにつれ、事業会社側も(敵対的アクティビストに狙われて面倒にならないようにと言う意味合いもあり)次第に財務政策やIR活動をきちんとしたものにしていくようになった。結果、投資候補先は次第に減少していく事になった。


2.「案件」を定期的に発現させるのが難しい。

更には、ポートフォリオを組んだ後は、実際にIR改善、増配自己株買い、業界再編等が保有ポートフォリオ内の銘柄で定期的に起こる必要がある。これがまた、(特に日本では)難しい面があった。これにも幾つか理由があると思われるので以下に簡単に記載する。

-中途半端な立ち位置の問題。

アクティビスト戦略で保有するのは、発行済み株式の数%~高くても20%内外程度である。プライベートエクイティのように経営権は握れないし、あくまで上場株のマイナー株主の中では大株主、と言った立場で、あくまでパブリックに開示されている情報の範疇から企業価値向上の提案をしなければならない。事業会社からすれば発行済みの数%の株主の発言に耳を傾ける事は大切ではあるが必ずしも従う必要はない。こう言った「中途半端さ」があった。

-買収防衛策の存在。

更には2005年には経済産業省及び法務省から「企業価値・株主共同の利益の確保又は向上のための買収防衛策に関する指針」が公表され、事前警告型の買収防衛策を中心に2006年ごろから導入企業が急激に増えた(2005年導入企業数29社→同2006年175社→2007年409社、出所はレコフより)。

結果として、アクティビスト側に、「いざとなったら更に株式を買いまして圧力をかける」と言う交渉オプションが使いづらいものになってしまった。特に敵対的アプローチでアクティビストを行うのは難しくなっていったのである。


-投資先の規模・時価総額が拡大する事による「案件」成立までの期間長期化、或いは難易度の上昇。

これは村上ファンドやスティールパートナーズ等有名な敵対的アクティビズムファンドの変遷を見ていると分かり易い。当初は中小型株に対する増配要求と言ったシンプルなものだったものが、後期には大企業の再編、阪神タイガースの位置づけを問う等の「大掛かりな」「難易度の高い」ものになっていった。

結果として、企業価値向上活動の実現可能性が低下し、また実現にかかる期間が長期化する事となっていった。その間も毎日株価は動く訳で、安定したリターン獲得が難しくなって行った面がある。


3.「企業価値」と「株価」は常時パラレルには動かないため安定リターン獲得が難しいという面。

上記1-2は主に対投資先企業にまつわる話であったが、アクティビストの難しさは、「プライベートエクイティと異なり、非上場化せず、株価が毎日動く状況下でやらないといけない」と言う点であったように思う。つまり、以下のような問題がある。

-コーポレートガバナンス以外の株価変動要素が多数ある事。

株価は企業側の財務政策等だけで動く訳ではない。マクロ要因、需給要因等様々な要因で動く。

幾ら企業価値向上活動を推進しても、市場全体の株価が下がれば当該企業の株価も下がる。ロングオンリーでありながら絶対リターンを目指すオルタナティブ運用のカテゴリとして運用を続けるのは、そもそも限界があったようにも思う(この点については例えば中小型株インデックス対比でアウトパフォームを目指すなど、ベンチマーク対比での運用に切り替えた所もあるように聞く)。

-「株価対応」出来る布陣では必ずしもなかったケースが見られる事。

アクティビストファンドの中核メンバーがインベストメントバンカーやコンサル出身者など、いわゆる「ディールやコンサルのプロ」であり、「相場の株価との付き合いのプロ」では無かったと言う問題もあったように思う。

市場環境に応じたTacticalなポートフォリオ管理をしながらリターンを出すと言う事が上場株の運用であればどうしても必要になるように思うが、この点やや困難があった面はあろうかと思う。

-「株価対応」をきめ細かく行う場合にもアクティビストファンド特有のイシューが出て来うる事。

一方で、上記の問題に対処するためヘッジすると言うのも選択肢である。しかし今度は手間の割に派手なパフォーマンスが出しづらくなると言う問題点も出てくるし、ロング側が少数銘柄のかなり個性の強いポートフォリオになるが故にきれいにヘッジする事の難しさが出てくるなど、別種の問題が出てくるのである。

そんなこんなで、戦略としての難しさ、日本における難しさと言うのがあり、また村上ファンドの村上代表の逮捕等も加わった事もあり、アクティビストの戦略は、特に敵対的なものについては退潮を余儀なくされる事となったのであった。一方で、別のエントリーでの質問にも回答したが、きちんとした哲学を持ち、日本の状況に合わせた形でもって、現在でも活躍しているアクティビスト系ファンドも存在する事は付記しておきたいと思う。

○主に純ドメ大学生向けの「道具としての」英語学習法

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今回は題名の件。

先般筆者の元に、大学生と思われる学生さんから英語の学習法についての質問が来た。筆者は元々純粋ドメスティックの非帰国子女であり、TOEICも10年以上前に受けた時の890点のスコアがあるだけで、特段英語にエッジがある訳ではない。筆者が英語についての事柄を書くと、ちょっと英語の専門家のかたからするとアレな内容になってしまうだろうなあと言う事もあった。そのためこの手の内容については余り詳細をブログに書く予定は元来無かった。

とは言え、学生さんからの質問を受けて、少し考える所があった。つまり、純ドメ・非帰国子女の人間が、あくまで英語をビジネスのツール・道具としてそこそこに使いこなせるまでに、比較的短期間で変な落とし穴にはまらないで到達するためのノウハウ、と言うのは多少ニーズがあるのかも知れないなとも感じた。

そんな訳で今回は、主に純粋ドメスティック、非帰国子女の学生さん向けに、完全にネイティブみたいに流暢になるのではなく、就職やビジネスで使える程度になると言う観点からの「道具としての」英語学習法について書いてみようと思う。


○英字新聞と映画を題材に使うのは、英語学習初学者の「2大つまづき要因」。お勧めしない。

さて、英語を学習するとなると、何故だか分からないが「政治や経済に詳しくなると同時に英語を学びたいので英字新聞を購読しようと思います」「映画が好きなので映画を題材にリスニングを学びたいと思います」と言った人が出て来る。まあ随分前向きな事でそのマインドは買いたいようにも思うが、これが英語学習の大きな落とし穴になっているように思うので、先ずこの点について書いておきたい。


筆者は、英字新聞の購読や映画を題材にした英語学習は、ビジネスで道具として英語を使うと言う観点で英語学習を考えた場合、特に英語学習の初期においては全くお勧めしない。趣味としてなら各自の自由だが、端的に言えば効率の良い学習法ではないからである。英語新聞・雑誌の講読に手を出す、映画のリスニングにチャレンジすると言うのは英語学習の初学者で良くある「2大つまづき」のように思う。

なぜ効率が悪いのか。

映画での英語学習はスラング等多いし、喋るスピードも特に言い争い等のシーンになると非常に速く、内容もストーリーに応じて多岐に渡るため難度が高すぎるからである。外資系企業で仕事をしていた事があり、海外マーケティング等同行の経験もあり、シンガポールで生活している今でも筆者は映画をきちんと聴き取り切る事は出来ない。人によっては、スラング等も含めて学ぶのが生きた英語ではなかろうか云々と思うそうだが、これも筆者は賛同しない。スラングなんてそんなに知らなくても仕事で英語を使う上では別に問題はないし、ノンネイティブで大して上手くもない癖に上手く見せるために取って付けたようにスラングを使おうと言う雰囲気が見えてしまうと逆に物凄くみすぼらしい。普通の英語を普通に使えれば仕事ではまずはOKなのであり、少なくとも学習の初期に取り組むような事柄ではないのである。

英字新聞・雑誌はなぜ効率が悪いかと言うと、これらは読んでも上達の実感も掴めず自己満足で終わる事が過半だからである。周囲で、「上級者になってからの趣味・日課・仕事の必要上の読み物ではなく、英語の初学者の段階の学習教材として」英字新聞や英語雑誌に手を出した人で英語で仕事等出来るようになったと言う人を筆者は殆ど見ない。本人としては、受験英語ではなく生きた英語を学びたい等と言った事を考えて居るつもりなのかも知れないが、英語もさして上手くもならないし、多少時事のニュースを英語でかじったからと言って就職等の役にも社会人になってからの役にも立たないし、何よりも直ぐ挫折してしまうのは必至である。新聞雑誌に書いてある程度の情報は社会人になってから幾らでも浴びられるし、また瞬時に陳腐化もする。ある程度英語がビジネスで使えるようになって仕事の必要性等から自然と英語の雑誌、新聞、レポート論文の類いに手を付けるのであればともかく、学生時代に付けるべき・時間を割くべきは日々の情報の消化ではない。将来の資産になるような、もっと基礎体力的な知識体系・思考体系なり、スキルなりであると思う。


○英語教育産業のセールストークを恐れる必要はない。

あと英語学習で良く在る落とし穴が、恐怖を煽るセールストークだ。「election(選挙)とerection(勃起)の発音の区別が出来なくて恥をかく日本人」→だから仕事で英語等を使う間にきちんと学ばなくてはいけません、とか、とにかく恐怖を煽る類いと言うか。こうやって、「完璧な英語を話さないといけない」と言う感覚を煽るような類いについては、筆者は全く賛同できない。

理由は、実際の所こんな類いで恥をかいたり問題になったりする事など殆ど全くないからである。実際の会話にはシチュエーションや文脈がある。オフィスや公の場で、初対面の同業者が、金融業界のマーケット動向の話をしていたら、普通エレクションと言うのは選挙であり勃起ではない。

更に言えば日本人は例えばlとrの区別が苦手な事も多くの外人は知っているし、ある程度の品性のある外人であれば英語を一生懸命学んで英語で話してくれている日本人を、多少発音が変だからと言って笑ったりする事は殆ど無い。文脈等からちゃんと理解してくれるものだ。あなたが日本語で一生懸命話してくれている外人の発音が多少変だからと言って笑うだろうか?普通の感性であれば頑張ってくれているなあ、日本に興味を持ってくれていて有り難いなあと思うだろう。そう言う事である。それを笑うような人間の人間性や品性は何人だろうがたかが知れていると考えれば良いし、単に付き合わなければ良いだけである。

加えて、強烈な訛りのある発音で得てして文法も適当な、インド人やシンガポール人の英語でも、彼らは堂々と仕事をする事が出来ている事も考えてみると良いと思う。実際の所細かい所を気にする必要は(特に初学者のうちは)全くないのである。


○日本人に鬼門のリスニングとスピーキングは、2-3ヶ月でも語学留学してしまうのが一番手っ取り早い。

純ドメで日本で英語教育を受けて来たいわゆる一般的な日本人の場合、文法やリーディングについては受験英語で殆ど問題無いと言ってよい。となると問題はリスニングとスピーキング、と言う事が多い。


リスニング/スピーキングの対策については、3ヶ月、最低でも2ヶ月位、夏休みにでもホームステイでアメリカかイギリスの語学学校への遊学でも良いので海外に実際に行って英語漬けになるのが一番早いと思う(オーストラリアとかフィジー等の語学留学もあるにはあるが、発音等変な癖が付き得る事、治安や英語学習のモチベーション維持のしづらさ等の面から個人的には余り薦めない)。

以前もブログで多少書いた氣もするが、リスニングやスピーキングを鍛えるには、特に学習初期の所で、一日中英語漬けの時間を取る事が非常に重要になる。1日1時間を1年間学んでも、英語が脳に染み付いてくる「閾値」に中々到達出来ない(そうしているうちに挫折する)。3ヶ月位1日10時間英語漬けになる、と言った時間を取る事が英語学習の最初の関門を突破するにはどうしても必要になるのである。

いったん集中的に英語漬けになり一回「英語脳」とでも言えば良いだろうか、英語を和訳せず英語のまま処理する回路が脳に確立してきて時折夢を英語でみる等するようになってくると、後は日本に戻って細切れの学習でもリスニング等も伸びる段階に入れる。金銭的事情・時間的制約等あるかも知れないが、初学者である程先ずはこの選択肢を検討される事をお勧めしたい。但し、出来るだけ日本人比率の少ない語学学校にホームステイで行き、滞在中も日本人同士でつるみ過ぎないのは条件である。


○教材としては、つまらない事はよく理解出来るが、TOEICやTOEFL対策中心で勉強するのが初学者には分かり易いし上達も早い。

短期の語学遊学と平行して何をやると「仕事の道具としての英語」として効率的かと言うと、やはりTOEICやTOEFL等の試験対策を英語学習のペースメーカーにするのが、特に英語学習の序盤戦では一番効率的だろうと思う。つまり、
試験対策英語だったり、テクニックや受験回数の多さによる慣れ等が必要な類で必ずしもピュアな英語力を測る試験とは言えないにせよ、内容が多少つまらなくても、「それでもやはり」TOEIC900点(学卒就職を考えている場合)かTOEFL iBT100点越え(将来留学等の進路も考えている場合)等を目標にして、こう言った対策に集中する事をお勧めしたい。理由は幾つかある。

1.勉強進捗のペースメーカーに出来る。

2.TOEIC、TOEFLどちらでも、日常的な会話についての語法の学習とリスニング対策が出来る。TOEFLの場合スピーキングのテストもあるので話す方も鍛えられる。
3.これらの資格で高得点を上げておく事で、将来英語を使う会社・仕事・職種に就ける可能性が上がる。

1については、勉強の序盤戦では重要な事だと思う。映画や英字新聞による勉強法が余り効果的ではない理由も、勉強進捗の測定がしづらい事も背景にある。

2については、文法問題やリーディングは受験そのものでつまらない、リスニング等も天気予報や日常会話のリスニングでつまらないと思われるかも知れない。しかしTOEICやTOEFLのリスニング問題対策のCDをiPod/iPhoneにでも落として、何度も何度も聞いて完璧に解けるようにし、かつリスニングCDに合わせて(カフェなどで勉強する際など小声で構わないので)必ず自身でCD音声のマネをして声に出してスピーキングも何度も何度も、CDと同様に流暢に発話できるようになるまで練習してみると効果がある(確かシャドウイングと言う)。

この場合、聴くと発話するのを重点的にやる事が非常に重要である。簡単な内容でも舌が回らない事、慣れるまで頭が相当疲れる事に当初驚くと思う。純ドメだとその位、脳の中に英語を英語のまま聞いて話すと言うチャンネルが確立していないのであり、これが純ドメ組にとってリスニングやスピーキングが難しいと感じる理由なのである。

リスニングとスピーキングは能力的にワンセットであり、TOEICやTOEFLのリスニング程度の内容・スピード(これでもニュースや日常会話よりやや遅い)について流暢に口が回るようになると、同時に聴き取りの力も急激に改善し、自然と聞き取れるようになる。恐らく脳の仕組み的に関連付いた能力なのだと思う。

繰り返しになるが、これも1日1時間を1年やるより、1日5時間・10時間と言うのを3ヶ月集中的にやる期間を作り、後は週に1-2回フォローアップで触る程度、と言った方が伸びる。大学英語はクリアしたが実用英語の段階に到達しない、と言ったレベルの人はほぼ間違いなくこの「集中的に英語脳のチャンネルを確立する」と言うプロセスが必要と思う。このプロセスを経ると、英語のニュース番組のような綺麗な英語のTV番組であれば、大体聴きとり出来るようになると思う。

3については、たかが試験と言ってしまえばそこまでだが、「仕事の道具としての英語」として考えると非常に重要なポイントである。

英語が上手くなるには仕事や留学等で実際使うのが実際の所やはり一番の近道である。勿論TOEICが900点内外あったから/TOEFLで100点程度あるからと言って流暢に英語が使えると言う事は無い。しかしハッタリでも所詮試験英語レベルでも履歴書に書いてアピール出来るようになる事で、とにかく仕事・留学等のオポチュニティが広がるのである。これが重要なのである。

仕事でも最初のうちは半ばハッタリでやって行く事になる訳だが、やはり仕事や日常生活で英語を使っていると、上達は段違いに速くなる。一方で、「英語新聞等読んで英語の勉強はしています、でも資格のスコアはありません」と言うのは就職の際等では通用しない。先ず英語を沢山使う機会が得られないと言う事になってしまうのである。

特に学生さんが新卒の若いうちから英語を使える職場で仕事が出来るか否かで、英語力はどんどん差が付く事になるので、「たかが試験」「TOEICの得点は英語力を反映しない」等とシニカルな事を言う人の事は無視して、試験テクニックでも何でも活用していいので、先ずは履歴書に書ける程度のスコアをきちんと取っておく事を特に純ドメの一般のかたにはお勧めしたい。

それに試験とは言え、TOEIC/TOEFLとも英検よりは実践的だとは思う。難度的にはTOEICよりTOEFLの方が高く、リスニング内容も政治・経済・科学等の講義の一部分を聞いて答えるような感じになるので、TOEICがどうしてもつまらな過ぎるという事であれば、TOEFL対策をすれば内容のつまらなさも多少は補えるだろうとは思う(但しTOEFLは留学時に必要になる試験であり、日本企業の人事ではTOEIC900点ならピンと来てもTOEFL iBTが100点と言われてもピンと来ない可能性もある事は添えておく)。


○その他(仕事に関わる語彙や表現の学び方、留学のすすめ等)

その他参考までと言う事になるが、筆者の場合はTOEICに加えて米国証券アナリスト資格、CFAの勉強の過程で金融英語を補った。受験勉強のテキストも英語、会社の経費で通わせてくれた対策クラスも英語講義、空いた時間に英語テキストのオーディオCDを流しして復習し、試験も英語、これを3次試験までやったので読むほうも聴くほうもだいぶ鍛えられたように思う。何より仕事で使う内容と直結だった事もあるのでその意味でも良かったように思う。仕事で英語を使うと言う事であれば、TOEICだかTOEFLだか+自分の分野の英語、程度を深めればそれで十分のように思う。とは言え、純ドメの学生にいきなりCFAを受けさせると言うのは多少酷な氣もするし、先ずは一般的な英語の試験の対策から始める事をお勧めする。この辺は自己責任で対応して欲しい。


また、大学生のまだ序盤戦の学生さん向けには、場合によっては大学の交換留学制度等の利用も検討する事を強くお勧めしたい(この場合、恐らくTOEFLを必至に勉強する事になる)。日本の大学が無名であっても、案外欧米や香港・シンガポールの有名大学等で交換留学が出来ると言うプログラムがあったりするものである。こう言った環境下で1-2年FinanceなりEconomicsなりの分野で交換留学出来るのであれば、卒業が1年位遅れても明らかに英語も金融面の知識面でも就職等で有利な立場に立てるだろうと思う。筆者の周囲でも、日本の大学自体は無名大学だったが交換留学で海外の有名大学にてファイナンスや経済等を学んで、日本の大学名では書類選考漏れになってしまうような所で仕事を決めた者等も居る。


○まとめ 〜夢を醒ますようで大変申し訳ないが、最後に現実を〜

さて、以上くらいで、「仕事でノンネイティブのジャパニーズとしては英語が使えるね」と言うレベルには多分概ねの人が、元々の素養には余り関係なく、努力さえ出来れば到達出来ると思う。

しかし最後に現実を述べておくと、この程度やったからと言ってネイティブになるのは、純ドメでは相当難しいと言うか多分殆ど無理だと思うと言うのが現状の筆者の実感である。上記程度で達成される英語力は、あくまでも「ビジネスの場で問題無く」「相手に”この人日本人で、英語は後付けなんだよな”とある程度氣を遣って貰って」成立する程度の英語力と言う事である。

はっきり言ってしまえば、ビジネス英語は、話す分野も内容も概ね一定しているし、比較的シンプルな表現で伝えたい内容が伝われば良い訳で、比較的簡単なカテゴリーなのである。本当にネイティブみたいになるとか、同時通訳等出来るようになるとか、例えば小説や映画のような叙情感だとか瑞々しさのある表現、物書きのようなニュアンスのある表現を使おうとかなると、ハードルは物凄い高くなる(イキナリ英字新聞や映画に飛びつく事の無謀さがこの辺りでご理解頂けると幸いである)。筆者はこの辺はもう、半ば諦めてしまっている。なので上記以上の英語ノウハウの話は筆者には出来ない。この点は断っておきたい。

また、日本語でも得意でない事は英語を学んでも出来るようにはならない。日本語で女性を口説くのが苦手であれば英語が出来た所で外人女性を言葉巧みに口説いたりする事は難しい。日本語の社交パーティーが苦手であれば英語が出来ても国際会議だパーティだの類いは得意にはなれないだろう。日本語でプレゼンが苦手なら英語でもさして素晴らしいプレゼンにはならないだろう。この点も夢見がちなかたもあられるようなので、あらかじめ断っておきたい。

○ヘッジファンドキャリア転職編:コンサルからヘッジファンドへの転職は可能か?

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さて、今回は題名の件。


とあるかたから、コンサルタントからバイサイドキャリアへのキャリアチェンジ、端的にはヘッジファンドへの転職も含めて考えているのだがそういった事は可能か、といった質問があった。大変丁寧に質問頂いて居た事もあるし、これについては思う所もちょうどあった。こういった事もあり、今回はその時の回答をもとに「コンサル→ヘッジファンドへの転職は可能か否か」と言ったトピックについて筆者の思うところを書いてみようと思う。




○結論から言うと、コンサル→いきなりヘッジファンドは厳しい。


 端的に言えば、戦略コンサルから直接ヘッジファンドと言う進路は、殆どないと思う。また、仮に何かの偶然等で転職できたとしても、恐らく活躍するのは難しいと思う。当人にとっても居心地が良いだろうとも思えないし、折角順調なキャリアなのにそれが台無しになる可能性も高い。結論としては、コンサル→HFと言う進路は殆どないし、お勧めしづらいと言う事になる。




○なぜコンサルからヘッジファンドへの転職は厳しいのか:3つの理由。


以下に、コンサル→HFが厳しい理由を紹介する。


1、スキルセットの噛み合わなさ。


理由としてこれが一番大きい。必要なスキルセットが噛み合わない事が挙げられる。


コンサル経由で市場関連の仕事となると、株のアナリストと言う所が一番近いと思われる(債券・為替・仕組み債他の運用となると、もう完全にコンサルとは別世界になってしまう。株ならば市場分析・企業分析等の観点からコンサルからジョブチェンジが可能ではと考えるのが一般的だろう)。しかし、コンサル→ヘッジファンドで株アナリスト、と言う一番距離感の近そうなキャリアステップを考えてみても、実際の所は両者で必要とされるスキルセットが殆どかみ合わない、と言う事である。


ヘッジファンドで必要なスキルセットは、株でアナリスト採用の場合は、(ヘッジファンドの仕事は詰まる所利益を出す事に尽きるのだが)キャリアカウンセリング風に多少かっちょよく言えば、「主に会計とコーポレートファイナンス等を中心とした株式分析」となる。


具体的には市場分析、同業他社分析他、取材等定性的なものも踏まえてDCF等(あるいは必要に応じてPER、PBR他も使って)バリュエーションに落として売買判断出来る事が基本動作として必須となる。またそれだけでは株価は当たらないので、マクロ経済を理解して株価の関係を読めたり、証券市場の需給等も読める必要がある。更にはヘッジファンドだと、調査も「応用編」と言えばよいだろうか、いわゆる産業分析〜DCF等Valuationと言ったオーソドックスなアナリスト風の調査で無い事も多い(短期の株価を取るための事だけをひたすらする事等も多く、やや特殊)。アナリスト的な基本動作は身につけた上で、それを市場で比較的短いタイムホライゾンでリターンを上げると言う活動によりフォーカスした形にアレンジしてゆく必要もあるのである。


そんな訳で、コンサルティングで身につけられると思われるようなスキル、例えばMECEなロジカルな分析、プレゼンスキル、議論を上手くやるスキル等は恐らく全く活かせないと思われる。また、産業分析や競合他社比較等のスキルはコンサルで身につけられるかも知れないが、リサーチもコンサルのそれと、株価を読むためのそれは感覚的にかなり異なる。上記の通り株価を手早く捉える勘どころと言うのがあり、これを掴むのに時間がかかるだろうと思う。


更にはアナリストでなくトレーダー・ファンドマネジャーの場合、プロダクトが株以外になってしまうと更に全く別世界で、コンサルと被る要素は殆どないだろうと思われる。




2、試行錯誤して成長出来ると言う余裕の少なさ。



第二に、ヘッジファンドでは試行錯誤する余裕がなく、スキルセットの違いを埋める余裕がない事が挙げられる。


上記の通りコンサルとヘッジファンドでは(一番近そうな株アナリストのポジションでさえ)スキルセットがかなり異なるので試行錯誤の時間が要ると思われる。


しかしヘッジファンドでは収益貢献出来なかったりファンドの解約など外部・会社環境の悪化で直ぐクビになる可能性も高く、試行錯誤している余裕が中々なく、経験曲線が効いてくる前にタイムアウトになる可能性が高いと思われる。つまりヘッジファンド屋風に言えば、賭け的に不利なBetにならざるを得ないかなと言う面があるのである。この点もあり余りお勧め出来ないと筆者が考える理由である。




3、実際の事例より。


第三には、実際戦略コンサル大手から運用業界に来た人を何人かキャリアの中で見て来た実際の事例から、「余りお勧め出来ない」と言うのもある。大手の外資系コンサルでコンサルタントとしては十分な実績のある人が、ヘッジファンドも含めた運用業界に転職してきても、得てして幸せなキャリアになって居ない事も上記結論に繋がっているのである。これはコンサルとヘッジファンドがどちらがより高位な仕事か否か云々の問題ではなく、上記の通り求められる資質やスキルセットの違いによるものと思う。


コンサルタントとしてはきちんとしたキャリアを築いて来た人が、PERのEを予想でなく実績にしてしまっていたり、DCFも作れなかったり、あるいは知識面はMBAや独学等で身に着けていても何となしに知識が表層的であったり実務で要求される勘所から外れていたり、株価でリターンを取る方のセンス・フィーリングが中々涵養されずだったりして、業界2-3年目位の若手にお荷物扱いされた挙句結局よく分からないキャリアに弾き出されてしまったりと言った事例を過去に見てきた経緯がある。


まあ実務経験がない訳だし、知識面も知らないものは仕方ないし元々知的水準の高い人がコンサルをする訳であるからこれが能力値の高低を判断する材料にはならないとは思う。しかし、周囲も新卒ジュニアなら気軽に知識不足を指摘・レクチャー出来ても、ある程度シニアな人で、しかも知的水準は元々高いと思われる人がこう言う感じだと、周囲もどう接すれば良いか困ってしまうと言う面は結構あるように思う。




○それでもコンサルからマーケット関連職を得たい場合:筆者の思い浮かぶ範囲で3つの選択肢。



以上、コンサルタントからヘッジファンドと言うのは余りお勧め出来ないと言う結論になる。とは言え、どうしても投資・トレードの仕事に行きたい場合、以下のような選択肢が考えられるかと思う。




1、外資系ロングオンリーの大手等でバイサイドアナリストになる。それからヘッジファンドに行くかどうかは考える。


筆者的には可能であればこの辺の進路が一番コンサル(あるいはMBA新卒辺り)からマーケット関連職に移るには無理がないかなとは思う。その後ヘッジファンドが良いと思うのであればそちらへの転職を考える、と言ったステップである。


こう言う会社であれば、社内にある程度のvaluationのマニュアル・テンプレなどあるだろうし、セルサイドアナリストのリソースも豊富に使えるため、彼らに教えて貰ってキャッチアップする事が可能である。リサーチの方法論も、ヘッジファンドと比べればだいぶ「いわゆるど真ん中の産業分析、企業分析、Valuation」と言った基本動作に近いであろうと言った面もある。まあ外資系バイサイドも昨今人をよく切るが、それでも大概は二年位は猶予があるだろうし、ヘッジファンドよりはだいぶマシと言うか試行錯誤の余地があるように思う。


因みに日系バイサイドは各種都合により余りお勧めはしない。理由の一例としては、例えば日系だと銀行・保険・証券会社等の系列運用会社が多い訳だが、これらだと本体からお偉い様がたが降って来るので転職組の出世の余地も(いかに一流どころの外資コンサル等の出身であろうと)余りないと思われ、立派なキャリアを歩んで来た人ほどこう言った処遇に耐えられないのではないか、と言った点が挙げられる。


一方で日系バイサイドのメリットはと言えば一回入れば解雇リスクが低い事、セルサイドアナリストのリソースは相当使い放題なのでこちらから吸収が可能な面もある。日系にするなら大手でかつ2-3年の学習期間と割り切ればそれもありかなあとも思わなくもないが、筆者は日系バイサイドのキャリア構築には余り詳しくはない。この辺は各自の自己責任でお願いしたい。






2、セルサイドアナリストになり、その後ヘッジファンドに行くかどうかは考える。


コンサルタントとしてずっと手掛けてきた得意な業界等在る場合、業界知識、プレゼンスキル等を用いてこちらにいき、バリュエーションや株式分析のいろはを身につけると言った事も考えられる。セルサイドアナリストを経てヘッジファンドのアナリスト・運用者、と言うのは比較的よくあるキャリアステップではある。


但し誰もDCFの作り方やバイサイド顧客に響くような株式分析のいろは等教えてくれないし、大変に生き残り競争も激しいし、既に各セクターに名の知れた大御所が居る中で独自性を発揮しながらランキング等で上位に食い込んでプレゼンスを発揮するのは傍目に相当しんどそうである。茨の道の覚悟は要るだろうとは思う。




 3、ヘッジファンドならアクティビストファンドを狙う。


これは先にブログにも書いた通り、昨今アクティビストは往時の全盛感はなく、余り求人がないかも知れない。とは言えヘッドハンターに問い合わせてみる価値はあるかもしれない選択肢である。


アクティビスト系ファンドから求人があり、コンサル出身であり株式価値評価・株式分析等が現状専門ではない事を先方が理解した上で、企業へのバリューアップ提案のプレゼン作り等から先ずは貢献しながらDCF等は社内で学んだり独学でキャッチアップすればよい、と言ったオファーがあれば考えても良いだろう。アクティビストの場合、比較的コンサル出身のアナリストも少なくないように思う。


しかし繰り返しになるが、いわゆる普通の比較的短期のマーケットでの運用の類のヘッジファンドはコンサルからではスキルセット的に厳しいので筆者からは勧めない。企業への提案行為もあり時間軸も長く、コンサルと親和性が少ないにせよ多少はあるアクティビストに限る、と言った所である。


 
○その他:キャリアチェンジは早いうちに&昨今の労働市場は中々楽ではないかも知れない。
 
さて、つらつらと書いて来たが、最後に幾らかその他のトピックについて述べて終わりとしたい。
 
まず、これはコンサルからマーケット関連職に限らずの話だが、一般論としてキャリアチェンジはするなら早い方がいいように思う。筆者の感覚的にはぎりぎり30歳位までだろうか。
 
20代で試行錯誤して、30歳でこの道で行くと決めてキャリアチェンジして、2-3年でスキルセットの違いに順応し、35歳位でキャリアチェンジした先で実績を出す、と言う位の時間軸で行くと、まあこの位がぎりぎりかなあと言った所である。確か運用業界の転職の大御所、山崎元氏はキャリアチェンジのポイントを28歳(社会人5年)辺りで設定していたようにも思う。
 
30歳でキャリアチェンジした場合でも大概はその業界で職歴7-8年位の生え抜きの同年代が既に居るという事になる。キャッチアップするだけでも簡単ではないし、こう言った生え抜きが居る中で自身の独自性を打ち出して付加価値を出す、と言うのは結構エネルギーが要ると思う。それでも30歳位ならエネルギーもあるし何とか可能かなと言った所で、年齢がこれより上になればなるほどキャリアチェンジは不利になるように思う。試行錯誤は出来れば20代のうちにやっておいたほうが良いと思う。
 
その他の事項としては、昨今の金融業界における転職市場の厳しさも指摘しておきたい。業界内で実際にアナリスト・運用者等の職務経験が長くある者でも、昨今の転職市場は厳しいものとなっている。業界外から人材を採用するニーズが、上記3つの選択肢の中でどの程度あるのかについては筆者はあまり自信がない。転職活動をするにしても、長期戦を覚悟する必要はあるかも知れない。
 
・・・と言った所で、今回のトピックに関してはこんな所だろうか。平素どおりの散文になってしまったが、関連するかたには多少なりとも参考になればと思う。

○ヘッジファンドの中年以降のキャリアステップ その1:そんなものあるのだろうか?とは思いつつも書いてみるのまき。

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さて、本日は題名の件である。
  
筆者自身、5年後・10年後には一体何をやっているのかのうと言うのは良く分からないが、筆者ももういい年だ(この商売で30代もそれなりになると、職業人人生についてはもうそれなりに佳境である)。多少は将来の方向性なり、どんなライフスタイルを過ごしたいのかについて思いを馳せるのも良かろうと思う。

また、どうやってヘッジファンドのアナリスト・運用者といったキャリアのスタート地点に立つのかについては幾らか過去に書いて来たが、「中年以降のその後」については余り書いていなかった。この辺りについては、ヘッジファンド業界に興味のある者、あるいは既にこの「相場の仕事のラビリンス」に入り込む事になった比較的若手の皆様(Welcome to this deep "Matrix" world!)等にとっても興味のある所であろう。

そんな訳で、基本的には「ヘッジファンドにキャリアステップ?そんなものないし、戦略的キャリア構築だの定年退職に確実な老後だの安定した生活だのが好きな人がやるような仕事ではない」と言う一言に尽きる訳だが、可能な範囲で「ヘッジファンドの中年以降のキャリア、あるいは想定される”あの人は今?”的なもの」について、何回か(理想的な成功例、ヘッジファンド起業について筆者が見て来た実際、一般向けの会社員キャリア的な落ち着き所、の恐らく3回)に分けて書いてみたいと思う。


ありうる中年以降 その1:ハッピーリタイヤ、あるいはハッピーリタイヤ可能な資金でもって事業や社会貢献活動等を行う。

これは、多くの人が思い描く、ヘッジファンドキャリアの理想的なゴールと言えるかも知れない。例えば以下のような感じだ。

・生活費は所謂不労所得から:生活資金は不動産や配当・クーポン収入重視で手堅く運用し、家賃や配当等のインカムゲインにより十分に確保されている。或いはプライベートバンクに手堅くやるようにと言う事で投げてある。人によっては保有株を担保に入れて借入をしてレバレッジをかけて事業等に更に投資して勝負している人等もいる(但し、この場合担保に入れている保有株が暴落すると、追い担請求、担保株式強制売却と言った壮絶な逆回転になるので「アグレッシブな効用関数を持つ人向け」であり、個人的には余り勧めない)。もうお金のために働く必要は無い。

・自己実現としての仕事:その上で、若手育成と言う事で、若手の立ち上げたヘッジファンドで有望なもの等に自己の資産の一部を投資したり、自身はトレードせず若手運用者発掘用に自身のヘッジファンドを運営し続ける場合もある。自身のヘッジファンド運用での経験から、どんな人が上手いか・適性があり有望かと言うのは大体分かるものなので、それを活用する事になる。あるいは投資やトレードが好きな人の場合、シニアになっても自身でも現役で運用を続ける人も居る。何にせよ生活費分のインカムゲイン運用とは別に、大概は自身のヘッジファンドや見出した若手運用者に自身の資産の一部を投入しており、これが巧みな運用で増えて行くので資産も更に増える。つまり日々の生活費のために仕事をやる必要はないし、日々の生活のために仕事をやってはいない。

・慈善事業・社会貢献活動等:各自興味のある分野で慈善事業、社会貢献活動等を始める。あるいはアート分野やワイナリー運営等、大して収益にならなくても良いので「人生の豊かさ」を感じられるような分野を手掛けたりする。

こう言った層においては、ハッピーリタイヤとは言っても上記活動のために法人等作っている場合も多く、そう言う意味では引退せず「現役事業家」の場合も多い。しかし日々の糧のために仕事をする必要は無い。ちなみに、上記のような成功者でも、南の島で毎日バケーション…といった生活を、休暇で一時的にではなく何年でも延々と続けていると言った人は意外にも多くないように思う。飽きてしまうし、社会との接点が欲しくなるようである。

言うまでもなくこう言った層はいわゆるこの業界の成功者である。元々はこう言った事を若いうち(大体40代位)に実現したい!アーリーリタイヤだ!と言うアツい夢を持って(あるいは明示的にそうは宣言しなくとも潜在的にそう言った願望を持って)外資系金融やヘッジファンド業界に多くの人は入る(ないしはこの業界がもっとギラギラした輝きを放っていた頃は入った)ものだ。

しかし実際に40-50代位で実際にこの段階に到達出来ている金融同業者の日本人は、割合としてハッキリ言ってそんなに多くはない。と言うか確率で言えば滅多に居ないといって良いと思う。一見所得が高くて都心のマンションに住み子供を芸能人が通うような私立学校に通わせて週末は小型クルーザーで海に出て云々の同業者でも、その過半は出費・出る方も多いため、引退可能な状態にある同業者は存外少ないように見受けられる。学生さんや金融業界の外の異業種のかたで夢を見過ぎな向きには、これが現実なので夢を醒まして頂ければ、と言う事を告げておきたい。

ただまあ、上記に列挙したような条件を満たしている成功者がゼロではないと言うのがこの商売の面白い所で、色々な世界があるものだなあ、色々なライフスタイルがあるものだなあと言うのを身近に垣間見る事が出来る面はある。こう言う人が周囲に全く居なくてそんな生活想像もつかないと言うのと、周囲にこう言う人が実際に居る事を実感できると言うのは結構な差である。こう言った人と実際に同じ空気を吸って接しているうちにそう言った人に感化される面(いわゆる成功する人の思考に自然と触れられる等)や考えさせられる面(いわゆる成功した人でも健康や結婚関係・異性関連、子供と言った誰もが悩む所で悩んでいたりもするのを見て、幸せの定義について考えさせられる等)もあり、面白い所ではある。

さて、先ずはつらつらと「ヘッジファンドキャリア、理想形」と、「それが実現できている率は一般の人が思っているほど高くはない事」、「それでもこう言う人はゼロではないしたまにいる」と言った点について書いているうちに、それなりの分量になってしまった。今回の「理想形」はこの辺にして、次回からはより現実的な「ヘッジファンドキャリア、中年になってあの人は今」的な内容を記載しておこうと思う。

○ヘッジファンドの中年以降のキャリアステップ その2:多くの人が起業に憧れるが…ヘッジファンド起業の現実について。

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さて、前回からの続きで、「ヘッジファンドキャリア、中年になるとどうなる?xx年後の"あの人は今"」である。今回は、前回の理想形から踏み込んで、より現実的な姿と言うか、頻繁に見られる姿と言う事で、「ヘッジファンドの起業・独立の実際のところ」を挙げてみたい。


ありうる中年以降 その2:引退できる程の蓄財は無いがヘッジファンドを設立して独立する場合。

先に書いたような「勝ち組的ハッピーリタイヤ」的な状況を最終ゴールとして、そのためのステップとして「自分が一国一城の主になる、サラリーマンを卒業して独立する」と言った所を目指して内資・外資系証券や同運用会社で仕事をしている人は少なくない。そして年齢的には大体、30-40代辺りで独立する。最初は自己資金+個人的な知己・富裕層の友人知人等の資金を受託して数億円~10億円程度の運用資産によるスタートになる事が通例である。


○独立の現実:独立するだけであれば案外可能だが、問題は軌道に乗せて続ける事。

独立するのはそう荒唐無稽でもないしやろうと思えば案外出来るようで、筆者の周囲でもそう言った人は少なくない。

しかし問題はそこからだ。会社は作るのは簡単だが継続するのが難しい。会社組織が全部お膳立てしてくれて相場さえやっていれば良いという環境でも十分に難しい相場の運用を行う以外に、バックオフィスの構築や人繰り、マーケティング、金融規制対応・コンプライアンス遵守体制確立等の経営者業務、更には初期には各種雑用までも同時にこなさなければならないのである。

結果として、運用資金も思った程集まらない事に愕然とし、専門職たる運用・調査と全く異なる適性が必要な経営者業務に苦戦し、運用業務にも中々時間を割いて集中出来ず、七転八倒すると言うパターンが極めて多い。そしてよくあるパターンとしては、運用額が数億円~数十億円前半位で足踏みしてしまい、中々軌道に乗らない状態が続くかファンド閉鎖の結末である。

数億円も運用するなんて凄いじゃないかと思われるかも知れない。自己資金ならそうかも知れない。5億円の資産を配当利回り3-4%位の優良企業の株にしておけば税金等考慮しなければそれだけで年収1500-2000万円、引退モードである。

しかし、自己資金は限定的な額で主に他人のお金を数億円運用している場合、売上は運用額の1.5%程度のマネジメントフィー+リターンの20%程度の成功報酬であると言うのがポイントである。また、成功報酬は安定的な売上ではないので経営を考える際には除外して考えないといけない。

そうなると、運用額10億円では、その投資顧問・ヘッジファンドの会社としての年間売上は10億円*1.5%=1500万円の売上しかないのである。給料が年収1500万円ではなく、売上が年間1500万円である。更に個人投資家ではなくビジネスとして運用会社を運営するとなると、ここからオフィス賃料、人件費、ブルンバーグやその他IT代、弁護士・会計士等の専門家への支払い費用、プライムブローカーやファンドアドミ費用等等を出さなくてはいけない訳である。マネジメントフィーは計算上1.5%としたがもっと安い所もある。はっきり言って経営的にはかなり厳しい。従業員など雇える状態ではない。

この計算で行くとリターンが年率15%で出ても、運用額10億円*年率リターン15%*成功報酬20%=3000万円の売上で、この位のボーナスであれば会社員で運用者をしていても十分可能な額である。ちなみに年率15%と言うと簡単そうかも知れないが、実際やってみると、(のるかそるかのレバレッジをかけてたまたまラッキーでと言う事ではなくて)しかも経営者・起業家としての諸事をこなしながら「片手間で」これを実現するのは難易度の高い仕事である。

つまり10億円内外の運用額では、(自己資金ではなく顧客の資金を受託運用すると言う形では)起業するリスクと全く見合っていないのである。この位の規模感で留まってしまった場合、独立する事に対する旨みは(やりがいとか理想的な投資・トレード哲学を実践出来るとかやりたい事をやらずに人生を後悔すると言った事はなく清々しいと言った定性的な効用は別として、少なくとも経済的には)ない事が理解できるだろう。


○理想のヘッジファンド起業の成功モデルケースとは?

ではヘッジファンド起業で、前回紹介した成功者になれるような理想ケースはどう言ったものであろうか。ヘッジファンドをローンチした場合、きちんと経営が軌道にのる理想のケースと言うのは、以下のような感じである。それがいかに容易ではないかを感じ取って貰えれば幸いである。

最初に幾らかの自己資金+個人的知己等から10億円程度の資金でスタートする。有名人がアメリカやパンアジア等でヘッジファンドを起業した場合は最初から数百Million US$からスタート出来る場合もあるがこんな事例は実際には殆どなく、ニッチでひねもす日本株他日本関係のプロダクトで起業する場合は会社員時代の履歴書が相当きれいで運用のトラックレコードが相当優秀な人でも最初はこの位である。

そして先ず最初の1年の運用リターンと言うのが極めて重要になる。理想としては最初の1年で良いリターンを出し、Eureka HedgeなりAsia Hedgeなり他の賞でも良いので「新人賞」の類にノミネートされて、知名度を上げて運用金額を早期に100億円(あるいはUS$で100Million程度)に乗せる事が重要である。

なぜ最初の1年が重要かと言うと、ローンチして間もないうちは注目度も高いし、マスコミ等にも紹介して貰いやすいし、上記のようなファンドの賞にも「新人賞」的な枠があるといった具合に、顧客認知を高めるには重要な機会になるからである。2年目以降は他にも新規ローンチのファンドは毎年ある訳であるからフレッシュさ・新鮮さも無くなるし、リターンが月並みであれば顧客認知を得るのも難しくなり、マーケティングも難しくなるのである。運・実力等を総動員して最初の1年が良いものである事が重要なのである。

次になぜ100億円かと言うと、年金基金や大手のファンドオブファンズ等の大手、プライベートバンク等の機関投資家が投資先としてヘッジファンドをスクリーニングする際の最低限のハードルが100Million US$と言ったラインにある事が多いからである。自己資金や知己の資金の運用だけでは規模感的にも限界があるし、顧客が一部に集中しがちでこの一部顧客から解約を受ければあっという間に経営基盤が崩れてしまう訳で経営的にも安定しない。よりEstablishedされた機関投資家の顧客から広く資金を受託出来る事が出来るようになって初めて運用会社としての経営が安定し、まともな経営計画なりまとまった運用のゲームプランなりが組めるようになる訳である。売上についても、100億円の運用額であればマネジメントフィーだけで年間1.5億円と言う事になり、小規模組織であれば人を雇っても問題ない規模になる。

しかし、幸運と実力が功を奏して1年目で良好なリターンを出し、上記のような賞等にもノミネートされ、分散された優良な顧客ベースを確立出来る、と言った理想的なケースは必ずしも多くはないのである。そう運用が上手い訳ではないのに自信過剰バイアスで勘違いして起業してしまう同業者も居るし、上手いファンドマネジャーでも単年では自身の得意な相場つきに出会う事が出来ずに運・不運の関係で月並みなリターンや損失で終わる事もある。しかも起業の諸々、経営者としての人繰り・マーケティングその他諸事も同時にやりながら「片手間で」相場をやらないといけないと言うのがまた中々難しい面もあるのである。


○そんな訳で厳しい現実。あるいはそれに対する対策。

そんな訳で、結果として、起業したは良いが受託資金が数億円~数十億円前半位で足踏みしてしまい、経営が軌道に中々乗らない状態が続く、あるいはファンド閉鎖に追いやられると言うケース、言ってみればそう言った状況で中年を迎える”あの人は今”のケースが後を絶たない訳である。

ファンド閉鎖になっても景気が良かった頃であれば会社員復帰も出来なくはなかったが、昨今ではこれも難しくなっているように思う。「独立」するのは簡単だが、「軌道に乗せて続ける」と言うのは中々楽ではないのである。

そんな訳で軽はずみに独立を考えているかたには、「重要な意思決定になるので、よく考えてからにするのが良いと思う」と伝えたいように思う。それでもやると言うのであればそれは人生の選択だし、どうしてもやりたいのであればやらなくて悔いが残るよりは各自の自己責任のもとでやった方が人生トータルで考えれば清々しくて良いと思う。しかしゲームのルールが分からないまま突撃するのは見るに耐えない面もある。そんな訳で、「ヘッジファンド起業のゲームルール」を把握した上で、以下の点について重々各自で確認する事を筆者からは勧めたい。

-起業の動機は健全か。会社勤めが嫌だから、と言った理由だけでは長続きしないケースが周囲を見ていると少なくないように思う。

-バッファとなる自己資金の余裕がどの程度あるか(可能であれば独立前の時点で引退出来る程度の資金があるのが理想、最低でも2-3年は売上が無くても耐えられる程度は必須)。

-運用だけでなくマーケティング、人繰り、雑用(会社員時代に秘書やセルサイドに雑用や取材アポ等頼みきりだったかたはこの辺全部、人を雇える規模になるまで自身でやる事になるので注意が必要。結構煩雑だし時間も食う)他経営者業一般をやれるキャパシティが自身にあるか。あるいは経営者業をやりたい希望、経営者としても成長する覚悟が自身にあるか。

-特に初期の軌道にのるまでの間に経営者業の片手間で運用が出来る自信はあるか。

-自身の運用手法は運用額幾ら位までならマーケットインパクトやパフォーマンス劣化を気にせずに回せそうか。経営が安定する位の受託資産に拡大出来るような一定のスケーラビリティがあるか。

-自身の運用手法のエッジは独立後も維持出来そうか。会社組織の各種インフラや人材の充実、セルサイドへの支払いコミッション等が多い事や各種情報フローがある事等による情報入手等の有利さ、安定した資金力、各種経営者業や雑多な事務に煩わされずに運用に集中出来た環境等のお陰で上手く行っていた事を本人が自覚出来ておらず、独立してから痛感するケースが少なからず見られるように思う。

-好況・不況・ぼちぼちと言ったマーケットのサイクル1周のどの局面でも機能する運用戦略か。ファンドの建てつけや掲げる運用哲学が将来の展望等も踏まえた上で機能するものになっているか。たまたまマーケットが直近で自分向きの相場だったと言う事が無いかどうか。この意味では会社員時代に景気サイクル一周位は最低限トラックレコードがあった方が良いだろう。

-妥当な事業プランがあるか。顧客からのニーズがありそうな運用戦略か。顧客の設定・解約のタイムホライゾンと運用側のデュレーションが一致しているか(アクティビスト等の長期投資なら長期ロックアップをつけないといけないが、その分顧客探しも難しくなる。短期トレードならロックアップは不要だが顧客の資金の出し入れが頻繁になる。またロックアップを付けるとロックアップ期間終了時にバサっと解約が殺到するリスクがある等、テクニカルな話が幾らかある)。人繰りや経費面等で無理が無いか。当面の運用資産、従業員構成等の目標が明確か。上記諸々と照らし合わせて無理・矛盾が無いか。

-その他諸々、現実的なゲームプランがきちんとあるかどうか。

…等等、現実的に「事業・ビジネス」として考えた上で検討して頂ければと思う。こんなの当たり前じゃないかと思われるかも知れないが、実際の所こう言った基本的な所を考えないまま独立してしまい上手く行かなかった事例等も見てきた事もある。また、規模の小さいヘッジファンドに転職を考えられているかたは、面接の際にこの辺りの所が適切かどうかを確認される事を勧める。

周囲で、立派な学歴・キャリアで優秀で、会社員で続けていれば立派なキャリアで悪くない地位・暮らしも出来ていたであろうに、独立して上手く行かずハッピーリタイヤ出来る程の資金もなくその後再起もままならないまま消息不明になったり、浪人のような不安定な立場で長期間燻っていると言った”あの人は今”の中年を迎えている人も実際に居たりする。ヘッジファンドでの独立を志望する人には会社員から解放されるとか最初に書いたような夢のようなアップサイドの部分だけしか見えていないかたも時折見られるようにも思うので、この点は書いておきたいと思う。


○成功した場合でも別のトラップに嵌る場合もある。

そのほか、運用会社は上手く軌道に乗せられても、中々権限委譲や組織の確立等ができずに、先に紹介した「ハッピーリタイヤモード」に持って行けない、そのタイミングが無いまま忙しなく過ごしてしまうと言った事例も散見される。成功しても別のトラップにはまってしまうケースもあると言う事である。

これは運用者・経営者がプレーヤーのままでありマネジメントとしての適性を涵養しきれて居ない場合、自分がカリスマ・スーパースターで目立ちたいと言うエゴが中々抜けきらない場合等に散見される。勿論、運用ビジネスが好きで自身もプレーヤーとしてやり続けるのが好きで日々仕事しているのであれば良いと思うが、そうでない場合(引退したいのだが辞められない場合)も見受けられるようにも思う。この点も中々難しい所のようである。

この辺については、ゴールが前回紹介した1のような状態に明確にセットされている人は、結構計画的にこの辺りの「プレーヤーからマネジメントへの変化」「自分がスターでありたいと言うエゴとの内面的な折り合い・成熟、物理的な部下への権限委譲」等への道筋を付けているようにも見受けられる。


あるいは独立して、最低限の組織を作ったら後は社内体制整備が云々等と考えずに攻撃的な運用で数年でわーっと稼いでしまって、引退出来る位蓄財出来たらマネジメントであるとか成熟が云々等と言わないで潔く資金を顧客に返還して、ファンドを「勝ち逃げ清算」して引退すると言うパターンもある。


引き際と言うのはものを始める時よりも難しい面もあり、最初に成功すると「もっと、もっと」で戦線を拡大し、兵站が伸びきった後に”何たら危機””何とかショック”の類いの奇襲攻撃を受けて袋小路にはまってしまうようなケースも少なくないので、最初からこれを企図して成し遂げている人を見ると、凄いなあと思う。


こう言う「底で買って、天井で売る」的な神業を成功裏に成し遂げられる適性のある人と言うのは実際の所は相当に限られるので、一般の人は多分真似しない方が良いと思う。とは言え、トレード同様、独立も「入口だけでなく出口(落とし所)を考えておく」と言うのは重要な事のようにも思われる。

この辺の「経営者論」的な話は面白いし語ると色々長くなる。とは言えこう言った贅沢なイシューを抱くに至っている読者はそう多くないだろうし、筆者がこう言う段階にある訳でもないし、経験から語れる訳でもない(過去において傍からと言うか下から見上げていて気づいた点を書いているに過ぎない)。簡単に紹介するに留めて詳細は省略する。


○今回の結論。

結論としては、独立自体をゴールとするのは簡単だし案外実現も出来るものだが、それを軌道に乗せて続けるのが大変であり、軌道に乗ったら乗ったで色々なイシューはあると言う事だ。きちんと現実を見た上で、上記のような各種リスクを自身は取れるのかであるとか、人生において上記のようなイシューと取り組みたいのか否かと言う部分についてよく考えた上で決断する事が、後悔のない中年、”あの人は今”を迎える上で大切であろうと思う。

さて、こんな所で、ヘッジファンド屋さんの中年以後のキャリアと言うかありようとしての、1.一般のかたが夢描く「勝ち組最終ゴール」。2.多くの方が夢描く「独立・一国一城の主」の実際。・・・と言った所を紹介した。次回から、もう少し一般的と言うか平民向けの、ヘッジファンド勤務者特に運用やリサーチ等のフロント業務の人間の「流動的で不安定とは言え現時点で考えられる中年以後」について紹介してみたいと思う。

○ヘッジファンドの中年以降のキャリアステップ その3:ヘッジファンド業界の一般市民がシニアになってから(あくまで現在の所は)選びうる"あの人は今?"色々。

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さて、今までで、1.一般のかたが夢描く「成功者としてのゴール」。2.多くの方が夢描く「独立・一国一城の主」の実際。…と言った点について紹介を試みてみた。

今回は、更に一般的とでも言おうか、特段ドラマチックに大成功する訳でもなく、ドラマチックに起業して悪戦苦闘する訳でもなく、無名の一般市民が特段大成功する訳でもなく大失敗する訳でもなく中年を迎えた場合にどうなるのかと言う所について考えてみたいと思う(大多数のかたにとってはこの辺の所が一番身近な所でもあり、知りたい所であろうかとも思う)。つまり、ヘッジファンド勤務者特に運用やリサーチ等のフロント業務の人間の「流動的で不安定とは言え現時点で考えられる中年以後のあくまで会社員としての落ち着き先」について、現状周囲を見ていてあり得る所をやや五月雨式になるものの紹介してみたいと思う。

ただし、これらはあくまで「2012年の今の時点でシニアな人が、現状の所考えられる落ち着き先」である。今はヤングな皆様やヤングではないがシニアと言うにはまだ早い筆者のような人間が、10年20年後にどう言った先が考えられるのかと言う事についてははっきり言ってよく分からないし明確な事は言えないと言う点についてはご理解頂ければと思う。


○今のところあり得る無名の一般市民向けの「あの人は今?」について、思いつく範囲での一覧。

-シニアになってもヘッジファンドの運用者・アナリスト等の仕事を続ける。

...比較的長期に渡って自身のエッジを確保出来て、独立出来るとか大成功すると言った程には劇的に派手なものではないにせよ「それなり」のトラックレコードを積み上げる事が出来た場合、一定の知名度を確立出来た場合等はこの選択肢はあるように思う。

実際、昨今のヘッジファンド運用者で「第二世代」以前の層は既に40代~50歳内外のはずである(因みに筆者のような、30代で不況しか知らず、アニメやテレビゲームで育った辺りのヘッジファンド業界従事者は「第三世代」等と呼称される)。勿論簡単な事ではないが、こう言った選択肢もあると言う事は言えるように思う。

反射神経が必要な超短期のトレードの場合は年齢と共にしんどくなって来る面はある。しかし、タイムホライゾンを秒・分単位から、数日〜数ヶ月等のポジショントレーダー的な形に移し、リサーチなり過去の様々な相場等を良く知っている事等の年輪の蓄積が効き得る形でエッジが出るように工夫し、ストレスがかかり過ぎないようにして家族や子供との生活と両立出来るようなスタイルを確立する、と言った形に上手くシフトして行ければ、比較的シニアになっても運用の仕事をやれない事はないように思う(まあ、これが結構難しい面はあるのだが)。スポーツ選手で言えば、若い時のように反射神経や豪速球や腕力では勝負しづらくなるが、変化に富んだ配球技術や経験で補いストレッチや食生活等を気配りしてコンディションを整える事で活躍すると言った所だろう。実際に、40代以降もファンドマネジャーやアナリストとしてヘッジファンド業界で活躍されている諸先輩は既にあられる。


-ファンドオブファンズ等のアナリスト・運用者になる。

...ヘッジファンドからファンドオブファンズに移ると言うのは、現在の所比較的多いキャリアステップである。ヘッジファンドを内側から見て実際に運用・調査をして来た経験、同業者の知人や人脈等もあると言った点を活用して、「どのヘッジファンドに投資したら良いか」について調査・投資を行う側に回ると言う事である。日々相場で直接に切った張ったやる訳ではないし、過去の経験蓄積をエッジにし得る分野である事もあり、シニアになっても比較的可能な職種であると言えるかも知れない。

とは言え、ヘッジファンド業界も歴史の浅い商売であると同時に、ヘッジファンドに投資を行うファンドオブファンズ業界も特に日本においてはそう歴史の長い業界ではないし、その立ち位置も完全に定まっている訳ではない。ある程度流動的な面があると言う事は付記しておく必要があろうかと思う。


-年金セールス、ファンドマネジャーと営業のリエゾン、商品企画・マーケティング等、シニアとしての年輪と運用経験が活きる他職種に回る。
-コンプライアンス等の裏方の仕事に回る。
-元々セルサイドで知名度があってヘッジファンドにチャレンジした場合、バイサイドにいて古巣からお呼びがかかった場合等、大手セルサイド/バイサイドに戻るといった選択肢。

…上記のような既存の金融関連職種は、現在の所は「シニアの年輪が生きる、一定のニーズがある職種」と言えるかも知れないし、一定の人材の受け皿になっている。年金基金の理事や事業会社の経営者等と話をすると言った局面においては、ある程度以上シニアの方が風格と言おうか説得力も出易いしやり易いと言った面はある。今後もある程度の受け皿になり続ける事は予想出来る。

しかし証券・運用業界自体が尻すぼみになっている事、年金基金については高齢化社会の進展により払い出し超過で将来的に規模が縮小して行く事を考えると、将来的に(有り体に言えば筆者や読者がシニアになった10年後20年後に)この種の受け皿が存続しているのかと言うのは、良く分からないというのが正直な所である。


-ファンドのコンサルタントになる。
-年金基金等の担当者になる。

…この辺りの運用業界の職種は、AIJ問題等で年金基金におけるプロフェッショナルの重要性、あるいは第三者からのデューデリジェンスや評価の必要性が認識されたようにも思うので、今後人材の受け皿になる可能性はあるように思う。

現状の所、ファンドのコンサルタントや年金基金担当者で、実際にヘッジファンドの運用に従事した事のある人材は現状極めて乏しい。

一方で、世界的に成長率の鈍化に国債金利の低下、有り体に言えば「日本化現象」が進展中であり、国債を買ったりロングオンリーで株を買っておけば(いわゆるβを取る運用をしていれば)年金が増えて行くと言う時代は終焉を告げつつある。短期的にはAIJ問題等により年金基金のヘッジファンド投資の流れは中断されてしまった感は否めないが、中長期的に考えれば、国債金利も低いしロングオンリーでも厳しいと言える訳で、代替投資としてのヘッジファンド、αを取ることで年金に必要な絶対リターンを確保する必要性は高まって行くものと思われる(微妙にヘッジファンド業界からのポジショントーク、セールストークなのはご容赦頂きたい 爆)。

上記の状況を考えると、今後ヘッジファンドでの経験のあるシニアが上記のような職種に必要とされる可能性は比較的あるのではないかと思われる。

一方で、高齢化社会の進展により年金は支払い超過で徐々に年金基金のサイズ自体が小さくなっていく所も多いだろうから、仕事の数としてそんなに増えるのだろうかと言う面もある。中々判断は難しい所である。


-大学で、ファイナンス・経済学科等の講師・教授等になる。

...教職と言うのは金融シニアの落ち着き先として比較的人気がある。しかし少子化で大学の教職の席数にも限りがある。著書や論文執筆等の実績も必要と思う。今後は中々大変かも知れない。

それでも日本ではまだ実務界と教育界の交流が不足しているようにも思われるし、日本において金融を実業として発展させるには大学でこの手の交流がなされて若手が育つ環境を作る事は重要であるとも思われる。この事を考えれば、今後も一定のニーズはあるだろう。


-金融業のヘッドハンターになる。

...同業者内に人脈の多い場合等、こういった選択肢もある。しかし昔はヘッドハンターも儲かったそうだが、昨今金融業界の年俸水準自体が低下している事、採用も減っている事、ヘッドハンター間の競争激化等で、中々簡単には行かないビジネスのようである。


-事業会社の財務・IR等の仕事(元々株のアナリストだった場合等)。
-IRコンサル等、関連分野のコンサルタントになる。
-証券取引所等での仕事。

...昨今、比較的この手の転職は増えているように思う。金融業界自体、あるいはアナリスト、トレーダー、ファンドマネジャーと言った職種自体が一つのバブルで今が崩壊過程にあると考えると、バブルで大量供給された人材・スキルが、事業会社や資本市場を支える産業にて活用されるようになる事で、日本企業・日本経済の次の成長がどこかの段階で促され始めるのかも知れない。不動産バブルの発生により不動産への過剰資金流入、投資、過剰供給が為されてバブルの崩壊により起業家にもリーズナブルな賃料でオフィス供給が為されて起業が促されるとか、ITバブルの発生によりブロードバンド網への過剰な資金流入、投資、過剰供給が起きてバブル崩壊により安価なブロードバンドインターネット環境が整ってグーグル、楽天、フェイスブック等が出て来ると言った理屈と同様である。

そう考えると金融業界で働き人余り状態著しい我々も、もしかしたら次のイノベーションの礎として貢献出来るかも知れない訳である。「安価に」と言うのはアレなので脇に置いておくとして、こう考えれば悲観的にばかりなる必要もなかろうとも思うし、中年/壮年になっても中々面白い機会に巡り会う可能性もあるのではなかろうかとも思う。ケンタッキーフライドチキンのおじさんは60代で成功した訳で、まあ人生どうなるかと言うのは最後まで分からないものであるし、そこが人生の面白い所だろう。


-大学・大学院等に戻ってJob Changeする(金融業界担当の弁護士等の仕事、あるいは全く別の職種等色々)。
-違う世界で起業する。
-その他、何がしかの形でご飯を食べる(塾講師、タクシー運転手、ヨガの先生、農業、その他?)

...この辺になると、完全にいわゆるJob Changeなので、特段記載する事はない。人生を再スタートすると言う事である。それもまた人生だろう。


○結論:ヘッジファンド屋さん(あるいは時代の変化の速い中に生きる現代人一般にも?)に重要なのは、今この瞬間に集中する事。

…こんな訳で、色々と「より一般市民向けの、ヘッジファンドの民のキャリア後半戦」について考えられる所を列挙してみた。他にも考えれば色々あるかも知れないが、筆者がぱっと思い浮かぶ範疇と言う事で、この辺にしておきたいと思う。

なんにせよ、日本においてヘッジファンドと言う業界・職種は歴史の浅い分野であり、職種として確立してからまだ期間が経って居ない。日本でのヘッジファンド黎明期は90年代、職種として定着し始めたのは中小型株ブームで中小型株中心に手掛けるヘッジファンドが多数登場した2000年代中頃以降である。また、金融業界自体が今後どうなるのか不透明な面もある。

そんな訳で、結論としては最初に書いた通りで、「ヘッジファンドにキャリアステップ?そんなものないし、戦略的キャリア構築だの定年退職に確実な老後だの安定した生活だのが好きな人がやるような仕事ではない」と言う所に立ち返る事になるように思う。つまり今まで幾らか挙げたのは、あくまで現時点で想定されうる幾つかのあり得る選択肢に過ぎない。数十年先がどうなっているかなど、実際の所は分かりはしない。

時代の変化は昨今益々速くなっており、長期の見通しがつきづらい社会になっている。未来の事など分からないし、元来生きるとはそう言うものである。定年退職までの生涯収入と老後の生活まで計算出来るような気分になっていた一昔前の方が、生き物としての自然なありようから離れていたと言うか、特殊だったようにも筆者個人的には感じる。世界とは元来変化と不確実性に満ちているものなのだと思う。

そう言った中において、大切な事は、将来をやたらと憂いたり不安がったりして元来存在しない「老後までの安定」と言った実際にはありもしない偶像を求める事ではなかろう(無い物はどうやっても手に入らないであろうからエネルギーの無駄であるし、辛いだけだろう)。また、本屋に並んでいるような中身の薄い「経済的自由が云々系の本、成功哲学が云々系の本」に次々かじり付いては3日坊主で終わるような事でもないようにも思う。

大切な事は、ある程度きちんと「現実としてあり得る"あの人は今"」「こうありたいと思うような"あの人は今"的中年像」と言うのを感じたり頭の片隅程度にはおきつつも、「今この瞬間」を有意義に過ごして人生を「生き切る事」であるように思う。

筆者自身も、今まで3回に渡り色々列挙した中のどれに今後なるのか・なりたいのか等について、特段の考えを持っては居ない。ただ今出来る事・やりたい事を続ける事、今日を楽しみつつも将来にも有意義と思われる学びなり向上なりを続けていき、ご縁や自然な流れに運ばれながら自然にどこかに辿りつくだけである。辿りつく場所がどう言った場所であれ、日々悔いなく適度に楽しく前向きに過ごしていれば、その場所が「住めば都」になるだろうと考えている。

昨今、日本企業でも平気でリストラや退職勧奨等がなされ、一昔前は安泰一流と言われていた企業でも今は見る影もないと言った事が比較的簡単に起きる時代である。そう考えると、上記のような発想は、何もヘッジファンド業界従事者だけに言える事ではなく、比較的一般的に必要とされる発想なのではないかとも個人的には感じている。

そんな訳で、3回に渡ってもそもそと書いて来たような内容が、金融業界の皆様、ヘッジファンド業界に興味があるかた、既にヘッジファンド業界にあられる若手等に加えて、他業種のかた等も含めて何かしらの示唆があると感じてくださるかたが一人でも居るのであれば、「未来の不確実性とリスクを取り扱う事を生業とする実務家」の多くの中の一人として片隅で仕事をしている筆者としては嬉しく思う。

○筆者の当面の目標

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最近ブログもTwitterも多少面倒になって来ており、ブログの方は特に久しぶりの更新となる。

特段何があったと言う事ではないが、筆者もいい年であるし、キャリアアップだ履歴書磨きだといった若々しい事柄に熱中して頑張るような歳でもなくなって来た。かと言って、トレードとはヨガのプロセスで社会貢献が云々言うクレド・ビジョンの類いもそうは思うけれどもちょっと抽象的で、もうちょっと具体的にどこで付加価値を出すから自身はお給料貰ってご飯が食べれるのかと言う所を明確にしたいなあ、クレド・ビジョンの類いと日々の作業を繋げる類いの当面のゴール・目標的なものを明確にしたいなあ等と茫漠と感じていたりもした。

そんな折に、前から漠然とは思っては居たがきちんと言葉に出来て居なかった「当面のゴール」的なものが、諸々の化学反応なのか分からないが何となく浮かんで来たように思う(大げさに言えばアファメーションとかそう言う類なのかとは思うがそこまで大げさなものではない)。そんな訳で、特段の情報価値がある訳でなし、誰を対象にしたものと言う訳ではないが、以下に簡単にまとめておこうと思う。


○筆者の当面の目標

真面目なる運用者の技能を最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なるアルファファクトリーの建設に貢献する短期・中期・長期全てのタイムホライゾンにおける投資・トレードにて好況・不況に関係なく安定した絶対収益を上げる事が出来るようになる事で、以下3点に貢献したい。

1.個人・年金・大学基金・チャリティ基金等の顧客に、老後の暮らし・大学運営費用・慈善事業運営費用等に煩わされる事なく、安心して各自の人生の謳歌、教育の向上、慈善事業等に集中できる環境を作る事に貢献する。

2.株式・債券等を発行する事業会社には目先業績等を心配せずに中長期的な事業経営に集中出来る環境を作る事に貢献する。

3.これら活動を通じて、金融・運用業界の健全な発展と自身を含めた金融・運用業界従事者の自己実現に資する。』


...以下、幾らか補足したい。

運用者は「真面目」である:資産運用も製造業や他の事業と同じ、真面目な実業である。運用者は真面目でないといけない。また、コンプライアンス・法令等を遵守し、フェアに清清しく収益を上げなくてはいけない。

運用者は「技能を最高度に発揮」せしむものである:鮨職人等がそうであるように、運用者も常に技能向上に努め、これを発揮せしむべきである。

運用者は「自由闊達にして愉快」である:創造的な投資・トレードアイデアは自由闊達で愉快な環境から生まれる。バリュー投資の父、ベンジャミン・グレアムは「バカげた事や創造的な事、寛大な事」をしていたいのだと言う名言を残している。ウォーレン・バフェットも時折投資を下世話な下ネタや冗談で喩えるなど、独特の遊び心がある。運用業界の末席にて仕事をする小生も、先人のこう言った特性に習いたい。

運用者は「アルファファクトリー」である:業界内外から異論はあろうものと思われるが、短期・中期・長期のタイムホライゾンに対応出来て好況・不況に関わらず安定した絶対収益を上げられる事で、顧客・投資先に貢献出来ると小生は信じている。幾ら長期投資を標榜しても、月次・四半期・年次のパフォーマンスが不安定では顧客が不安になる。飛行機・船・タクシー等が出来れば揺れたりせず危なげなく運行されて欲しいと思うように、資金運用も同様であって欲しいと顧客が願うのは自然な事であろう。年金受給者・大学基金・慈善基金等の資金の出し手が不安を抱く事なく、各自の人生の謳歌・教育改善・慈善活動等に打ち込める環境を作る事に貢献するのが運用者のミッションであると考えれば、短期のトレードで市場に流動性を提供しながら安定的な収益を上げられる事も疎かにするものではないし、短期収益の積み上げによる余裕が得られて長期のリスクテイクも不安なく出来るものと考える。また、事業会社の経営者には「短期の株価の対応は、資金の出し手が不安にならないように運用者側で上手くやりくりしておくのが運用者の仕事だから心配する事はない。事業経営者は目先の四半期業績を作る事等に惑わされずに、中長期で社業が良くなる事、ひいては社会に貢献する事に集中すれば良い」と声をかける事が出来るものと小生としては考える。

また、目標が東京通信工業(現ソニー)の設立趣意書の引用である点については、世界情勢が不透明であり日本においては悲観的なムードも少なからず見られる現代だからこそ、戦後の焼け野原の時点で上記のような設立趣意書を書いて立ち上がった先人の勇気と知恵を拝借したいとの思いからである。(手抜きではない、決してない、多分ない、もしかしたらないと思うと言う事に、気分的に一応しておきたい・爆。他に何か航海の方位磁針となるような標語を考えようとも思ったが、この設立趣意書以上のものは凡人の小生には浮かびようがなかった。)

勿論小生に至らない点は多々あるし、毎朝起きる時は眠いし仕事終える時は疲れてグダグダしたいし、リターン等もさして目立ったものではなく、極めて平凡な大勢の同業者の一人である。また、今の仕事をいつまで続けるのか等について特段のプランが自身にある訳ではない。

とは言え、ただ仕事していれば儲かると言う業界の状況ではなくなっているからこそ「何のために働くのか」と言った原点については確認しておきたかった面もあるし、楽な業界の状況ではないからこそ前向きな旗を先ずは立ててみる事も重要なのかなとも思う。今この時点においては、これらの実現を当面のゴールとし、自然体で、感謝を忘れず、自然の流れに沿いながら日々過ごして行きたいようにふと思った。

○シンガポールでキャリアを積む事の善し悪し、馴染めるか・馴染めないかに等ついての幾つかのポイント。

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さて突然だが、筆者のシンガポール生活も早いものでもうすぐ2年が経つ。そんな折りに、最近「シンガポールで就職・転職するべきか、日本で働くべきかで迷っている」と言った相談を頂く運びとなった。ほんの少し前まで筆者自身が右も左も分からずシンガポールに越してきたというのに、時の経つのは速いものだ。

そこで、今回は「シンガポールの善し悪し」「シンガポールに馴染めるか・馴染めないかを分ける事になるいくつかのポイント」を、前半はキャリア構築について、後半はシンガポール生活全般に話を広げて書いてみようと思う。但し筆者の出自が金融業界、しかもヘッジファンドと言うやや特殊な業界であり、製造業等の状況については疎い事は断っておく。シンガポールでの就職・転職、新生活を考えられているかたに、何かしらの参考になればと言った程度でご理解頂けると幸いである。


○仕事・Career Opportunityで考えると東京よりもシンガポール。但し新卒の場合、低付加価値労働の場合、非金融業界の場合は注意が必要。

・金融業界の場合は、仕事・Career Opportunityで考えると東京よりもシンガポールだろう。

先ずは仕事面だが、こと金融業界に限って言えば、昨今は東京よりシンガポールの方が仕事があると思うし、転職の選択肢も開けていると思われる。東京は毎日リストラの話ばかりである一方、シンガポールでは多少景気が後退したとは言え、グローバルハブとしての機能は健在であり人不足気味である。東京では熟練の経験者でも職に就くのが難しい一方で、シンガポールで働いている周囲の人を見ている限りではポテンシャル採用・未経験採用で「仕事を貰いながら成長できる」と言った機会がシンガポールにはまだあるようにも思う。上手い具合にそれなりに有望なキャリアが築けそうなポジションでのオファーがシンガポールで出たのであれば、ベースサラリーが多少安いのは大目に見てでもシンガポールで仕事をする価値は(税率が低い事に加え、キャリアビルドの観点からも)あると思われる。

キャリア構築についても、こと金融業界においては、東京からシンガポールに行くのは競争率も昨今高くて中々難しくなりつつあると思われる一方で、シンガポールから東京に戻るのは、(あくまでシンガポールで前向きにスキルアップ・キャリアビルドに励めばの話で、あくまで金融業界に限った話ではあるが)比較的可能と言おうか、少なくともシンガポール勤務によってその後の東京でのジョブサーチが著しく不利になるという事は無いだろう。東京とシンガポールの両方で似たような仕事をするオファーを同時に貰った、と言った状況なのであれば、シンガポールでの仕事をチャレンジする価値は十分にあるだろう。


・一方で考慮点も幾つかある。新卒、低付加価値労働、非金融業の場合等。

但し、一方で考慮点も幾つかあるので以下に列挙する。


-新卒の場合。

先ず新卒の場合である。

帰国子女など英語が出来、海外の大学等で学んで海外でのインターン勤務経験等も既にある学生で、低付加価値な単純作業ではなくきちんとしたキャリア構築機会のあるような仕事でオファーが貰えた場合は、最初からシンガポールでも差し支えないと思う。シンガポールは海外の中では比較的馴染むのが容易な「イージーな海外」の部類と言えるし、インターナショナルな環境で過ごす事に慣れていれば比較的容易に社会人のスタートが切れるだろう。但しこの場合、日本的なビジネス慣習・マナー等については完全に疎くなってしまうため、日本に戻る事を考えられている場合は、その際にカルチャー面のギャップで悩む事になる可能性はある。この点は留意して頂ければと思う。

一方で、海外経験のないいわゆる「純ドメ」の場合、「社会人デビュー」と「海外生活」と言う2つのハードルを一挙に越えなくてはならない事になり、かなりチャレンジングになる。日本の大手企業のような懇切丁寧な新卒教育体制等も、大方のシンガポール現地企業では期待しづらいであろう。日本で生まれ育った海外在住・勤務経験のない一般的な日本人の場合、最初の社会人のイロハやコアとなるスキルセットは日本で身に付けて、それからシンガポールや香港等での勤務を目指す、と言う方が(個別の事情で結論は勿論変わりうるが)一般論としては妥当な場合が多いだろう。


-低付加価値労働の場合。

次に単純作業・低付加価値労働の類についても注意が必要である。例えば飲食業のウェイター・ウェイトレスの類、コールセンターでの日本語での受け答え、アルバイトでも業務遂行可能な類の一般店員、その他いわゆるオフィスワーカーでも一般事務等の仕事だと、シンガポールでは日本では考えられない位の「薄給」になり、昇給機会も限られる。これはシンガポールの給与が安すぎと言うよりは、日本の一般労働者に対する給与がその付加価値の程度の割に高過ぎなのだと言った方が良いかも知れない。こう言った事情もあるので、アジアのメイン拠点を日本から香港やシンガポールに移転する動きが加速しているのであり、雇用が海外に流出しているのである。

シンガポール(ないしは恐らく香港等も)では、低付加価値労働者に対する待遇は極めて厳しいものがある。日本だと、総合職の入口として最初の社会人のイロハの学習として雑用もやらせるが後々ちゃんとキャリアアップの機会がある、と言った事もあるだろう。しかしシンガポールだとそうは行かない面があるようにも見受けられる。入口として「使い捨て」のポジションで採用されてしまうと、キャリア的に後が無くなってしまう面があろうかと思う。つまり、極めて安い時給・給与でコキ使われて、ローカルのシンガポール人や日本以外の国から来た外国人対比での付加価値も出せずキャリアアップもままならず、キャリア面等の成長機会等は全くあるいは殆どない、と言った袋小路の状態になりがちなのではないかと言う事である。この点注意が必要である。

こうなってしまうと給与も安いため生活するのでも四苦八苦、昨今シンガポールの物価水準も家賃を中心に高騰しているため蓄えも全く貯まらず、キャリアビルドも出来ないため日本に帰っても仕事がなくて日本帰国もままならない、と言った事態に陥りやすいように思う。シンガポールは、吉野家やコンビニのバイトで時給1000円(15SD)も貰えるような「一般労働者に優しい国」ではない。単純労働しか出来ない人は、可能な限り「労働者に優しい国、労働法規が労働者有利になっている国、ニッポン」で高い時給の恩恵を受けた方が良いだろう。

-金融業界で無い場合、製造業等の場合。

金融業界の場合、人材の流動性も高いし、地域間での人の移動も少なくない。地域が変わってもやる事は大差ないと言う面もある。このため、例えば一旦は香港やシンガポールで勤務した者が何かの事情で日本に戻りたくなった場合も、昨今労働市場の状況が大変厳しいので楽ではないにせよ、少なくとも海外で勤務していたと言う事が日本に戻る・シンガポール以外の国で働く等の選択肢も考えた際に不利に働く事はそう無いだろうと思う。(とは言えまあ、昨今東京のジョブマーケット自体が冷え込んでしまっているし、シンガポールもすっかり気に入ってしまったので、筆者個人的には片道切符かなと言う気持ちでやってはいるけれども。)

一方で、製造業等の場合で、日本企業からの一時的な海外駐在派遣ではなく、シンガポールへローカル採用で就職した場合、「次のキャリアの出口」が見出しづらい面があるかも知れない。この点は注意が必要である。

日本企業の場合は新卒生え抜きを重視する面も強いだろうし、労働市場の流動性も低い。いったん転職してしかも海外に出てしまい日本企業の新卒一括採用・生え抜き重視のカルチャー・レールから「外れて」しまった人材を受け入れられる素地は、これだけグローバル人材の重要性が叫ばれている昨今においてさえ必ずしも出来上がって居ないようにも見受けられるのである(そんな事で日本企業が生き残ってゆけるのか、それで良いのかと言った「ベキ論」は今回の主題から逸れるので省略する)。給与水準についても、ローカルハイヤーだと往々にして日本よりも安くなりがちで、一般的なローカルハイヤーだと、例えば日本で家が買えるような所まで蓄財するのが難しい面もあるかも知れない。そんな訳で、何かしら応分の付加価値・特殊な強みがあれば別だが、日本に戻りづらい・片道切符になってしまいがちの面はあるかも知れない。

そんな訳で、日本企業の派遣駐在員等の立場で期間限定で地位も守られた状態でシンガポールに来る際は深く考える必要もないだろうが、ローカル採用として本格的にシンガポールに移住を考える際にはこの点は良く考える必要があるだろう。つまり、一回海外に出たからには外資系メーカー等を転々としながら海外でキャリアアップすると言った覚悟が必要になるかも知れないし、それに応じた語学力やスキル面でのEdgeを磨いてゆく必要が出てくる可能性が高くなるといった事柄への考慮が必要になるかもしれないと言う事である。入口を考える際は、出口・落とし所も考えておく事は、株のトレードに関わらずキャリア構築においても大切であるから、この点記載しておきたい。


○生活全般での留意事項:「シンガポールに馴染めるか・馴染めないか」の分け目になりそうな項目幾つか。

仕事面について記載したので、次は生活全般における「シンガポール生活の善し悪し」「シンガポールが好きになれるか馴染めないかの分かれ目になりがちなポイント」を、筆者の思い浮かぶ範囲で幾つか列挙しておきたい。

筆者個人的には、シンガポール生活は非常に心地よく、お陰様でエンジョイさせて頂いている。筆者の場合、夏も好きだし、インターナショナルで開放的な雰囲気でかつアジアなので黄色人種でも居心地が良く適度にほおっておいてくれるし、適度に陽気でせかせかしない感じが気に入っている。景気も良く、黄色人種・日本人への差別もなく、治安も良く、適当な英語でも通じるし発音云々で見下されたりする事も余りなく、子供の教育等の面でも困る所もなく、日本食レストランやスーパーも豊富で、日本人コミュニティも確立しており医療等も(値段は高価だが)日本語で対応してくれる所がある事等を考えると、海外の中では「One of the easiest海外」であると考えて良いだろう。

しかし、シンガポールが好きになれない・馴染めない日本人も少なからず居るのもまた事実である。

そんな訳で、以下にシンガポールに馴染めるか馴染めないかの分水嶺となりそうなポイントを、思いつく範囲で参考までに幾つか書いておこうかと思う。下記とどの程度折り合いを付けられるか、と言った所が、「シンガポールを楽しめるか否か」を分けるポイントだろうと思われるので、参考にして頂ければと思う。


・シンガポールの”ある種の適当さ”に馴染めるか否か。

シンガポールが嫌になる人のパターンとしては、良くあるのが「シンガポールの”ある種の適当さ”に我慢ならない」というパターンが挙げられる。

待ち合わせすれば30分位は遅刻して当たり前、仕事が残っていてもローカルのシンガポール人は余り遅くまで仕事しない、職場が忙しくてもMedical Leaveも可能な限り取るような人も散見される、一部の優秀な人は優秀だけどそれ以外は日本の基準で行くと余り仕事熱心でもない、清掃業者や配送業者等のオペレーションがいい加減、自分が悪くても中々謝らない、と言った具合で、細かい点を挙げるときりが無い。むしろ日本が全体的に「きっちりしすぎる位几帳面」と言えるようにも思われる。

これらの点については、シンガポールはライフワークバランスを重視する人が日本よりも多い、景気も良いためそこまで必死に細部に渡り正確・丁寧に会社・仕事に奉仕しなくても生計位は何とかなってしまう、容易に自身の非を認めると不利になるので日本人のように簡単には自身の非を認めないのはシンガポールに限らず海外の一般的傾向、と言った背景があるという事で納得する以外ない。几帳面で、こう言う事にイライラしてしまうタイプの人にはシンガポールは余り向かないように思う。逆に、南国で、景気も良いし、多少の事は余りきにせず陽気に稼ごうね、と言った人には比較的向いているかと思う。筆者も当初は相応に面食らったが、慣れはあるように思う。


・経済は先進国入りしたが文化面が未成熟・発展途上である事に馴染めるか否か。

その他、「文化がない」と言う所を好きになれない人も居る。特にヨーロッパに住んでいて欧州での生活が好きだった人、ニューヨークに住んでいてArt/Entertainment関係が凄い好きな人、日本のハイレベルの食文化・レストラン等に慣れている人、服飾・ファッション等が好きな人には、この点が好きになれない人が少なくないようである。皆税金が安くてお金儲けし易くてPolitical Riskも低いからビジネスライクな理由でシンガポールに住んでいるだけで、味気ないと。

この点については、まあ歴史の短い国であるし、ここ10-20年位で経済成長ありきで急成長した国だし、文化面が無いとまでは言わない(良く見ればちゃんとある)が成熟していないのは仕方ない面はあろうかと思う。ニューヨークやパリ、東京と比較するのはちょっと無理があろうかと思う。服飾や食文化等に変化・奥行きが乏しいと感じられるのは、南国で四季がないと言う、立地上仕方ない面もある。

とは言え、シンガポール在住者からすると、それでもここ数年で相当改善していて、最近ミュージカルやコンサートの類も明らかに力が入っていて増えているし、有名ミュージシャンのライブツアー等でもシンガポールに来るようになっているし、レストランの質もここ数年でかなり改善しておりミシュランで星が付いている店も少ないにせよ出てきている。おしゃれなカフェ等も増えているし、一昔前はTシャツにビーチサンダル、ノーメイクで闊歩していたシンガポール人女子などもここもと徐々におしゃれになってきたりしている。寺院なりシンガポール地元のソウルフード、昔ながらのシンガポールの街並みと言った「地元文化」も良く見ればある。この辺は考え方次第かな、と思われる。


・「四季がない」事に耐えられるか否か。

当たり前だがシンガポールは(雨季傾向・乾季傾向、暑い、プールで泳ぐにはやや涼しい等の微妙な差はあるが)ずっと夏である。季節の変化がなく、服もずっと夏服のまま、季節の食材を使った変化に富んだ食事、と言ったものもない。なんだかずっと居ると、まったりと始終暑い南国の空の下、変化がないまま気づいたら時間が1年、2年と経過している、と言う感じになりがちでもある。温泉もないしおでんに熱燗で一杯の楽しみもない。暑いのが身体的に苦手な人にも、ちょっとしんどいかも知れない。

まあ、こればかりは仕方ない。シンガポールのチャンギ空港も非常に使い勝手が良いので、時々四季のある国に旅行にでも行って楽しむ、と言う他ないだろう。場所的に、周辺のアジア各国等も旅行し易いし、楽しもうと思えばそれはそれで楽しめると思う。


・「東京23区位の広さしかない」「世間が狭い」事に耐えられるか否か。

これもまあ、そうなものは仕方ない。利点としては、どんなに遠距離通勤でも1時間以内で通勤可能で大概は30分以内で通勤出来る、買い物・繁華街などコンパクトにまとまっており便利と言う事がある。良い部分もある。

しかし、逆に言うとシンガポール国内に居る限りは夜の遊び場等も含めてこの範疇で遊ぶ事になり、選択肢が限られると言う面は否めない。シンガポールに住んで1年もすれば大体行く所も固定化してしまい、やる事も映画・買い物・外食・旅行・その他何がしかの趣味なりスポーツなりと言った具合で固定化してきて、だんだん飽きてくると言う面はあるかも知れない。

更には、「世間が狭い」と言う面もあり、繁華街を歩いていると友人知人、果ては昔の彼氏彼女に不倫相手やらに遭遇する可能性も日本・東京等に居る際よりもかなり高い。この点を愚痴る日本人も少なくない。まあ気持ち的には分からなくもない。

しかし、少し考えて欲しい。皆さんが日本に住んでいる・いた時、「映画・買い物・外食・旅行・その他何がしかの趣味なりスポーツなり」以外の何だか物凄く楽しくて充実した事をしていた人がいかほどにいるだろうか。筆者の見立てでは、こう言う愚痴を言う人の8割がたは日本でも愚痴っているだけでリア充ライフを過ごしていたとは考え辛いようにも思われる。シンガポールで遊ぶのに飽きてくれば海外旅行をすれば良い。チャンギ空港も便利だし、金曜夜の便でタイやバリ島等に出かけて日曜夜に帰って来ると言った事も出来る。温泉が恋しくなったら休暇の際に日本に旅行すれば良い。趣味のクラス・集まり等も、ヨガにダンス、各種ジャンルの音楽に各種スポーツ、料理に果ては茶道等まで一通り揃っている。加えて日本のテレビや映画等も簡単に観られる環境にもある。日本語の書籍も簡単に買える。ここまで日本人にとって恵まれた海外はそう多くはなかろう。ものは考えようである。

とは言え、「世間が狭い」事の窮屈さと言うのは、シンガポール在住が長くなると感じる面はあるかも知れない。日本人コミュニティとなると非常に狭いし、更には日本人コミュニティかつ同業者、等と言うと本当に狭くなる。例えば男女関係などで狭い世間で余りドロドロした付き合いを後先考えずにしてしまうと、後々気まずい思いをするかも知れない。

この点については、「君子の交わりは淡きこと水の如し」で、シンガポールにおける人間関係に対する距離感の取り方を工夫する等と言う事になるだろう。


・「一人身向けの香港、家族向けのシンガポール」と言った点についてどう捉えるか。

海外勤務経験者の一般的な意見として、「一人身向けの香港、家族向けのシンガポール」と言った事はよく言われる。つまり、香港の方が感覚的に独身者が多く、夜遊びや出会いの場も充実しており刺激的で楽しめる場所である一方で、シンガポールはナイトスポットは香港より貧弱だが緑が多く空気もきれいで治安も良くて教育インフラも充実しているためファミリー向けだと。筆者は香港で勤務した事がないので両方を比較した上で意見を述べる事は出来ないが、確かにまあこう言う面はあるのかも知れないな、とは思ったりもする。

例えば、シンガポールに住んでいる日本人は、既婚者が多いように感じる。つまりは、男の立場から「おおっあの女性美人じゃね?日本人?」と思ってもいわゆる「駐妻」のケースが少なからずあり、女性の立場から「おおっあの人日本人かな?イケメンじゃね?」と思っても駐在員の妻帯者であるケースが多いように思われる、と言った事が挙げられる(上に書いた通り、シンガポールの日本人内で不倫劇等をやると、狭い世間で大変面倒な事になるので筆者としてはお勧めしない。各自の自己責任で。)。

更には、独身であった場合でも日本企業の駐在員としてシンガポールに赴任している人の比率が高いため、せっかく出会いがあっても短期間で日本に帰国してしまうと言ったイシューもある。投資ユニバース、ならぬ異性とのお付き合いユニバースを日本人に限定した場合、こう言ったイシューに直面する事は少なくないように思われるのである。

その一方で、既婚者・子供持ちの人のシンガポールに対する感想は総じて明るい。教育費が高いのはネックだが教育自体は充実しているし自然と英・中・日のトリリンガル環境で育てられる、家政婦も安く雇える、ママ友も出来る、子供の急病等の際も日本語で医療が受けられるので安心、治安も良いし緑も多いし、等等と言った所である。

つまり、香港とシンガポールを明瞭に比較分析した訳ではないが、シンガポールに2年間、独身男として滞在してみた感覚としては、確かに「シンガポールはややファミリー向きかも知れないな」と感じる要素はあると言う事である。

まあ、そうは言っても独身者も出会いが全くない訳ではないし、語学面の制限や向き不向きはあるが恋愛ユニバースをシンガポール人、英語・日本語等も話せるバイリンガル・トリリンガルの中国人、エクスパットでシンガポールに住んでいる欧米人等にまで広げれば選択肢は広がる。また、既婚者で子供も居る場合はシンガポールはかなり恵まれた場所だと考えて良いだろう。この辺もまあ、考え方次第と言った所だろうと思う。


・・・以上、カバー出来ていない論点・ポイントも多くあろうかと思われるし、あくまでも筆者の個人的な感想に過ぎないが、小生が思いつくのは、こんな所だろうか。まあ筆者個人の感想としては、色々善し悪しあるが、全体的に考えてみれば、最初に書いたとおりで非常に気に入っているし、シンガポールと言うのはいわゆる海外の中では一番過ごし易い部類の海外の一つかと思われる。以上ご参考まででした…


○「良い時期に良い場所に居る」とはどういう事なのか? その1:外部環境の”良い時期・良い場所”について。

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最近、「良い時期に良い場所にいる事が重要」と言った事をツイッターで何度か呟いた所、比較的反響があった。今回はこの点について書いてみようと思う。


○円滑なキャリア・人生を重ねる上で重要なのは、「良い時期に良い場所にいる事」。

筆者は末席ながら中小型株など含めて延べ1000銘柄以上の企業を過去取材して企業の栄枯盛衰や経営者・起業家等の人生模様を観察する仕事をして来た。また、同業者についても経済的に成功した人、いったん成功したが異界(?)行きとなった人、知識やスキルは高いがボチボチ・いまいちな人、全般にボチボチ・いまいちな人など色々な人々が筆者の前を来ては過ぎするのを気づいたら10年以上眺めていた事になる。そうやってこの株式市場と言う栄枯盛衰・祇園精舎の鐘の声の縮図のような世界と関わる中で実感した事がある。

それは、相場においては「良い時期・タイミングに良い場所にいる・良いポジションを取る」事に尽きるのと同様に、円滑なキャリア・仕事を重ねる上で重要なのは、「良い時期に良い場所にいる事」であるという事である。つまり単に知識が沢山あり資格があるとか、秀才で優秀だとか、偏差値が高い・高かったと言った事柄は、少なくとも経済的・私生活等も含めた人生全般における成功のためのKey Factorではないと言う事である。この点から勘違いしている人でひとかどの人物になっていると言う事例を筆者は余り見ない。

「良い時期・良い場所」。この言葉の出所は筆者ではない。元ゴールドマンサックスのプロップトレーダーで、少し前までヘッジファンドのゼンパーマクロを運営していたクリスチャン・シバ・ジョシーの言葉である(注)。言い得て妙、名言だなあと思う。


○「良い時期」「良い場所」とは?

では、「良い時期」「良い場所」とはどういう事だろうか。

筆者の定義では、「良い時期・良い場所」について二つの定義を持っている。一つは「外部環境の良い時期・良い場所」、もう一つは「個々人の人生のタイミング、置かれた境遇等の良い時期・良い場所、つまり内部環境・個別要因における”良い時期・良い場所”」である。以下に、外部環境、内部環境に分けて「良い時期・良い場所」について記載したい。内容が多くなりそうなので、恐らく数回に分けて書くと思う。


○外部環境の”良い時期・良い場所”の定義。

外部環境の良い時期・良い場所とは、例えば以下のようなものを指す。

-マクロ経済がボトムから回復に向かう正にその時のその国・地域。
-民主化・若い人口動態・外資導入等により新興国が先進国に移行していく正にその時の国・地域。
-黎明期から成長期に移行する辺りの業界。例えば80s~90s前半位の外資系金融東京支店。
-スタートアップから成長期に移行する直前、上場する手前位の企業。
-窓際職種・安月給のオタク職種から花形職種に移行する直前位の職種。

言ってみれば、「マイナーでうだつの上がらない状態から、スポットライトが当たり始めるまさにその過程」「カネが無かったのが、丁度大量のマネーが流入し始める正にその過程」位のタイミングである。

2000年代の前半、日本経済がボトムから回復に向かう正にその時に、ある同業者は低利でフルローン全開で不動産を買い、ひと財産を作った者がいる。シンガポール人はただその国に住んでいただけ、たまたま建国直後に一戸建てを買っていただけで今や5-10億円長者である。業界・企業だとITバブル崩壊直前、上場直前に上手く新興企業に入社出来た者だと一般平社員・秘書などまで応分の株を貰っていて数千万円~億円単位のお金を得た者も居る。80年代には当時冴えない職種だったらしい株式調査部に配属されてもそもそと統計資料に埋もれていて会社もサボりがちだったような当時の若者は、90年代の間接金融から直接金融のシフトや投資家の機関化の進展等に伴い「アナリスト」として花形の高給取りになった。

こう言った人たちは、勿論中には虎視眈々と「まさにその時」を意識的に狙って経済的に成功した者もいるにせよ、少なからずは「たまたまその時期にそこに居たから成功した」と言う事である。しかしその時期にその場所に居れば(それが持続可能か否かと言う問題、私生活での幸せと言ったものと得てして両立出来なかったりしてバランスを崩しがちだと言った問題もはらむものの)実際金銭的な観点に関して言えば、一時的にせよ成功するものなのである。

これを「人生所詮運だ」等と嘆く人もいるが、嘆いた所で何の意味もない。人生そう言うものなのだ。ただその時にその場に居ただけで幸運を享受する事もあればその逆もある。人生そう言う面があるというのは変え難い事であり、これを受け入れる事から全ては始まると思う。

また、上記のような「黎明期から成長期への移行」だけでなく、逆に以下のような「成功・バブルが弾ける瞬間」「成熟・衰退後の残存者メリット享受・需要の復活」と言った局面も、チャンスを上手く捉えられれば”良い時期・場所”となりうる。

-バブル崩壊・経済崩壊の一歩手前。
-衰退・リストラが長期間に渡り続いていて、残存者メリットが出始める辺りの業界。

前者の例では、日本人ではソロモンブラザーズで日本のバブル崩壊にBetして巨大な利益を上げた明神茂氏が居る。氏はソロモンブラザーズにて(東京支社ではなくグローバルの)経営陣にまで上り詰め、現在はヘッジファンドを運営している。また、最近の例ではサブプライム崩壊で利益を上げたポールソン等が有名である。

こう言ったパターンだと、「たまたま」で利益を上げるのは中々難しく、「長い長い無名期間を経て、ついに花開く」と言うパターンが比較的多いだろうか。明神氏は1989-1990のバブル崩壊で利益を上げたが70年代から証券業界で仕事をしていたし、ポールソン氏は80年代よりコンサル・投資銀行・ヘッジファンド等を転々としてサブプライム危機の前はイヴェントドリブン等を手掛けており、比較的目立たないヘッジファンド業界の一人、と言った程度であった。

後者としては2000年代前半~中盤の鉄鋼業界・海運業界・資源会社(日本の場合商社)等が挙げられる。これらの業界は90年代は供給過剰で苦しみ、販売価格はずっと低迷しており、リストラや生産能力の縮小・供給能力の削減・バランスシートの劣化・業界再編等がずっと続いていた業界である。そこに2000年代に入って中国と言う巨大需要が発生した事で一気に需要が増大し、再度時代の寵児へと返り咲き、ボーナスも増えたというパターンである。株価も大きくドライヴした。就職等でも学生に人気の業種に返り咲いた。(まあぼちぼちピークアウトかな等とも思う訳だが、それはここでは置いておこう)

他にも例は色々あるだろうが、「外部環境における良い時期・良い場所」とは、言ってみれば、外部環境の変化率が一番大きい辺りと言う事だ。ボラティリティイズフレンド、ビッグチェンジのタイミングはチャンスなのである。オプションで言えばガンマロングのオプションの価格が一気に数倍に化ける手前のあたりの時期に、オプションのロング的なポジション・立ち位置を確保しておく事が重要だということである。それを具体例で説明すれば、大まかには上記のような状況が「外部環境の”良い時期・良い場所”」と言う理解を筆者はしている。

次に内部環境・個別要因における”良い時期・良い場所”について説明したいと思う。上記のような「外部環境」については実は重要度としては必ずしもそれ程には高くなく、実際の所は「内部環境・個別要因における”良い時期・良い場所”」と言うのが非常に重要だと考えて居る。とは言え、文章もだいぶ長くなったので次回に回すことにしたい。


注:出所はこちら。



成功したヘッジファンドマネジャーのインタビュー集である。Amazonで星1つになっているが、これは最悪の翻訳者による、グーグルの自動翻訳以下と思われる翻訳の酷さのせいである。原著者はファンドオブファンズの運用者できちんとした知識をベースにして取材しているし、原著の内容自体はマーケットの魔術師と並べて良い位大変に良いと思う。興味のあるかたは原書を当たるか、翻訳の酷さを割り引いて何とか日本語で読むかして頂けると幸いである。

○「良い時期に良い場所に居る」とはどういう事なのか? その2:内部環境・個別要因としての「良い時期・良い場所」について

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さて、次は「個々人の人生のタイミング、置かれた境遇等の良い時期・良い場所、つまり内部環境における”良い時期・良い場所”」について解説したい。


○内部環境・個別要因の”良い時期・良い場所”

先に述べた「外部環境における”良い時期・良い場所”」については、そこに属していれば確かに追い風で上手く行くだろうなあ、そう言った業界なり仕事なりを予測して先回りして発見したいなあと言った発想は比較的少なからずの人が考えるようにも見える。インダストリーライフサイクルやポーターの5 Forces等、良い時期・良い場所を理詰めで調査・分析する手法もある程度確立している。(実際、”良い時期に良い場所に立つ”と言う事を実行に移すとなると中々胆力が要るものの)「外部環境」で良好な位置を探すだけなら、乱暴な言い方をすればある程度は「技術・知識」でどうにでもなる面はある。

一方で、「内部環境・個別要因における”良い時期・良い場所”」については比較的見落とされがちのように思う。感覚的には、外部環境を予測して先回りする事ばかりを表面的に追いかけてしまう人が少なくないとでも言おうか。

しかし、外部環境と同等かそれ以上に重要なのは、「個々人の人生のタイミング、置かれた境遇等の良い時期・良い場所、つまり内部環境における”良い時期・良い場所”」であると筆者は考える。そこで、この点については比較的字幅を割いて説明したい。

内部環境における”良い時期・良い場所”についても、幾つかあると考える。今回は先ずはその一つを例示したい。


○「何が好きで何が得意なのか・何をやりたいのか」が明確になった時期に、その分野・その場所に居る事。

最初に述べておきたいのは、最初に何にも増して重要なのは、「外部環境の前に先ず自分自身、己をきちんと理解する事」「何が好きで何が得意なのか・何をやりたいのかが明確になった”時期”に、その分野・その”場所”に居る事」だと言う事である。今回は、この点について幾らか長々と書いてみたい。興味がある方はおつきあい頂けると幸いである。

経済的成功と言ったそっち系の話題の話をすると、成長する国・地域はどこか?税金も安いし何か繁栄してそうなシンガポールか?シリコンバレーか?他の新興国か?成長業界はどこか?投資銀行?ネット関連?職種は何が流行るのか、アナリスト、デリバティブ、証券化、M&A、ヘッジファンド?等と、外部環境的に「追い風っぽい場所」を探す事ばかりに腐心していて、儲かる場所を探して頻繁にジョブホッピングをし、何がしたいのか傍から見ても本人自身もよく理解していないような人がどうしても散見されるように思われる。ビジネス・企業でも同様で、売れそうな商材・分野に飛びついては結局強みを出せずに失敗、を繰り返すような所は少なくない。

こう言う人・企業は、「次にどこが来るのか、ブレイクするのか予測して、先回り出来れば儲かる、それが重要だ」と考えているように見える。確かにまあ、株のトレード等の「お金をあちらからこちらに移せば良い事、ダメなら損切りして次に行けば良い類のゲーム」ではこれはある程度は言える。

しかし、仕事・キャリア等でこれを単純に適用するのは筆者は賛成しない。理由は幾つかある。今回はこの理由を述べる中で、「内部環境・個別要因における”良い時期・良い場所”」について考えるきっかけを提供出来ればと思う。


-「仕事・キャリアは株のように流動性が高くない」かつ「過去の経歴が将来の経歴に影響を与える経路依存型のゲームであり株のようにトヨタを損切りして次はネット関連、と言う訳には行かない」と言う面。

株の場合は、好きなだけびゅんびゅん売買すれば良い。しかし、キャリアの場合は、転職するにも金融のような流動性の高い世界でも2-3年に1社位が限界である。

また、同じ分野であれば金融等の場合であれば比較的価値も維持向上が図りやすいが、全く違う分野を短期間でジョブホッピングばかりしていると価値が看過できない程に下がる。履歴書がどんどん長くなる一方でそこにある程度の一貫性がないと、「何がやりたいんだこの人は」「このひとの専門はなんなんだ」と言う雰囲気が否応無くにじみ出てしまい、次第に誰からも相手にされなくなり易いという事である。

更には、いったんある職種・分野を手掛けたらそれを変える事が出来る・色々試行錯誤出来るのはせいぜい30歳位までであり、30代以降で未経験の仕事をするのは相応に厳しくなる。40歳になったらキャリアアップ云々は概ね終了と考えて良いだろう。転職自体も容易ではなくなる。

もっと言えば、大手企業から小規模のベンチャーに移ったり独立したりする事は移った先・独立した先で成功するか否かを別にすれば比較的簡単に可能だが、基本動作から学び直したい・失敗したから働く口を確保してやり直したいからベンチャーや個人商店から大手企業に入社したい等と言う事は特に日本の場合は非常に難しい(殆ど無理だろう)。だから一般的には「最初は大手企業に入って履歴書・信用・ベーススキル等を磨いてから小規模ベンチャーに行ったり独立する方が良い」と言うアドバイスを年配者はするのである。筆者の考えでも「今時終身雇用で一生安泰等と考えて大手企業に入るのは危険だが、特段物凄くやりたい事がある訳でなければ、キャリアステップの最初の一歩、学習・キャリア模索の場として大手企業を選ぶのは妥当」だと思う。

こう言った「流動性の低さ、タイムホライゾンの長さ」「物事の順序」と言うものがキャリア構築にはあるのであり、比較的低コストで損切り・利食いしては短期に頻繁にポジションを変えられる株のトレードとは全く異なる点である。こう言ったゲーム特性の違いを理解した上で、詰まる所「何度か弾は撃てるが、幾らでも弾が撃てる訳ではない」と言う事を理解して、きちんと腰を据えてキャリア構築・職業選択については考える必要がある。

そして、腰を据えてキャリア構築・職業選択について考えるとなると、外部環境の分析もいいが、それ以前に「本人自身が何が得意なのか、何をしたいのか、何なら楽しくやれるか」と言った点について考える事は不可欠である。第一には上記のような理由から、「外部環境の前に先ず自分自身、己をきちんと理解する事」が重要であると筆者は考える。


-「視点が表面的になり、どうしても参入タイミングが遅れがちになる」と言う面。

また、表面的な理由で儲かりそうな分野を探しては移ると言うやり方では、どうしてもブームの後半からゲームに参加する事になりがちで、ゲーム的に有利な展開で進められないという面もある。業界内部者・職種内部者よりも、視点や知識が表面的になるしブームが分かるのが遅くなりがちのように思う。

儲かる話と言うのは、大概の場合はそれが一般に明らかになるだいぶ前から「兆し・黎明期・助走期間」と言った形で底練りを続ける時期がある。元来その時期(の出来れば後半、成長期入りする直前位)から参入するのが一番良い訳だが、表面的に儲かる事ばかり求めて右往左往する外部の人間にはこう言った段階の「きざし」と言うのは中々目に入らない。その時点では儲からないし、地味だからである。

一般の目にも分かりやすい形で情報が入ってくるタイミング、例えばマスコミで成功者が話題になったり、学生の就職ランキングで上位に入ったりするようになるのは、得てして成長もピークアウトに達しつつある時が多い。また、既に競合もひしめいており、企業であれば多数の参入者も出てきているだろうし、仕事であれば高学歴・ハイスペックの志望者が大挙しているだろう。競合が多くなると自身が提供出来る付加価値はどうしても減りがち・有り体に言えば価格競争等にもさらされがちであるし、ライバルとの競争もしんどいものになる。そう言った時期になって飛びつくのでは既に遅いのである。しかし、表面的な儲け話の事ばかり考えていると、どうしても手遅れになってから飛びついてしまう傾向にあるように思われる。

株でもブーム・話題になってから飛び乗るのでは、飛び乗ってはピークアウトして飛び乗っては…の繰り返しになってしまいがちであるが、正にその状態である。筆者の場合、全くノーマークの銘柄がブーム・話題になった場合、相当長期で見込める投資テーマなら別だが、見つけた者勝ち的な話の場合は特に、見送って次に行くようにしている。テンポを「後から飛び乗ってはピークアウト」ではなく、「事前に仕込んでプロフィットテイク」のサイクルにしないといけない。実業の仕事についてもこれは同様だと思う。

同業者を見ていても、投資銀行等でその時のブームに相乗りするような形でデリバティブが儲かっているからそっちへ、証券化が良いからそっちへ、プロップトレーダーも分が良いみたいだ、バイサイドも温くて楽そうだしちょっと一休み代わりにバイサイド行くか、履歴書作り・所得回復のためにセルサイドに戻るか…等と哲学なしにポジション変更が激しすぎると、一時的には高いボーナスが貰える時もあるものの、リーマンショックの後に長らく仕事が得られなかったり、年齢と共に履歴書的にコーナーに追い詰められてしまい「次が無くなる」事が少なくないようにも見受けられる。ブームの後半から相乗りすると、その後にショック・リストラ局面が訪れる確率が高くなるし、そうなった場合には後発参入者で社内政治の基盤も弱い場合も多い事から解雇対象にもなり易いように思う。

小生の従事しているヘッジファンド業界についても然りである。隣接業界の投資銀行等に勤めている者ですら、少なからずが米国の成功事例等を見ては弊業界に過大な夢を抱いてしまって、立派な投資銀行のキャリアを捨てて参入しては散っており、散った後の職探しには難航しているケースが少なくない。注意が必要である。

昨今、産業・企業・職種等のライフサイクルも短期化しており、職業選択・キャリアステップ等のタイムホライゾンより、産業・企業・職種等のライフサイクルの方が短期間で栄枯盛衰するようになってしまっているようにも思う。この点を考えても、外部環境で既に素人目にも儲かっていそうだと分かるようになってから次々波乗りをしようと思っても、上手く行かないようにも思われる。

では「兆し・黎明期・助走期間」のうちに参入するにはどうすれば良いかと言うと、「外部環境の前に先ず自分自身、己をきちんと見つめて、理解する事」であると筆者は考える。ベクトルを外へ外へと向けるのではなく、先ず内側へ向けて自己の内部を旅してから、外部に帰還するのである。

つまり、別に全ての外部環境のブームに乗れる必要はない、と言う事である。人生とは、バフェットで言う所の、「見逃し三振のない野球」である。ボールは次から次へとどんどん投げられて来る。昨今時代の変化も速くなっているので、どんどん球が来る。これを全部振りに行く必要はないのである。3ストライクで三振と言ったルールもない。先ずは自身の得意な球をじっくりと見定めて、それが来た時だけ渾身の力で振り抜けば良いのである。

上記の野球の例えを実際の話にすると、自身が好きだ、パッションを持ってやれると言う分野を探求していく中で、幸運も重なって「成長のタネ・兆し」の分野に当たる事が出来たり、既存分野に一工夫を加えてProfitableなビジネスに出来たりするのである。好きな分野であれば自然と必死に考えるし長時間の仕事も余り疲れずにやれる。興味も持続するため他の人では中々気づかないような、自身に合ったニッチを探し出せる可能性も高くなる。

そう言う意味で、好きである・情熱を持てる分野を見つけた”時期”に、情熱のもてる”場所”で戦うというのは、それだけでその人にとって大きなアドバンテッジになるし、外部環境に関わらず(仮に衰退産業であっても)その人にとっての”良い時期・良い場所”になりうる。自身が好きな分野であれば、一見すると衰退産業のように見えても、自分の趣味・特技を生かした意外なニッチ分野等も発見しやすいように思う。例えば、とうふ業界のヒット商品「ザクとうふ」等はその手の例として挙げられるだろう。

一見遠回りのようだが、この方が結果的には近道になることも多いように筆者個人的には思う。

こう言った理由からも、外部環境ばかり追い回す前に、先ず己の理解からするのが重要であり、「何が好きで何が得意なのか・何をやりたいのか」を人生の出来るだけ早い時期に模索・試行錯誤を重ねて発見し、これが明確になった時期に、勝負出来る分野・その場所に居るのが良い、と言う事になる。

高校生・大学生・社会人の最初の数年位の時期等は特に、浅知恵で儲かってそうな業界・安定して有利そうな業界等を探して右往左往すると言った事をするのではなく、「自分は何が好きで何が得意なのか・何をやりたいのか」を色々な人生経験、模索・試行錯誤を重ねて発見する事に意識を向けて欲しいと思う。これが早めに見つかった人ほど、それだけでその人自身にとっての「”良い時期・良い場所”」は近づくように思う。


-そもそも論的な話。

更に筆者個人の考えを述べれば、そもそもの所で、表面的に儲かる分野ばかり探して右往左往するより、ちゃんと本音で楽しいと思えるような事をやった方が人生として清清しいだろうとも思うし、金銭的に成功しようが失敗しようが悔いがないと言う面においても良かろうかとも思う。好きな分野をさがして、そこで勝負に出る、と言うのは、”後悔”と言う人生において最も避けたい損失のリスクをヘッジ出来て良かろうかと思う。

以上より、「外部環境の前に先ず自分自身、己をきちんと理解する事」「自身が何をやりたいのか腑に落ちた”時期”に、やりたい分野・”場所”で勝負する事」を、筆者としてはお勧めしたい。

他にも”内部要因としての良い時期・良い場所”として説明する事柄はあろうかと思うが、だいぶ長くなったので次回に回したい。

○「良い時期に良い場所に居る」とはどういう事なのか? その3:「棚からぼた餅」を人生にもたらすための準備。

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さて、「良い時期・良い場所」の話の続きである。前回で、「内部環境における良い時期・良い場所」について、具体的には「自分自身を先ず理解出来た時期に、好きな分野・得意な分野・場所で勝負する事」の重要性について書いた。


今回は、以前のエントリを踏まえた上で、良い時期・良い場所に上手く出くわして幸運を掴むために必要と思われる「準備」について書いてみようと思う。


○「棚からぼた餅」を享受するにも、準備が必要。

今回のエントリで強調しておきたいのは、「棚からぼた餅を享受するにも、準備が必要だ」と言う点である。

良い時期・良い場所に居合わせると言うのは、純粋なラッキーによって為される場合も勿論ある。シンガポール人がただシンガポール人で建国直後にたまたまローンを組んで家を買ったら、みるみる先進国になってゆき不動産価格も高騰して億万長者になってしまったと言う状況がそれに当たる。日本の団塊世代が、日本の右肩上がり時代の経済を享受し、国家財政も微妙であるにも関わらず老後はオイシイ年金を貰って良い暮らしをしているのも概ね同様と考えて良かろう。不況世代からすると内心複雑な思いはあるものの、ただ生まれた時期と場所が良かっただけで人生上手く行く事も実際多々ある。残酷かも知れないがそれが現実であり、人生そう言うものである。

しかし、必ずしも順風満帆ではない時代に生きる我々が「良い時期・良い場所」の僥倖を得ようとなると相応の準備が必要であろうかと思われる。つまり、「棚からぼた餅」を享受するにも、以下のような準備が必要なのである。

・先ず、ぼた餅が落ちて来そうな場所を早期に発見する必要がある(=その1のエントリで記載した「外部環境」の良い場所の発見)。

・かつ、それが自身の能力・適性に合った場所である必要がある(=その2のエントリで記載した「内部環境・個別要因」の良い場所の発見)。

・更に、そこに身を置いた後も、ぼた餅がいつ落ちてきても良いように、皿や箸を準備しておかないといけない。ぼた餅が落ちて来ても地面に落ちてしまったら食べられない。ぼた餅だけでは喉が渇くのでお茶も淹れておく必要がある(=今回のエントリで以下に記載の「準備」に相当)。

こう言った訳で、ぼた餅が落ちてくると言う幸運に、努力・準備が重なって、初めて現代における「棚からぼた餅」は完成するのである(本当の所どうか分からないが、取りあえず勢いでそう言い切っておこう)。

そんな訳で今回は、上記の「棚からぼた餅理論」における三番目、「準備」の部分にフォーカスを当てて、幾らか書いておこうと思う。


○一定の準備段階・下積み時代をきちんとこなす。

先ず重要なのはこの点である。
例えば、自身の身を置く分野で必要な一定の学歴、資格、職務経歴等の確保である。

こう言った要素を馬鹿にする向きもあるし、「実力主義において学歴・資格は関係ない」と言う向きもある。勿論根本的にはトータルに実力が一番重要である。しかし、筆者の経験からすると、そうは言っても現実的な所で言って、ドアオープナーとして・スタート地点に立つために必要な学歴、経歴、資格等は実際あった。こう言う下積み段階・時期を軽く見てはいけないと、筆者自身の経験上は感じている。

例えば、筆者の属する運用業界で、日本においてアナリストなり運用者なりになろうと思えば、大体の場合は早慶程度以上の学歴、証券アナリスト資格位は最低限必要である。一定の学歴が無いと内定も貰えないし、入社後は証券アナリスト資格の取得が運用・調査等の職種への配属条件となっているような場合も多い(証券アナリスト資格やその内容の是非はここでは議論のスコープから外すが、現実としてそうなっている場合が多いと言う事である)。更には外資系大手ヘッジファンドの米国オフィス等では必要条件が一段とインフレートしていて、一流校のMBA(ないしは経済学・理系等でマスターやドクター取得者等)以上の学歴、CFA資格保有、又はこれら複数の経歴保有と言うのが入口として当たり前になっている。米国のグローバルマクロのヘッジファンド等で勤務したい場合、相当ハードルが高い事になる。

勿論、早慶程度以上の学歴があり証券アナリスト資格がありMBAやマスター・ドクターがあればリターンが取れる訳では無いし実力がある訳ではないし優秀な訳でも何でもない。稼げる人も居ればだめな人も多数居る。この点を間違えてはいけない。

また、学歴や資格に関係なく、例えば学生時代からトレードをしていて安定したリターンを出せる手法を確立してそれを投資銀行やヘッジファンドに売り込む事で成功機会を獲得して実際成功した、と言った事例も勿論ある。しかしこのような事例は確率的に言えばかなりレアな部類に属するものであるし、こう言った方法で上手く行く事が出来る人となると、かなり才能・適性等で絞られる面がある。

そんな訳で、運用業界での話で言えば、一般論で言えば、「ドアオープナーとして」「スタートラインに立つために」、最低限これらの経歴・資格はあった方が「良い時期・良い場所」に立てる確率は上がる訳である。

以上では筆者の属する運用業界を喩えにして説明したが、他の分野にせよ、こう言う「スタートラインに立つための準備」と言うのは大概あるものだろうと思う。

法律の仕事がしたいなら弁護士資格を取らないといけない。監査法人で働きたいなら会計士資格が必要だ。料理・食の世界で一流になりたいなら料理学校に行ったり名の通った一流の店で皿洗い・下作業から始めないといけない。ベンチャー企業を立ち上げるにも先ずは大手企業で仕事してスキル・人脈をつけたり大手企業の組織力学、会社員の悲哀の何たるかを学んだりした方が後々良い場合が多いだろう。海外で仕事しようにも、例えば筆者の勤務するシンガポールでは昨今ビザ関連が厳しくなっており、高卒では就労ビザが降りない、ワーキングホリデーの類もいわゆる一流大学出身でなくては活用出来ないものに変更されると言った事態が発生している。商社等で海外事業に配属されるにも、馬鹿馬鹿しい試験だとは思ってもTOEICで高得点を上げないといけない。

学歴コレクター・資格コレクターの類(=学歴・資格自体が目的化している)も馬鹿馬鹿しい話とは思うが、一方で「スタートラインに立つための」「身分証明書としての」学歴・経歴・資格、またこれら獲得のための下積み経験は甘く見ない方が良いと筆者的には思う。こう言うのはまあ、面倒臭いが必要なものなのだと。

こう言う時期を経ないで、例えば大学を卒業して、会社員にはなったが地味な日常が耐えられないからと言った安易な理由で直ぐ退職して、起業ブームやらFXブームやらに煽られて、世間知らずで名刺交換の仕方も怪しいような状態で、言わば半ば躁鬱の躁状態で起業したり専業トレーダーになってしまったような層の「その後」は、惨憺たる鬱々としたものになる事が多いように見受けられる。

勿論これで成功する人と言うのも皆無ではない。しかし、1000社以上上場企業を調べて、中小型株を調べていた頃には未公開企業や新興企業の面々の集まり等にも時折ご縁があった時期も経ている筆者の経験・感覚として、確率的にみてこう言った層がSustainableに成功するのは相当に難しい(下手をすると人並みの生活を維持する事すら難しくなる)ように見受けられる。先ず殆どが失敗してしまうし、一時的に我世の春を享受したものもその後を見ると無残な結果になっている事も少なくない。

一部にはこう言った人でも「起業とその失敗」を売り物にして欧米のMBA等に行き、日本帰国後は先ずは名の知れた投資銀行・コンサル等に戻る事で経済面・社会面ともリカバリーを果たし、次のチャレンジを狙う者も居る(因みに、起業したが失敗した、ちゃんとビジネスのイロハを学んで再チャレンジしたい、と言うのはMBAの志望動機・活用法としては非常に良いと思うし、大学側も評価する傾向が強いように思う)。こう言った人は「起業~失敗、MBA、社会復帰」自体を上手く「下積み経験」として昇華した例だと言えるだろう。次は前回よりは上手くやれるだろう。これは失敗ではなく、有意義な経験と言える。

しかしこれが出来るのは大学学卒時点での学歴が一定以上あり、TOEFLやGMAT等の英語の試験に耐えられ、大学時代に厳しいゼミ等にも参加して起業後も取引先等と真摯にビジネスをやった結果ゼミ教官や取引先等から推薦レターを書いて貰えるような、言ってみれば「意識高く下積み経験を若い頃きちんとやっていた」一部に過ぎない。しかも年齢的に比較的若くないといけない。全体として見れば日本の社会では敗者復活戦は難しい。きちんとした下積みもなく軽はずみにバンジージャンプをした結果、一度人間界から「ナニワ金融道的ワールド」「ニート・職なしワールド」に落ちてしまうと、人間界に戻って来るのも中々難しい、と言うのが全体として見た場合の現実のようにも思う。

きちんとした下積み時代のない人間は周囲からも信用されないし、困った際に助け舟も中々出てこないので、結果として「胡散臭い有象無象」に堕してしまいがちでもある(逆に言えば、地道な下積み時代を経ていて人間的にきちんとしている場合、案外何とかなるケースも少なくない)。

繰り返すが、一定の「下積み時代」と言うのは、大概の分野で、「良い時期・良い場所」の恩恵を(ただの偶然ではなく、低成長経済下で意識して)受けるためには「必要なもの」なのである。

何だよ全然イージーではないじゃないか、何か楽に成功できるような方法論を示してくれないのか、と思われたかたも居るかもしれない。しかし筆者は、その手の「情弱な人々を煽る類の役割」を担う気はない。そう言ったものを求められる方は他を当たって頂ければ幸いである。


○「模索段階・準備段階・下積み段階」を一通り経た位の時期に、「勝負できて成果をきちんと享受できる場所・環境」に居る事。

さて、下積み時代をきちんと積んだら、次はこの、「勝負できて成果をきちんと享受できる場所・環境を獲得する事」が重要である。

これは上記の「地道な下積み」と比べると日本人的美点に訴えづらいと言うか美談になりづらいとでも言おうか、多少あざとい面もあるにはある。

しかしそうは言ってもいつまでも下積みのままでは「良い時期・良い場所」を享受する事は難しい。下積みを開花させるために、Effective、Strategicな形で「次の一歩」を踏み出す必要がある。具体的な手段としては、以下のようなものがあるだろう。

・下積み時代を活かして、良好なビジネスモデルで起業・独立する。金銭面以外でも、一緒に働いていて快いと思えるメンバーで、やりたい仕事が出来ると言った要素を重視する。

・下積み時代を活かして、大手企業からベンチャー企業等に移籍して、ストックオプションや株式等のアップサイドを貰える職務に転職・移籍する。金銭面以外でも、一緒に働いていて快いと思えるメンバーで、やりたい仕事が出来ると言った要素を重視する。

・下積み時代を活かして、固定給過半の職務から、固定給+高比率・好条件の成功報酬・出来高給の職務に転職・移籍・出世なり社内異動なりする。金銭面以外でも、一緒に働いていて快いと思えるメンバーで、やりたい仕事が出来ると言った要素を重視する。

上記は金融業、会社員に留まらずどんな分野でも言えることである。医者も、勤務医、開業医、研究者・教育者、大病院経営、病院コンサル、バイオベンチャー起業等色々な立ち位置を取りうる。料理人も、大手居酒屋の調理から、ホテル料理人、料理屋を作り独立、料理書籍の執筆やセミナー等の色々なアウトプットの仕方と言うか、ビジネスモデルと言うか、立ち位置がある。技術者・研究者等、音楽家や芸術家等も同様である。どう言った立ち位置を取るのか、どういった「マネーフローにおける概念的な場所」に立つかによって、収益の出方等も全く変わって来る。

詰まる所、「良い時期・良い場所」を捉えようとするのであれば、安価な給与で自身の時間を切り売りする立場から、成果・付加価値にが正当に経済的にも報われ、質的にも人生の充実感をきちんと享受出来る立場に移行する必要があり、それはどんな業界や職種でも工夫可能なので柔軟に考える必要があるという事である。以下に、金銭面、質的な面の二つに分けて、この点についてもう少し掘り下げてみたいと思う。


○金銭面で重要な事。

ここで金銭的な面において重要なのは、下請け仕事、時間切り売り仕事から脱出するという事である。

会社員の場合は、上司の下請け仕事・会社に固定給でコキ使われるだけの状態から脱出して、自身の仕事、自身の付加価値に応じた経済的アップサイドのある仕事が出来るようになる必要がある。起業する場合も、規模は小さくとも自身できちんと営業をして受注を取り、付加価値の取れる「元請け」になる必要がある。

つまり個人にせよ企業にせよ、下請け・時給での時間切り売り商売から、月額/年額固定の基本フィー+レベニューシェア・成功報酬、と言ったアップサイドのある「良好なビジネスモデル」「沢山のお金が流れており、個人の付加価値が多く取れる良好な場所」に移動する必要があるのである。

(注:「どんなビジネスモデルが良好なビジネスモデルなのか」と言った点についてピンと来ない方は、普通にキャッシュフロー経営だの競争戦略だのバフェット投資だのの分野を各自勉強して欲しい)。

一般には、企業ブランド・組織・インフラでビジネスが回っており個人の付加価値部分が小さい大手よりも、個人の成果が問われリスクも高い小規模組織の方がこう言った条件は得易い。日系か外資かなら外資の方が解雇リスクもある分こう言った条件は得易い(尤も、昨今は日本企業でも大規模リストラは多発しており、日系なら安泰なのかと言う所は昨今微妙になっており、アップサイドは無くてダウンサイドリスクだらけと言った状況になってしまっている日系企業も見られるようにも感じるが)。

このアップサイドなしに、ただただ我慢と苦労だけを重ねていても、報われるものは少ない。たとえ景気が良く右肩上がりの業界・企業・場所に属していても、言わばマネーフローの観点から見た「自分自身の概念的な居場所・立ち位置」が良好なものでないと、その恩恵をきちんと受けて報われる事が出来ないのである。

これは筆者にも苦い経験があるので、筆者の例で説明しよう。

筆者は2003-2005年ごろの日本株の回復、ライブドアや村上ファンド等に代表されるような中小型株バブルの時に、既に日本株でアナリストをしていたし、正に中小型株の調査を行っていた。中小型株の調査は楽しかったし有意義であった。「100億円部長」と呼ばれ一世を風靡したファンドマネジャーが在籍していた投資顧問会社の他、大量保有報告で賑わしていた中小型株中心のヘッジファンドが投資していた分野と似たような銘柄を筆者も調査してもいた。つまり、「外部環境」「内部環境」とも、この時筆者は「良い時期・良い場所」に居た。棚からぼた餅が降っていたのである。

しかし、筆者はこの時点ではまだ、「準備・下積み」の段階で、「勝負できて成果をきちんと享受できる場所・環境を獲得する事」が出来て居なかった。年齢的にまだジュニアとしての位置づけだった上、比較的大手の運用会社に居たため、筆者個人の立ち位置としては固定給が過半で、出来高給部分が小さかったのである。

筆者の所属していた運用会社も、そのファンド群も大変に儲かった。筆者よりも一回り位年上で、90年代の中小型株投資の黎明期からこの仕事をしていた同業者の先輩の中には、もう働く必要が無いくらい・引退できる位のひと財産を築いた者も少なからずいた。彼ら・彼女らにとっては、90年代の中小型株黎明期の頃から下積み準備をしたものが数年~10年内外の年月を経て遂に花開いた訳であるから、正当な報酬であるし尊敬すべきものだ。

しかし筆者の実入りは引退等とは程遠い、言ってみればジュニアの小遣い程度のものであった。筆者は棚からぼた餅が降っている所に居ながら、皿や箸の準備が出来ていなかった、「勝負できて成果をきちんと享受できる場所・環境を獲得する事」が出来ていなかったのである。このため降って来たぼた餅はむなしくも、はかなくも、悔しくも、情けなくも地面に落下して土と埃にまみれて終わったのであり、これを享受する事が出来なかったのである。今となっては「日本株の、中小型株の調査が専門なんです」等と言っても得られる仕事もない。旬を過ぎれば・祭りが終わればそんなものである(勿論、筆者に関しては今のキャリアに至ったのもこのブログのエントリを書けるに至ったのもこう言った時期・経験があってこそなので、全く無駄だったとは思わないものの、客観的に見れば・言えばそう言う事である)。

得てして「努力はとにかく美徳だ」と言った雰囲気になりがちかも知れないが、実際には「Effectiveに、報われる形で努力する」必要がある。

棚からぼた餅が降っているその時・その場所に、きちんと下積み時代も終えて皿と箸を持ちお茶も淹れておいて、「勝負できて成果をきちんと享受できる場所・環境を整えた状態で」その場に居合わせる必要がある。

そのためには独立したり、大手から名前も聞いた事もないようなベンチャー企業に転職したりする必要がある事も多く、決断とリスクも伴う。これは単に時代や経済の流れを予測出来る知識能力云々とか偏差値・IQが高いの低いの言う話ではなく、人間としての胆力や決断力に関わる話であり、これが結構大変なのだ。勿論、経済・時代の流れや良好なビジネスモデルがどう言ったものか等をある程度読める位の一定の知識・能力は必要な面もあるにはあるが、実際に最後に問われるのは胆力・決断力である。この点に十分な留意が必要である。


○質的な面で重要な事。

また、金銭面以外の面においても、キャリア上のどこかの段階で、一緒に働いていて快いと思えるメンバーで、やりたい仕事が出来ると言った要素を重視する必要があると筆者的には思う。

まず根本的な意味合いにおいて、嫌々仕事をしていては、「良い時期・良い場所」とは言い難いだろう。やっていて楽しいと思えない仕事、人間関係等がギスギスしていても稼げる仕事はあり、金銭的に稼げさえすればそれは「良い時期・場所」と定義出来ると言った反論もあるかもしれない。しかし筆者個人の考えとしては、質的な面も伴ってこその「良い時期・良い場所」であると考える。

また、会社が悪い、上司が悪いと組織や上司、他人のせいにしてしまっているうちは、「自身の仕事」は出来るようにならないようにも思う。仕事の完成度・出来不出来にも影響してくる。踏み込みが甘いと言うか、腰の引けた仕事にどうしてもなってしまう。「会社さえまともなら・上司や同僚がもうちょっとまともなら、俺は/私は本気を出せて、もっと面白い仕事が出来て、成功するはずなのに」等等と自身ではリスクを取らずに評論家風にぼやいて居るうちは、下請け時給労働からは中々脱出は出来ない。ひいては金銭的にも報われる結果にもならない。

本当の勝負は、人間関係も良好で、やりたい仕事もやれる環境が出来て、それに全力投球をする所から始まる。それでも沢山の困難にぶつかるし、ビジネス的に上手く行くか行かないかは分からない、位のものである(筆者も現在、自らの経験としてそれを実感している)。

人間関係等でエネルギーを使っていては建設的な仕事は中々出来るようにならないし、自身はリスクを取らずに評論家風に物事を会社や上司(あるいは日本政府やだめな政治家や日本経済等の外部要因)のせいにしているうちは「良い時期・良い場所」のスタート地点にも立って居ないとも言えるように、筆者個人としては思う。

先ず一歩踏み出して、評論家から当事者になる、必要な所では各自可能な範囲でリスクも取って自分自身がきちんと自分の人生の主人公になる所から、「良い時期・良い場所」への旅路は始まるように思う。


○おわりに

下請け仕事・時間切り売り仕事から脱出する際には、軋轢や周囲の反対もあるかも知れない(特に上司・雇用先企業・今まで自身を下請けとして人月幾らとかコスト+大変薄い利幅等で使っていた元請等からは嫌がられる可能性はある)。

また、大概の場合は大手の安定した企業から外資やベンチャー企業に移籍したり、場合によっては独立したりと言ったキャリア的にもリスクを取った決断を伴う必要があるし、社内で出世等する事により上記を達成する場合も周囲に波風を立てる事を覚悟で何らかのリスクを取る必要があるだろう。自身も迷うかもしれない。また、思いやりのある同僚や友人等は心配するかもしれない。

しかし、「良好な時期・場所」に行こうとなると、恐らく自然と、何らかの一歩を踏み出す必要が出てくるだろう。

一方で、無理して「良好な時期・場所」の幸運を狙いに行かないというのも決して臆病とか軟弱と言う訳ではない。賢明な判断の事も多々あるし、幸せな判断の事も多々ある。実際、リスクテイクして心身・社会的立場等色々壊れてしまった挙句に『異界』行きになってしまうような事例も見られるので、筆者的にはリスクテイク万歳等とは無責任には言えない。そこは各自の価値観に基づく判断による、と言う事になるだろう。


○まとめ

長くなったが、こんな所だろうか。最後にまとめると、「良好な時期・場所」の僥倖を得たいと言うかたは、以下のような準備を重ねる、と言う事になる。

・各自の内部環境・個別要因的に「好きで得意」な有利な分野を、出来るだけ若いうちに試行錯誤して定めておく。

・下積み時代を一定量経る。

・「内部環境・個別要因的に好きで得意」な分野と、「外部環境的に有利な分野」が交差する領域を探す。これは以前のエントリでも書いた通り、単純に成長業界だとか、一般的に人気業界だとかではない。自身が熱意を持って取り組み続けられて、かつ変化率の大きさが狙えそうな場所である。一般には衰退産業と言われていても、意外な所にチャンスがある場合もある。理詰めで探すよりも、「好きで得意」を探求していく中で、直感・感覚に任せた方が見つかる場合も多いように思われる。

・上記交差領域において、取る事の出来るリスクを考える。起業・独立するのが一番ハイリターンだし勇ましいがハイリスクでもある。独立向きでない人、参謀や専門職向きの人、大企業の社内出世や社内起業制度によるスピンオフ等による自己実現の方が合っている人等も居るだろう。「内部環境・個別要因の良い時期・良い場所」に通じる話であるが、自分はどの程度のリスク位までなら取れるのか、と言った要素はきちんと考慮すべきである。

・そして人生の段階において早すぎない段階で決断する(下積みは経た方がいい)。さりとて人生の段階において遅すぎない段階で決断する(住宅ローンで家を買い子供など出来、年齢的にも転職等が難しい年齢になると、勝負に出づらくなる面は確実にある)。

・以上を踏まえて、各自の責任とリスクテイクのもと、「金銭的・質的な面の双方で良い時期・良い場所」の幸運が得られる方向に、慎重に、かつ必要に応じて思い切って、一歩前に踏み出す。

・一歩踏み出した先で根気強く努力と改善を重ねながら、ぼた餅の機会を伺う。

・リスクを取ったものの上手く行かなかったりチャンスを見逃した場合は、人生一休みする、MBA留学等して社会復帰を図る、繋ぎの仕事で何とか食いつなぐ、等等しながら何らかの形でリカバリーを計り、これも学びだと理解して、次のチャンスを伺う。以下繰り返し。

…まあ、何か楽して成功できるような裏技でも何でもないし、こんなの当たり前じゃないか、これを実際やるのが大変なんだよと思われるかも知れないが、全く以って仰る通りである。そこは無料で趣味でやっているに過ぎないブログである。何卒ご理解・ご容赦頂ければ幸いである。

(参考図書)


今回書いたような文章で何か感じるものがあるかた、転職すべきかしないべきか、独立すべきかしないべきか、進路選択をどうしようか、などと考える岐路にあられるかたには、上記書籍を読む事を強く勧める。浅薄に無責任にリスクテイクを勧める訳でもなく、盲目的に安定を重視する訳でもなく、人間ドラマとしての「人生の選択」が生々しく心に響く形で書いてある。何か得る所があるはずである。

○若手社員が「資本主義ワールド」の最下層から脱出するための幾つかのヒントなど。

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久しぶりにブログを更新する事にした。

最近、運用だけでなく採用等の活動も行うようになり、若手人材については考える所があったので、以下に幾つか「若手社員として優秀と評価される人材のポイント」を挙げておきたいと思う。

一定の成功を勝ち得たい若手からしたら、上司・会社からの評価を勝ち得る事で、先ずは「若手・餓鬼の使い」と言う資本主義の最下層奴隷の状態から脱出し、今まで述べてきた話で言う所の『棚からぼた餅を享受し得る場所』に立つ必要があると感じている事だろう。その際の参考にして頂けると幸いである。言ってみれば、今回の話は『棚からぼた餅理論の実践編・詳細編』とでも言った所である。

但し、筆者の勤務先はヘッジファンドであり、一般の事業会社等とは大きく異なる。年代的にも30代(それでも弊業界では応分に年寄りな訳だが)であり、40-50代以上のシニアとは考え方が恐らく異なる。そう言った点を考えると、「かなり偏った人間の1意見」なのかも知れない。この点を踏まえて読んで頂けると幸いである。


・地道な努力をきちんとして、成長を内外に示す。

当たり前の事かも知れないが、地道な努力をきちんとして、成長を内外に示す事が特にキャリアの序盤戦では非常に重要である。

履歴書を幾らか見ていると、大学時代当時では恐らく筆者よりもずっとハイスペックだったと思われるような人も30歳の時点では申し訳ないけれども採用する気にはならない、と言う状態になってしまっている例は少なくない。逆に、大学時代の学歴や活動内容は目立たなくても30歳時点では「うわあ優秀だなあ」「稼いでいるなあ」と言った人も居る。

大学時代の学歴や活動内容は年齢と共に重要性が年々落ちてゆき、年齢と共に職業人人生の中でどう言ったスキルを身に付け、どういった成果を出して来たかの比重が大きくなる。若手の皆さんが思っている以上に、20代の生活ぶりや仕事ぶりによって30歳位の頃には愕然とするほど能力に差が付いてしまう。

また、成長モメンタムのある若者と接しているとシニアも励まされるし気持ちが良いもので、やはりサポートしたくなるものである。そんな訳で周囲のサポートも得られ易くなるだろう。多少のミスは大目に見てもらえたりもするだろうし、良質の仕事が回って来やすくなるだろう。それが更に能力を引き上げる要因となる。そんな訳で、色々得する事が多いと思う。

そんな訳で、王道だけれども、職務に必要な語学・資格・知識等の積み上げを20代で行っておく事をお勧めする。転職の際の選択等も、20代のうちは給料の少々の多少よりも、良質の経験が積めるかどうか、成長できる環境があるか、30代以降の飛躍に繋がるかと言った面の方が重要だろうと思う。若い頃は少なくとも年に1度、出来れば四半期に一度位、自身のレジュメを更新する癖を付けておくと良いだろう。その間なにもレジュメに書けるような成長が無かった場合は何かした方が良いと言う事である。


・「ゴール・問題解決・次の行動ステップ」を考えて仕事をする。

仕事とは、言ってみれば問題解決である。
顧客の問題(ニーズ・ウォンツ等)を解決する事で対価としてお金を貰っている。
例えば資産運用業であれば、「老後資金の確保/大学運営やチャリティ財団の運営資金の確保/その他余剰資金の活用をしたいが、それをするノウハウ・時間がない、これに伴うストレスを負担したくない」と言う顧客の問題を解決する事でフィーを頂いている。

これは社内の仕事でも一緒で、問題解決に貢献した対価として給与を貰っているのである。(ないしはインセンティブ等なしで時給・月給労働の場合もあるかも知れないが、人生の貴重な時間を安価な時給で切り売りする立場から脱出したいのであれば、このように考えて仕事する必要がある)。それはたとえコピー取りであっても、「顧客へのプレゼンなり社内会議なり何らかの理由で文書が多数必要だが上司自身でそれをやる時間がない・他にもっと付加価値の高いToDoが上司は他にある」と言った問題解決のためにアサインしているのである。

で、何か作業をアサインした場合、「この作業は、何の問題解決・ゴールのためにやっているのか」と言うのを考えて仕事をしているか否かと言うのは上司から見ると非常によく見える。

例えばコピー取りでも、出来る人は「社内会議が直ぐに迫っていて見栄えはソコソコでもとにかく早く欲しいと言うのがゴールなのか、顧客に見せる資料でこれで顧客が取れるか否かの分かれ目だから、自信を持って外部に提供出来る見栄えの美しさやプロフェッショナルな雰囲気が出ているか等が重要なゴールなのか」と言った点を判断してそれに応じた対処・工夫をするだろう。そう言う事を考えて仕事しているか否か、ゴール・ニーズ・受け手の事情等を考えて仕事をしているのか、ただコピー取りをやれと言われたから嫌々やっているのかと言うのは上司から見ていると非常によく分かる。(コピー取りのほか、Word、Excel、パワーポイント等による文書作成やスプレッドシート・グラフ作成等、昨今のオフィスワークにおいて必須の業務でもこの辺の事を考えて仕事しているか否かは顕著に出るように思う)。勿論、「問題解決・ゴール」を意識・理解して作業をやっている人との方が仕事がし易いし評価が高くなる。

若手社員でよくありがちなのは、与えられた・言われた作業をただやって、何の結論・要約もなしにその旨伝えるだけ、と言うケースである。つまり、言われた通りにどこそこに連絡を取りました、この調べものをしろと言うので調べたらこう言う事が書いてありました、Excelに数字を入れました、と何の結論もなしに五月雨的に報告するだけと言うパターンである。これは言ってみれば餓鬼の使いである。意思決定・判断の部分を完全に上司に丸投げしてしまっており、高い付加価値を出す事を放棄している事に等しい。

こう言う人ほど「給料安い」「もっと金持ちになりたい」とか述べている傾向が得てしてあるが、自ら高い付加価値を出す事を放棄している以上、こう言った人が高給取りになる可能性は何の分野でどんな仕事をしていても先ずもって殆どない。資本主義において「良い場所」に立ち、「棚からぼた餅を享受し得る立場」になるためには、「ゴール・問題解決」を意識して、「結論・問題解決のための次のアクション」まで提案する、と言うのは重要な点である。

最初のうちはゴール設定がずれていたり、次のアクションがやや不適切だったりして注意・修正される事もあるかも知れない。しかしそう言った努力をしている事は(ブラック企業・ブラック上司ではなく見る目のあるある程度まともな上司なら)少なくとも評価はしているし、それを繰り返しているうちに的を得た提案への精度も上がって来るだろう。そうしているうちに、「この人には雑用だけでなく、もう少し責任を与えて踏み込んだ所まで・直接顧客の問題解決に関わる所までやって貰おう」と言う運びになるだろう。勿論、そうなれば顧客の問題解決への貢献度は上がる訳で、ペイの配分も良くなるだろう。


・結論・回答を一言で返す。

質問に対して回答をずばっと返す人、報告の際に結論を先に返す人は一緒に仕事をしやすい。
株の銘柄推奨なら、先ず買いなのか売りなのか。一般事務等の仕事でも先ず回答・結論をずばっと回答。こう言う人と仕事をしているとやはり歯切れがよくて心地よいし、安心感があるのである。

質問のポイントからずれて居る事を長々述べられては時間のロスだし、残念感が募ってしまう。面接の際の志望動機だとか、入社後なら現場で作業をしている過程で色々なドラマや脳裏をよぎった事柄が沢山あるのは分かるが、それを整理して、結論・回答を一言でアウトプットする訓練を常日頃していると良いだろう。

ごちゃごちゃした過程を結論に整理するには頭を使う必要がある。ごちゃごちゃした過程をすっきりと分かり易い一言の結論に集約するには上述の通り「ゴール・問題解決」を考えて仕事をする必要がある。こう言った所に付加価値があるのである。上司はこう言った小さな所から、「この人は採用する価値があるだろうか、一緒に働き易いだろうか」「この人はゴール・目的を考えながら頭を使って仕事をしているかどうか」「雑用以上の事を任せても自身で考えて適切に仕事をしてくれそうか」と言った点を判断しているのである。


・結論の後に理由・背景を、重要性の高い順に3点までで説明する。

また、結論の後に解説する理由や背景詳細のポイントは3点までに収める癖を付けると良い。株の推奨なら、こんな感じだ。

結論:これこれの銘柄は買い。

背景・詳細解説:
1.概要説明。これこれの銘柄はxxの分野で国内シェアx割、○○に強みを持つ会社だ。
2.現在割安である事の説明。xxの理由(業績下方修正、悪材料等)で株価が下落し、Valuation(PER、PBR、DCF等)で割安だ。
3.割安感を訂正する将来のキャタリストの説明。xxのキャタリストがあり、xヶ月位のタイムホライゾンで○割程度のアップサイドが期待出来る。

結論の確認:以上、結論の通り買い。

…と言った具合である。また、述べる順序は重要度の高い順である。

上記の例で言えば、まずは買いか売りかだ。株を買ったり売ったりしてリターンを稼ぐのがゴールであり、余計な御託は聞く暇がないのであるから、最初にこれを結論として明示するのは極めて重要である。

次に買い/売りのその銘柄がどういう企業なのかは誰でも最初に知りたいだろう。事業内容の概略を知らずにValuationが安いだのキャタリストはこれだの述べられても訳が分からない。なので事業概要の説明が解説の最初に来る。

次に、買いだと言うからには株価が安い方が魅力的でパンチがあるだろう。勿論株価やValuationが既に高いけどもっと買いだと言う場合もあるけれども、基本的には安いから買いで高いから売りで検討するのが株だ。だから次に割安感の説明。

3点目として、株価が安くても安いままの会社、株価が高くてももっと高くなる会社もあり、安ければ必ずしも買い、高ければ必ずしもショートではない。安い会社の株価が上がる契機・キャタリストが必要だ。だから3点目にキャタリスト。

まあ上記の例ならValuationとキャタリストは説明順序が逆でもいいかなとも思うし、もっと細かい事を言えば、コンサルのMECEだのクリティカルシンキングだの色々あるのだろうが、そもそもそれ以前のレベル感である人も少なくないように見受けられる。また、多くの業種では厳密に物凄くロジカルである必要まではなく、結論+説明を重要度の高い順に3点まで、と言った習慣がある程度でも(たとえ説明が厳密にはMECEやらロジカルシンキングやらに適ってはいなかったりしても)十分に「ロジカルだ」と言う評価を貰えるだろうとも思う。これは受け手の事情を考えて仕事をしているか、受け手の問題解決(=ここでは何の株を買えば/売ればいいのか)を考えた仕事をしているか、と言う事でもあろうかと思う。

なので先ずは「結論+説明を重要度の高い順に3点まで」と言ったテンプレートで報告する癖を付けると良いだろう。また、そうする事でゴールを意識して、頭を使いながら作業も出来るようになるだろう。

(*因みに株のレポートについては、1分で口頭で述べる際も上記テンプレートだし、何十ページもあるフルレポートを書く際も基本線上記テンプレートは使える。詳細のレポートを書く際は上記の各項目をより詳細に調べる・書くと言う事であり、どこまで掘り下げるかはその時の調査に使える時間、取れるポジションサイズとタイムホライゾン(小さいポジションで短いタイムホライゾンでダメなら直ぐ損切りするつもりなら詳細に調べても投入する時間・手間に対して余り得るものがないが、大きなポジションを長期でがっつり取るなら詳細に調べる価値がある)、等で加減する事になる。こう言った基本的なテンプレートを持っておくと、長いレポートを書く際もスッキリした構成のものが書ける。)


・言い訳を長々述べない。出来ない理由をぐだぐだ述べていないでどうやったら出来るか考える。本当に出来ない場合は謝罪+出来ない旨を端的に述べた上で埋め合わせ案を提示して相手に配慮する。

男女のデート等で遅刻した際に言い訳から長々述べられると気分が悪いだろう。
言い訳と自己弁護から入る人間と接していると良い気分がしないものである。
仕事でも一緒である。言い訳を述べる癖がある人は注意して言い訳を減らす・無くすようにすると良いだろう。
これも、「結論から端的に述べる」の変形であるが、重要な点だろうと思う。

遅刻した場合は先ずは「すいません、遅刻しました」と謝罪から述べて、必要があれば理由なり今後の改善策なりを述べる。

何か仕事をアサインされた場合に出来ない理由を長々考えて延々述べるのはよして、先ずやってみる、引き受けてみるのが大事だろう。顧客に貢献して対価を頂く、結果を出す事がゴールなのであり、上司は出来ない理由など長々聞きたくはない。特に若手だとこう言った態度で先ず周囲に好感を持って貰う事は重要である。

残業等を依頼されて既に用事が入っている場合はもじもじしていないで「申し訳ないですが先約があります」とずばっと述べる。知識・技術面・時間の制約上本当に出来ないなら「申し訳ないですが出来ません」と、謝罪+出来ない事の表明、をずばっと述べると良いだろう。

その上で、「明日なら出来ます」「この人に聞けば分かると思います」「この位調べる時間があれば出来ます」「この位の負荷・完成度で妥協すれば時間内に出来ます」と言った「埋め合わせ」を示す事で相手に配慮を示す。こうすれば、トゲトゲしくならずに円滑に職場も回るだろう。

ここで若手が良くあるのが、以下である。

1.無茶な事も「出来ない」と言えずに断りきれずに安請け合いして結局延々時間をかけた挙句にやっぱり出来なくて皆に迷惑がかかったり、あるいは面倒な仕事のゴミ箱化していじめ等に遭ってしまうケース。

2.やれば出来そうな事なのに「出来ません」と拒否だけしておしまいで、「謝罪」「埋め合わせ」を提示しないケース。

上記はどちらでも良くない。

1だと信用を失う。本人は良い人だから断れないんであって自分は悪くない等と思っていたりするが、周囲からすると迷惑である。自身の能力を冷静に把握出来ていないと言う事でもある。また、無茶な依頼を断れない人・こう言う所で意思が弱い人は、得てしていじめ等のターゲットにもなってしまい易く不幸でもある。こう言う人は、上手い断り方を学ぶと良いだろう。ブラック企業・ブラック上司でなければと言う注釈はつけないといけないが、「”出来ない”の判断に妥当感があり」「埋め合わせを提示するなど配慮が感じられる」のであれば大概の場合は問題にならない場合が多いだろうと思う。

2だと仕事を貰えなくなる。あるいは本当にただの雑用しかアサインされなくなる。それと同時に社内の人間関係が上手く行かなくなる可能性がある。若手が仕事を貰えない、成長に繋がるような仕事を貰えなくなると言うのは生命線を断たれるも同然である。ブラック企業・ブラック上司でない限りにおいてではあるが、通常の場合は「上司の視点からするとこの位の仕事はこの人に出来そうだ」と思って仕事を振っているものである。こう言った類いの人は、短絡的に断らないで「まずはやってみる」、「本当に出来そうにない場合も簡単な謝罪の言葉を述べた上で、埋め合わせを提示して配慮を示す」と言う事を意識してみると良いだろう。

こう言う事をやれる人とは仕事がやりやすい。上司からの評価も高くなるだろう。また、本人も円滑な人間関係の中で適切な難易度の仕事を貰い易くなり、成長し易いだろう。

…他にも勿論、優秀な若手の要素と言うのは沢山あると思うが、今回はこんな感じで。上記はいずれも、「手持ちに何のスキル・資格・知識・英語等の語学力等もなくても、Day 1から今すぐ意識さえすればやれる事柄」である。そう言った意味で新卒や第二新卒位の若手のかた等が、円滑なキャリア序盤戦を過ごす基盤を確立しようとする際に意識すると良い点だと思われる。多少なりとも参考になれば幸いである。

因みに、所々に「ブラック企業・ブラック上司でなければ」と言う注釈が付いているが、これはこう言う所に当たってしまうと幾ら若手が適切に行動しても無駄なのでそのように注釈している。この点については、上記はあくまで「一定レベルを満たしたまともな職場・上司」における若手の心得であり、ブラック企業・上司に当たらないように頑張ってください、当たってしまった場合は幾ら頑張っても多分報われないと思うので頑張って良い場所を先ずは見つけてください、と言う事になる。

○アナリストJobの変遷その7:ポスト中小型株バブル・ポストリーマンショック~アベノミクス後のアナリスト・運用者

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題名の件である。
過去6回に渡ってアナリストJobの変遷を書いてきた。

(過去6回については以下を参照)





しかし、上記については90s末~2000年頃のPL/BS/CFを回すフルのDCF Valuationが作れるだけで差別化要因として飯が食えた頃から始まり、ライブドアショック、村上ファンドの村上代表逮捕、その後の中小型株特化ヘッジファンドやアクティビストファンドの退潮(=2006年頃)と言った辺りで話は止まっており、その後、特にリーマンショック後以降にヘッジファンド業界・アナリスト稼業がどうなったのか、今現在どういった様相を呈しているのかと言った点については記載が無かったように思う。今回はこの点について、ふとまとめて・締めくくっておきたくなったので書いてみよう。今回を以って「アナリストJobの変遷シリーズ」は終了としたい。


○中小型株特化型のヘッジファンドは、ライブドアショックを境目に凋落、リーマンショックが退潮の駄目押しに。同時期にクオンツ系ファンドも多くが痛手を被り淘汰。

さて、先般記載の通り、アクティビストファンドにせよ、そうでないヘッジファンドにせよ、セルサイドリサーチが手薄で割安放置されており、アルファが取れる要素があった中小型株に傾斜する事で2006年始めまでこう言ったファンド業界は成長を続けていたのであった。

この際、ショートセルについては借株市場側の流動性の制限等で中小型株は困難であった事から、自然とロングポジションが割安の中小型株中心になり、ショートは借株し易くValuationも高くなりがちな大型株、と言ったファンドが多かった。

また、HF第二世代(*)まではロングオンリーからHFに転向してきた例も多かった事もあるのだろう。ショートから入るのが苦手でロングから入る方が得意な運用者が多かったものと思われ、マーケットニュートラルではなくロングバイアスにしておくヘッジファンドが多かった。

(*因みに、筆者はヘッジファンド業界に居て恥ずかしながら、ヘッジファンド第一世代、第二世代、第三世代の明確な定義を完全に理解していない。ヘッジファンド第三世代=主に2000年代以降に業界に入った現在年齢30代位の不況世代・比較的若い層、第二世代=それ以前の世代、と言った理解ではいるのだが、特にヘッジファンド第一世代と同第二世代の定義の辺りが曖昧である。どなたかこの点ご存知のかたがいらしたら、メールかTwitterにでも一報頂けると幸いである。)

こう言ったファンドが2006年までは、中小型株の良好なパフォーマンスと共に拡大傾向にあった。
アクティビストファンドの栄枯盛衰の際も説明したが、パフォーマンスの良さから年金基金等からどんどん資金流入があった。往時は日本株の中小型株に強みを持つファンドで1000億円以上、中には3000億円内外を運用するヘッジファンドもあったのである。

この間、アクティビストファンドにせよ中小型株特化型のヘッジファンドにせよ、中小型株運用者のパフォーマンスが良い→そう言ったファンドに資金が流入→更に中小型株が買われる、と言った、言わばソロスの言うReflexivityの自己強化サイクルに入っていたようにも思われる。当時を振り返ると、ビジネスモデル等ニッチで魅力的で、PERが安めの中小型株を買い推奨しておけば大体オッケー、ネタ的に面白いキャタリストがあれば買いでもうばっちり、と言ったイージーな状況が続いていたようにも思う。アナリストもこう言った企業に取材に行き、買い推奨をマッチポンプのように行うだけで商売が成立する、と言う時期にあったのである。

これが2006年にライブドアショック、村上代表逮捕と言った「中小型株崩壊ショック」が起きると、一気に逆回転を開始し始めたのである。そして2007年のクオンツショック、2008年のリーマンショックで駄目押しとなった。

この間、流動性が相対的に低い中小型株は経済ショックの際等には特に一気に流動性が干上がってしまい、売るに売れない状況となった。その中で相次ぐファンド解約が起き、マーケットインパクトをかけて安値で売却を余儀なくされる事になった。そして中小型株のパフォーマンスが益々悪化してゆくと言う、バブル&バーストのバースト側の状況となった。先般解説したアクティビストファンドに加え、中小型株特化型のヘッジファンドの多くがこのような形で退潮を余儀なくされ、この分野の運用者・アナリストも多くが淘汰されていったのである。

またこの時期に、クオンツファンド・運用者・アナリストも恐らく少なからずが淘汰されたものと思われる。2007年8月に起きたクオンツショックで、過去安定して効き続けて居たバリューファクターが一気に反転して効かなくなったのである。クオンツファンドの問題として、「皆同じ市場データを分析・最適化して似たような運用手法を取った結果、皆同じようなポジションを取っていたと思われる」と言う点があったものと思われる。また、上記の中小型特化ヘッジファンド同様、パフォーマンスが良い→運用資金が集まる→更にバリューファクターを中心した”クオンツ好きする銘柄群”に資金が集中→パフォーマンスが上がる、と言うバブル過程があり、それがバーストしたと言う面もあるだろう。

その後、(特に株式運用の)クオンツ業界では、長らく苦悩と混迷、煮詰まりの時期を迎えているようにも思われるのである。


○その後、トレーダー型運用者、ヘッジファンド第三世代が生き残る事に。
さて、上記のような一連の経済危機とそれに伴う中小型株の流動性枯渇ショックを切り抜けたのは、筆者の見る限りでは以下の2タイプである。

・流動性の高い市場で比較的厳格なリスクモニタリング等と共に比較的短期のトレードを繰り返す「トレーダー型」。

・2000年代中頃の中小型株ヘッジファンドブームによりヘッジファンドでのキャリアが転職市場においても比較的一般的なものとなり、その結果キャリアの比較的序盤からヘッジファンドで勤務し始め、その中で長らく続く不況と下げ相場に適応し、ショートセルから入る事に躊躇がない比較的若手の「ヘッジファンド第三世代」。

上記のタイプの特徴としては、下げ相場にも対応できる事、流動性リスクを取る事でアルファを取る事を志向するのではなく流動性のある市場でプレイする中でアルファ獲得を志向する事である。こう言った特性が、リーマンショック、ギリシャ危機等一連のショックを乗り切る上で重要な役割を果たしたものと思われる。彼らは運用技能を洗練させ、生き残りを図っていった。結果として彼らの時代が続くのかと思われた。

しかし相場が怖くも面白いのは、あるトレードスタイルがしばらく隆盛して成熟の感を迎えると共にその流れは終了し、次の波が起こる事である。


○そしてアベノミクス相場の到来。今後も生き残るのは「全天候・カメレオン型」「幸運型」か。

そんな訳で2012年の12月以降の「アベノミクス相場」を迎える事となり、久しぶりに大相場となった。

アベノミクス関連銘柄、黒田金融緩和等で恩恵を受けると見られた新興不動産銘柄等の懐かしい面々、バイオ関連銘柄等の中小型株が長らくの時を経て活況を呈する事となった。ガンホー3765と言った巨大ホームラン級の銘柄も登場した。再び、2004-2005年頃を彷彿とさせるように、個人投資家の武勇伝や自慢話が増える相場となった。

この間、上記のような不況慣れしていた「トレーダー型」「第三世代型」は、波に乗り遅れたり、波から降りるのが早すぎたりする傾向にあった。一方で、中小型株バブル、更にはその前のITバブルや80年代のバブルを知っておりかつリーマンショック等を何らかの形で生き残って来た古参の運用者が再度活躍する事となった。

しかし、2013年8月現在では、アベノミクスによる一本調子の上昇相場、ボーナス相場も少なくともいったんは終わったのかなと言った印象である。

こう言った激動のマーケット環境の中で一貫して現在生き残っていて、今後も生存可能なのは、上げ相場でも下げ相場でもリターンがプラスで、大型株でも小型株でもアルファが取れ、リサーチでもトレードでもアルファが取れ、短期でも長期でも勝てて、ロングでもショートでも取れる、と言ういわゆる「全天候型」「カメレオン型」とでも言った所であろうか。

後はリーマンショック等の前後でも無我夢中でやったら理由は良く分からないが何とか僅少の損ないしはプラスで上がれたとか、リストラ局面でも運良くリストラを逃れたりリストラされても転職先にありついてキャリアを継続出来た、理解のある顧客が居て最後のところで解約ラッシュを踏みとどまる事が出来運用継続出来た、と言ったとにかく運が良い「幸運型」であろうか(*)。

勿論「全天候・カメレオン型」と「幸運型」の複合あわせ技と言ったケースもあるだろう。

(*注:因みに運を用いて運用なので、運が良い事は重要なスキルの一つである。ドラクエ3のステータスに「うんのよさ」と言うのがあり、「遊び人」の職業がそれが異様に高く、悟りの書を取得する以外の手段で賢者になれるのは「Lv.20以上の遊び人」だけだった事を思い出して欲しい。運の良さは力であり、Lv.20になるまで運の良さで生き残れる継続的な運の良さは知恵に繋がるのである。日本の誇る名経営者、松下幸之助氏も、「運が良い人でしたか、悪い人でしたか?」と面接者に聞いて、私は運が良いと答えた人を採用していたと言うではないか。運は重要である。筆者も幸運であるように心がけているし、運の良い人・良さそうな人と一緒に仕事をしたいものである。)

もはやこう言ったレベルはかなりハイレベルな「奇人・変人」の域であり、若手が新規参入するには結構難易度の高い商売になってしまったような気もする。


○終わりに。

さて、主にバイサイド・ヘッジファンドを主眼にして記載した、概ねここ10年ちょっと位の日本株回りのアナリストJobの変遷はこんな所だろうか。

こうして一通り書いてみてふと思う事がある。昔は外資系金融業界なりヘッジファンド業界と言えば、比較的大らか・大雑把でベンチャースピリットに溢れ、ちょっといい加減でもやる気とリスクテイクする気合があれば何とかなる、競争的にせよ業界として成長段階にもあったため仮にリストラされても次の職場も比較的直ぐに見つかる、と言った具合で比較的牧歌的な面もあった業界だったように思うのである。

なのに気づいてみたら、こんなにストイックな修行僧のような業界になってしまったと言うか、何と言うか。これが経営学・戦略論で言う所の産業ライフサイクルの成長段階から成熟段階に到達すると言う事なのだろうかなとも思う。

筆者はそんな厳しい世界で働きたいと思った事は元来無かった(これは魂の叫びに近いものがあるな・笑)。楽に儲けられるのであればそれが勿論良い。しかし気が付いたらこの業界にどっぷり漬かっている。特段何かの分野で能力値がずば抜けて高い訳でもなく、生来のギャンブラー的才能等が元から備わっている訳でもなく、なぜ生き残っているのかも不思議である。自身なりに上記のような変化に適応出来るように芸風と言うか持ちネタと言うかを広げるよう努力して来た面もあるにはあるが、運の要素もかなり強いと思う。しかしまあこれもご縁なのかなと思いながら感謝して現在仕事をしている。

今後も金融業界、運用業界、ヘッジファンド業界はめまぐるしく変わって行くだろうし、それに適応出来た者と運の良い者だけが生き残るのだろう。筆者としては弊業界に所属する末席の一員として、そろそろ産業ライフサイクルで言う所の衰退段階を経て残存者メリットなど効いて来る事を祈りたい気もするが、余り他力本願でもいかんな等と思いつつ、今日も窓際で茶など啜りながら運用業に励むこの頃なのであった。そして、うんめでたしめでたし(?)、よくまとめました、とボランティアでこう言った記事を書いている自身に取り敢えず自己満足しておくのであった。

…と言う感じで、こんな所だろうか。筆者の個人的な経験・実感を中心に走り書きの備忘録程度に記載しているため、やや偏り・誤り・省略や簡略化等はあるかも知れないものの、これが筆者が運用業界、ヘッジファンド業界に従事する中で目撃した、10年ちょっと位の主に日本のバイサイドアナリスト稼業・ヘッジファンド稼業の変遷である。大した参考になるとは思わないが、業界経験の浅い若手等が読めば、2000年代の金融業界史・バイサイド・ヘッジファンド業界史として「へえー」な気分で読めるかも知れない。そう言った形で多少なりとも参考になれば幸いである。
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