さて、前回までで、「男女関係開始アルゴ」を男性側、女性側双方の視点で紹介した。
しかし、これは「男女関係開始アルゴ」であって、「深い男女関係継続アルゴ」でもないし、「結婚・再婚アルゴ」でもないと言うのが留意点なのである。実際にこうしたテンプレートで婚活をしたり恋愛を開始する事には善し悪しあり、どちらかと言うと問題点の方が多いようにも現在は感じている。
そこで今回は、「敗軍の中年おっさん、兵を語る(男女関係開始アルゴの問題点を徒然に)」と題して、恋愛の開始をこうしたテンプレートに頼る事の問題点を中心に、アラフォー中年の懺悔の気分と共に記載しておこうと思う。
○「男女関係開始アルゴ」の良い点
まずは良い点から。
・男女関係を始めるだけなら困らなくなり、対人スキルが改善し、一定の自信が付く。
単に男女関係を始めれば良い、異性との逢瀬を少し楽しんでセックスしたいなという時に、あまり困らなくなる。男性なら女性からちゃんと男として、女性なら男性からちゃんと女として見て貰えているな、自分は異性にとり魅力があるのだな、年齢が妙齢・佳境に入っている場合は自分はまだまだ行けるんだなと実感出来る。
人間、煎じ詰めると異性にモテない・セックス出来ないと言うのは男女双方とも、人格形成に大きな負の影響を及ぼすものであろうと思われる。そうした非モテ時代の問題から自由になれる事で、全く違う世界が広がるようになると言う効果はあるように思う。
また、対人スキルが上がると言う面もある。慣れてくると3ステップアルゴを調節しながら、知人・友人・恋愛対象等の対人距離のマネージが自分で出来るようになる。恋愛関係に進めたい場合はアルゴ通りに恋愛の話をし、ボディタッチやスキンシップを増やしていけば男女関係の雰囲気に出来るし、友人にしたい場合は仕事や恋愛の悩み等を共有するなどで友人関係に出来るし、知人にしたい場合は主に仕事の話や差し支えない世間話等に終始する事で知人程度に出来る。不愉快で知人にもしたくない場合は次回のアポを取る機会を持たないようにする事で関係自体をフェードアウトさせてゆく事も出来る。
相手の反応を見ながら対人距離を調節する事も出来るようになり、相手が明らかに自分の事に色気を感じていて乗り気の場合は3ステップアルゴを早送りにして初対面からちゅーなりやろうと思えば最後まで進めてしまう事も可能になるし、相手が自分の事を知人程度に位置づけており進展の余地はないなと察知して人間関係が拗れる前に知人・仕事上の付き合いのみに収めるようにも出来るようになる。
こうした事をある程度自分で管理出来るようになり、特に対人関係に不得意感を持っている人については、対人関係まわりの悩みが以前より減る事は実感出来るようになるだろう。男女だけでなく職場等でもソツなく対人距離を調整出来るようになり、いじめやセクハラ・パワハラ等のターゲットになりづらくなる等の効果はあるだろうと思う。
結果、全く男女関係のスタートも切れなかった頃に比べて、「絶対の自信」は付かないものの、「一定の自信」が付くと言うのはあろうかと思われる。(なぜ「一定の」自信であり、「絶対の」自信ではないのかと言うのは、問題点の所で詳述する。)
○「男女関係開始アルゴ」の問題点
次に問題点である。率直に言って、恋愛の開始をこうしたテンプレートに頼ることには、長期的には問題点の方が多いように思われた。
・出会いが段々と「作業・接待」になり、楽しくなくなる。出会いの質が悪くなる。
特に婚活として意識して3ステップアルゴで活動し続けると、作業感が強くなる。
最初のうちはお手手繋ぐのもドキドキしていたものが、トヨタの自動車生産の流れ作業のように簡単にお手手を繋ぎ、ちゅーをして、自宅で料理を作り、ベッドイン出来てしまうようになる。いい歳して初々しさとか言う歳でもないにせよ、これはこれでどうかと言うのはある。率直に言って、出会う事の義務感・負担感が徐々に出てきて、新しい異性と出会う事が余り楽しみではなくなる。
また、作業・接待感で出会いを重ねていると、だんだんと出会いの質が悪くなるようにも思われる。これは、自身の人との接し方に作業感が出てきて楽しんでいない事によって、恐らく自身が事務的になり自分自身の質・人間味が劣化すると言う事と、それに応じて出会う相手の質が同様に劣化していくと言う事と、双方で効いてしまうように思われる。
人間、同じようなマインドやエネルギーレベルの同類が引き寄せあうものである。やはり、心のこもった人間関係を持つ、相手と会う事を楽しむように心がけていないと、周囲にも似たように人間関係が雑な人、殺伐とした人が増えて来てしまうように思われた。
そうした背景から、「男女関係開始アルゴ」で男女関係が開始されても、愛情の密度としては表面的で薄いものになりがちのようにも思われた。相手は自分自身・人柄等を愛してくれているのではなく、雰囲気の良い店でデートして雰囲気の良い自宅で旨いパスタ振舞ってくれて等等の「フワッとした雰囲気」を何となく好んでいただけだったのかなと思う事が多くなった。
自身の人との関わり方が作業感の伴う事務的なものになってしまっているのであるから自業自得・因果応報と言う面はある。ある段階から、「3ステップアルゴで密度の低い恋愛を繰り返して試行回数を増やしても、結婚・再婚には至らないかも知れないな」と思うようになった。
こうした症状は、「3ステップアルゴ」を使用する・しないに関わらず、婚活で切迫感・義務感にかられて次々と異性と会っていると起こりがちの問題のようにも思われる。異性を株のスクリーニングみたいに学歴・年齢・収入・趣味等の条件でスクリーニングして、ベルトコンベアのライン作業みたいに次々と人と会って行き、小手先のテクニック・タクティクスで「ソツのない定型的な魅力」で男女関係を開始する。
こうなってしまうと、回数を幾ら稼いでも有意義な出会い・男女関係・人間関係は結べなくなってしまい、カラ回りになり有意義な恋愛や結婚から遠ざかる一方になってしまうと思われるので注意が必要である。
1回目のデートでディナーを終えて「バイバイ」をした後に、接待を終えた後のような疲労感と、ハァーっとため息が思わず出てしまうようになったら、かなり危険サインである。いわゆる婚活疲れと言うやつである。
そうした場合には、もう男女関係初期の場数を踏むのは十分なので、ちょっと立ち止まって、中身のある人間関係を構築するにはどうしたら良いかと言う事を真剣に考える事をお勧めする。
・最初の3回のデートだけ最適化された洗練されたものになり、初期の期待値が互いに高くなり過ぎ、その後の失望感が大きくなる。
3ステップアルゴを確立した筆者の序盤戦の典型的なおデートはこうだ。髪型服装を小奇麗に整え、ジムで体格を整えた状態で、女性側のニーズを捉えた適度に良いレストランに行き、バーに行き、段々親密になり、3回目のデートでパスタなど自宅で振る舞いワインで乾杯する。一晩過ごした翌日の朝はコーヒーを淹れて女性が起きるのを待っている。筆者が車を持っていた頃はこれに加えてサングラスして赤のポルシェで自然に囲まれたカフェでブランチでも一緒して彼女の家まで見送り等も付いていた。慣れて来ると、DQNのキモい系拗れ独身中年でもこう言うのを空気を吸うように普通に出来るようになる。何事も場数と慣れである。
しかしついった酒場でどうしようもない事ばかりグダグダ呟く筆者の実際を知る皆さんには分かるだろう。そう、余りに出来すぎなのである。
筆者の実際は上記の活動から想定されるようなおシャンティなミドルではない。実際には、加齢に嘆き、上がらない収益にため息を付き、 行き詰るキャリアに悩み、引退出来るだけの資産蓄積もなくこのままじゃ老後まずいだろと焦燥し、再婚出来ない事に嘆き、女心が分かっているように見えてさっぱり分かっておらず、男女活動の行く末にアラフォーのいい年したおっさんが厨二の子供のように一喜一憂しているようなおっさんである。自分でも自覚しているが、ドラえもんののび太がダメなまま大人になってしまったような中年男、そうした面が否応なくあるのが実際の筆者なのである。
確かにおシャンティなオサレ系カフェのようなライフスタイルを適度に取り入れるのも嫌いではなくまあまあ好きな面もあるにはある。しかしそれは自身が根っからのおシャンティ、石田純一先生的なモテのDNAを持つからではない。自身のいけてなさ・グダグダしたマインドだけでは余りに心身のバランスが取れないのでおシャンティを取り入れる事でバランスを取ると言う、「魂の平衡運動」の結果としてのおシャンティなのである。言ってみれば、いつもくさやの干物だ魚の内臓の塩辛だと言った珍味ばかり食べていては栄養バランスも狂うから、オーガニック野菜のサラダもしっかり食べようねみたいな話なのである。
しかし先の序盤戦のデートでは、そうした側面が全く表現されずに、オーガニック野菜のおシャンティなカフェ・レストランの食事みたいになってしまう面は否めない。実際にはおシャンティカフェのオーガニック野菜サラダ風味の自分は前菜であり、くさやの干物や内臓の塩辛も含めた決して万人受けする訳ではないフルコースが自分だと言うのに。
結果として、序盤のデートにより女性側の期待値を余りにおシャンティな方面に引き上げてしまい、付き合いが長くなればなるほどに失望と下方修正を繰り返すと言う構図になりがちであった事は否定できない。仕事で空売りするようなクソ企業・クソ株・クソ経営者達、上場ゴールのクソIPO企業達をこれではさっぱり笑えない。
また、3ステップアルゴに応える女性側にしても同様の構造的問題があろうかと思われる。
男性が好むような服装やナチュラルなメイクで装備し、レストランの希望をガイダンスし、店のチョイス等に多少の不満があっても「ありがとう」と笑顔で返し、男性のどんな理解不能な趣味にも 「いいね!」をして「私もxxさんと一緒に体験したいわ♪」等と共感を示し、その他の細かい男性の気遣いにも目ざとく気づいて「ありがとう」の感謝を示す。男性がお手手繋いでちゅーして一晩お泊まりし易いように男性の知らぬ間にガイドをする。男性の家に訪問する際には前菜/ワイン/スイーツ等を持参する。そしてベッドで一晩過ごす。何て理想の女性なんだろうか。男性の期待値はどんどん高まる。ああ筆者の期待値も高まって行ったさ、嗚呼。
しかし、そんな『理想の女神だけ』みたいな女性がこの世に居る訳はない。実際は生理の周期で男からすると意味不明に不機嫌・情緒不安定になったりし、言う事と実際考えている事が全然違うのに「言わなくても分かってよ!」とかキーキー詰め寄って来て、男からすると「俺は超能力者じゃねえんだよ平素概ね仕事のことで頭が一杯なんだよ言葉できちんと説明してくれないと分かる訳ないだろ」と喧嘩になったりする。これが現実である。こうした現実を経ていくにつれ、女性側も下方修正・ネガティブサプライズを繰り返して行く事になる。
こうして、男女ともに「恋愛初期のアツアツバブル期間」は終了していく事になるのである。何度これを繰り返した事か。嗚呼。
その他に、試行回数の問題もある。
最初の3ステップアルゴのデートについては、同時に複数人数こなす事になるので試行回数は必然と多くなり、経験曲線もどんどん効いてくる。従ってどんどん慣れ・学習・改善が蓄積されてこなれて来る。
一方で一人の異性と真剣にお付き合いするのは当たり前だが一回に一人であり、しかも一人に半年一年と時間を使う事になる。2-3年以上の単位での付き合いとなると、当たり前だが誰だって人生において数える位の交際回数しかない訳である。しかも長期の付き合いになればなるほど個別具体的で相手によりケースバイケースなのであり、容易に一般化はしづらいし前の交際のノウハウを次回に転用すると言うようには行かない。
結果として長期の真剣な男女関係の試行回数は中々増えず、歳を重ねた所でそうそう洗練・学習は蓄積されては行かないし、何歳になっても手探りの暗中模索の面は否めない。構造的に、年齢・経験を重ねるほどに「お付き合い前・初期」と「お付き合い開始後」の学習レベルに差が生じ易くなると言う構造的な問題があるように思われた。年齢を重ねれば完璧に男女関係がこなせるようになるなどと言うのは幻想である。そりゃあ学生の頃と比べれば男女共大人になるにつれ一定の成熟はなされるものの、何歳になっても結局は試行錯誤、学習と成長の過程であるのが男女関係である。
つまり、3ステップアルゴにせよ、巷に出回っている恋愛・モテのマニュアルの類にせよ、恋愛初期を洗練したものに最適化するが故に、初期の期待値もオーバーシュートしがちで、バブルの山も大きくなり、翻ってバブル崩壊のショックも大きくなってしまう、と言う構造的な問題を否応無く抱えているように思われるのである。結果として短期的な関係に終わってしまいがちで、長期的な健全な男女関係の構築に至りづらい面はあると思われた。構造としては上場ゴールのIPO企業・株と問題の種類としては似ている。
もちろん、出会い初期を余りに所帯じみたものにしてしまうとそもそも結婚・再婚どころか男女関係のトリガーが発動せず、彼氏・彼女居ない歴x年の歴史だけが更新され刻まれて行く事になる訳で、さじ加減は非常に難しい。余りに謙虚で控えめ過ぎても、そもそもIPOどころか資金調達もできず成長のチャンスすら掴めない訳で、そうして藻屑と消えて行く幾多の中小企業と問題の性質はここでも似ている。男女市場砂漠の日照りにやられて、干物男、干物女の状態からいつまでも脱出出来ないというのは本当に生きていてつらい。
しかし何にせよ、3ステップアルゴを最適化し過ぎると、「序盤だけやたらおシャンティな雰囲気になり、付き合いが長くなるにつれて後は失望するだけ」と言った事態に陥り易いのは確かである。この点は注意が必要だと痛感した。
・根本的な人柄や相性は3ステップアルゴでは分からない。特に、意見の相違・けんかが起きた際にそれを乗り越えられるか否かが3ステップアルゴでは分からない。
これは上述の、「初期の期待値だけ高くなり、後ほど男女双方で下方修正を連発する事になる」の派生形であると言える。「男女関係開始アルゴ」を用いると、男性側は最初の3ステップを最適化された形でこなすようになり、そもそも交際初期では女性側に大きな不満が出づらい。会話内で相当の失点でもしない限りは「ソツのない」感じになる。
また女性側も多少不満があっても批判はせず「ありがとう」とまずは言う、適切な配慮をするという大人の社交をする事になるため男性側にも不満は出づらく、問題が発生しづらい。
しかし男女関係を開始して交際を続けて行けばいつかは、「意見が合わない」「自分は相手にこうして欲しい・こうあって欲しいと思っているけど相手はそれを満たしてくれてない」と言う事は必ず発生するのであり、不満と言うのは必ず出てくるものである。
ここで初めて互いに心の奥底で燻っていた本音・本質的な人柄がぶつかり合い表出するのであり、これを建設的な形で乗り越えられるか否かは決定的に重要である。つまりは「ケンカが互いに一線は越えてしまわずに、信頼関係がベースにある状況が保たれた形で適切になされ、適度に収拾されるか否か」が男女のパートナー関係が長期にうまく行くには重要ポイントであると、既に一回離婚している筆者としては痛感している訳である。節々で小さなけんかや意見の相違でぶつかり合いながらも、それをこなしていく過程で男女相互の理解も深まり、だんだんとあうんの呼吸も醸成されて来るものだと思う。
しかし「3ステップアルゴ」ではこうした長期的に重要な相性は確認できない。
要するに、「3ステップアルゴ」では、互いに表層的な経歴・性格・雰囲気・セクロスの相性等を、おシャンティなデートと言う雰囲気上のゲタを履いた状態でカジュアルに、かつ比較的短期間で効率的に確認できるという話である。
一方で、付き合いが長期化してオサレなデート・雰囲気と言うゲタ・恋愛初期ボーナスがなくなった状況における、長期的に関係を継続する上で必要な、より根本的・本質的な人柄・本音・相性を確認していく事がしづらいのである。
結果として、交際期間3-12ヶ月程度のうちに意見不一致やケンカが勃発し、それを乗り越えられずに関係が終了すると言う事案が頻発する事になる。
・根本的な所での自信は付かない。
3ステップアルゴは、ここまで読めば理解出来ると思うが、言ってみればある種の演出・ロールプレイ・対人技術と言う側面はある。
人によっては出会い初期には3ステップアルゴなり巷に出回っている恋愛術をフル活用して、完全にキャラ・性格を作って猫を被っている人もいる。また自身にしても、ディナーの最中の会話のやり取り等で嘘を付いている訳ではなかったし、それなりに自分を出し、ついった酒場のTLのようなグダグダさキモさが大いにあるよ、俺はくさやの干物だよと言う説明は当初からしていた積もりではあるものの、なにぶん行為トータルとして正確に自分のキャラクターが相手に伝わっていたのか、また自分のキャラクターを初期から正確に相手に伝える努力をしていたかと言うと大いに問題があったと反省している。俺はくさやの干物だよとオシャンティなイタリアンを食べワインを飲みながら説明しても、状況トータルとしての説得力に欠ける。上述の通りで「恋愛モードを高確率で発動させるためにちょっとおシャンティ過ぎ」な面は否めなかったなと反省している。
こういう恋愛を繰り返しているとどうなるのか。「演出・対人技術で薄く広く異性からはモテる」「しかし付き合いが長期になって来て相手や自分の素が出ると恋愛バブル崩壊・下方修正で失望する・される」を繰り返す事になる訳である。
結果として、3ステップアルゴリズムを会得した初期については「やべえ俺・私って結構モテる、俺・私まだ行ける、人生終わってない!」と自信を得られるものの、時を経てこれを繰り返すにつれて「どうしても別れてしまい上手く行かない」「素の自分には価値がないのではないか」と言う疑問が次第に去来するようになる面はあるなと痛感するようになった。表面的な自信は増大するものの、一方で自分自身の素に対する深い意味での自信・自己肯定感が、度重なる男女関係の失敗・終了により次第に揺るがされて来る面があるとでも言おうか。
つまり3ステップアルゴなどで非モテを解消する事による自信とは、言わば「表面的な自信」であり、本当に力強い奥底から湧き出る自信ではない事を自覚するようになったのである。
「本当に力強い奥底から湧き出る自信」とは、いけてない面も含めて素の自分で十分に価値があると言う事をまず自分自身が確認出来ている事である。それを土台として、「素の自分でちゃんと異性がパートナーとして自分を愛してくれている」と言うのが加わると人間は本当に強くなる。夫婦円満の会社経営者、磐石の妻・夫が付いている起業家は非常に強い、銀行や投資家側でも「夫婦円満の経営者の会社ならカネを入れても安心」と言った格言があるのは、そうした背景があるのかも知れないなと最近実感するようになった。
つまり、「絶対の自信」「深い信頼関係に基づいた、本当の意味での男女関係のシナジー効果」は、表面的なタクティクス・戦術でちょっとモテるようになりましたと言う段階の男女関係・恋愛からは生まれて来ないという事である。
そんな訳で、「真に豊かな、シナジー効果のある男女関係・男女のパートナーシップ」を得る上で、3ステップアルゴなり世間に出回っている恋愛・モテ・婚活マニュアルの類では不十分、またはどこかの段階でむしろ副作用が目立って来るのかなと言う印象を持つに至ったのであった。
○ではどうすれば良いのか?
最後に、「ではどうすれば良いのか?」である。どうすれば良いのだろう。
何の努力もなし、男女のコミュニケーションの仕方の基本も分からず、男の加齢臭、女のSATC臭全開の段階で「ありのままの私を受け入れて!」と言うのも違うだろう。そして自身の経験上からも、周囲の観察からも、こう言う段階から「素の自分、ありのままの自分を受け入れて!」「ありのまま万歳」みたいな方向性でもってアプローチしてもそりゃちょっと違うでしょと言うか、実際の所芳しい成果は出ていない。そう言う類の人は結婚できていないし、結婚できてはいても大概円満には行っていない。
思うに、こう言う低次元の「ありのまま万歳」の男女と言うのは、三輪明弘先生の言葉を借りれば、「ヤツデの葉っぱに水あめをつけたみたいにベターっと重い」事になりがちなのである。単に未成熟なだけと言うか、身勝手なだけと言う事にもなり易いと言うか。
服装身なりからして不潔で清潔感がなくても受け入れてくれ、デブで不健康な生活してて自分自身の健康管理も出来なくても受け入れてくれ、コミュ障で不愉快な自慢話と下ネタ位しか話題がなくても受け入れてくれ、性的魅力も全くないけど受け入れてくれ、自分の事を説明しなくても言わなくても全部分かってくれ、等等。男女とも、自己中な身勝手・わがまま・未成熟・自己管理の出来てなさ等含めてそれが素の自分なんだから何でも相手が受け入れるべきだ、と言うのは非常に重たい。若いうちであれば改善意欲さえあれば多少の若気の至りは許されるとも思われるが、年齢を重ねて来れば来るほどそれでは重たい。
つまりはちゃんと相手に受容可能な形に、まずは自分自身で出来る範囲で外見・対人技術・内面とも整えておく、自ら立つと書いて自立しておくと言うのはそれはそれで大切な事であると思う。そう言う意味では、3ステップアルゴリズムの一連の外見・コミュニケーション技術の改善の過程、一定の自信の獲得と言うのも無駄ではなかったかなとは思う。
しかし3ステップアルゴ等の表面的なタクティクス・戦術で男女関係を開始させる事に最適化した形で物事を展開しても、真に実りのある男女関係・パートナーシップにも発展させづらい事もまた、上述の通りに痛感する事となった。
ではどうすれば良いのか?
現状の筆者から出せる答えはない。自身の感覚としては、こうして一周巡って、ようやく素の自分で自然体に行きつつも時には男女関係の塩コショウを適度にまぶして楽しむみたいな形でバランスが取れるのかな、一定程度恋愛も楽しみながらも有意義な信頼関係の構築にシフトしていけるのかな、と言う気もしている。
しかし筆者は齢既にアラフォーであり、人口統計の数字上では「結婚はもう殆ど確率としてはない」年齢に差し掛かっている。もうなるに任せる他ないかな、と言う、戦に破れて捕虜になり、打ち首を待つ侍のような気分である。
織田信長の愛した「敦盛」の、「 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」の一節を 諦観・観念と共にひたすら暗誦し、しかし心の中ではエヴァンゲリヲン・シンゴジラ庵野先生の大昔のNHKアニメ「不思議の海のナディア」のフェイトさんのように、「俺は死にたくねぇ、まだ死にたくねぇんだよ!」と叫び(注:分かる同年代のかたは懐かしい気分にしばし浸ってください、分からないかたは流して頂けると幸い)ながら介錯を待つ段階とでも言おうか。筆者のアラフォーの人生、夢幻の如くであった。合掌。
皆様におかれては、筆者の如くにアラフォーにもなって拗れ独身中年を歩む事にならずに、これを他山の石として、人生の早期よりパートナー探し(これはひいては相手を探す過程を通じた、自分探しという事にもなる)にはきちんとリソースを割いて試行錯誤し、幸福なパートナー関係を構築されるよう、心から祈るのみである。
「敗軍の中年おっさん、兵を語る」であった。
長らくのご静聴と言うか長文のご読解、ありがとうございました。