Quantcast
Channel: 資本主義の腐海のたび日記:シンガポールのとある日本人ヘッジファンド運用者のつぶやき
Viewing all 30 articles
Browse latest View live

○純ドメの英語学習法 その後

$
0
0
久しぶりにブログを更新する。今回は「純ドメの英語学習法 その後」について、ちょっと良い参考書を見つけたので紹介しておく。

ボトムアップ式 映画英語のリスニング 新装版―NewYork Detective Story (CD BOOK) 森田 勝之



CD付 海外ドラマが聴きとれる! ストーリーで学ぶ英語リスニング (CD BOOK) [単行本]


http://www.amazon.co.jp/dp/4887245092


…上記2冊である。「TOEIC、TOEFLのスコアはソコソコ(TOEICで四捨五入900点内外、TOEFLなら100点程度以上)取った、純ドメとして英語を使用して日々の仕事を遂行する事には困らない。しかし映画等は中々聴けないし、社交の場等くだけた会話が長時間為される場で英語を長時間使うと疲れるし、流暢とは行かないよなあ、これが純ドメの限界かなあ」と言った辺りで悩んでいるかたに是非お勧めしたい。

以下は、参考までに、筆者が上記2冊に到達した背景である(上記が結論で、以下は徒然に長々書いた背景なので、興味の無い方は流して頂ければ幸い)。


○上記2冊と出会うまでの経緯

以前に以下の投稿で、「純ドメがあくまでビジネスの道具として、英語が使いこなせるレベルになる方法」について記載した。

○主に純ドメ大学生向けの「道具としての」英語学習法


このエントリーを書いた際に、上記以上のレベルに到達する事については、「本当にネイティブみたいになるとか、同時通訳等出来るようになるとか、例えば小説や映画のような叙情感だとか瑞々しさのある表現、物書きのようなニュアンスのある表現を使おうとかなると、ハードルは物凄い高くなる(イキナリ英字新聞や映画に飛びつく事の無謀さがこの辺りでご理解頂けると幸いである)。筆者はこの辺はもう、半ば諦めてしまっている。」と書いた。

しかし、シンガポール在住も3年も越えて来たある日、筆者も色々思う所が出来た。例えば以下のような具合だ。

仕事道具としての英語だけでなく、もう少し「英語のある生活」自体を楽しみたくなった。

例えば映画館で、もう少し映画を聴けるようになりたい。もう少し社交を積極的に楽しみたい等。

・英語をもう一段上達させる事に対するリターンが相応にあるのではないかと感じるようになった。

例えばシンガポールに3年住んでみて、普通に住む分にはそう流暢な英語でなくても全く問題ない一方で、そうは言ってもやはり英語が流暢な方が得な局面はシンガポールでもやはりあるようにも感じるようになった。つまり、イギリスほど露骨ではないにせよ、語学力による社会階層分け的なものはシンガポールでもやはりあるように見受けられるのである。

例えば官僚や金融分野のエリート層のシンガポール人には英語が流暢な者が多く、かなりきれいな英語を話す。大抵はこう言った層は下手な英語でもちゃんと聞いてくれるが、自身の英語がアレだと、もうちょっと自分も頑張らないとなあと言う気分になる。で、庶民層になるほどシングリッシュ度合いがきつくなり、低所得層だと殆ど英語が話せない、と言った傾向は何となく見られるように思われる。

また、このような背景からシンガポール人やシンガポールに住んでいるエクスパットの面々等も英語の流暢さで相手の「レベル感」を大まかに値踏みするような所はあるようにも見受けられるのである。接客業やタクシーの運転手等も英語が上手い方が良い対応をしてくれる気もしなくもない。飛行場の職員等は航空会社等にもよるだろうがこの辺比較的露骨なようにも思う。

そんな訳で、たかが語学だが、英語が流暢なだけで周囲の自身への接し方が良くなる・得をしやすい面はある、と言った現実はやはりあるのかな、と言った事を思うようになったのである。


・「仕事の道具としての英語」の面にしても改善余地を感じるようになった。

運用者・専門職で内容が通じれば良いと言った英語レベルで差し支え無い立場の間はいいが、マネジャー・管理職的な立場も兼ねる事になって行くと、社内外でよりコミュ力が問われる事が恐らく増えて来るだろう。現在の自身の英語力で40歳代を迎えてしまうと展望が限られるし、改善の余地がありそうだ。

…そんな訳で、「本当にネイティブのようになる」とまでは行かなくとも、「ノンネイティブとして、もう少し一段上の英語力」を身に付ける事については諦めてはいかんな、継続的に取り組まないとな、と言う結論になった次第である。

しかし、経済ニュース位なら聴けても映画になると中々聞き取れないし、仕事で問題なくプレゼンしたり内容を伝える程度なら出来ても仕事外のカジュアルな会話を流れるようにとは中々行かない(知識もあり必要語彙も一定である仕事で喋るよりも、話題が多岐に渡る雑談の方が得てして純ドメには難しい)等、ブレークスルーが中々なかったのである。

そんな中で冒頭の2冊と出会うことになり、上記のような悩みへのブレークスルーになってくれそうなので、今回エントリーを書く事にしたのである。

参考書の内容としては、英語学習用のオリジナルの脚本を利用して、くだけた英語の発音変化や省略等のルールを学習する、と言ったものである。例えば「get in」は「ゲットイン」でなく「ゲリン」、「Have you find any lead yet?」の「lead yet」部分は「リードイェット?」でなく「リージェッ?」と言った感じになる訳だが、こう言った英語風の発音変化や省略にはルールがあると言う事を、恥ずかしながら筆者は今回の2冊を学習する事で初めて知った。この分野について今まで体系的に学んでこなかったために、「アナウンサーの話すクリアな英語なら聞けるが、映画の早口やくだけた会話になると単語自体は大して難しいものはないのに一気に聴き取りづらくなる」と言った問題が起きていたのである。実際、これらの本を学習するようになってから、聴き取り力も改善したし、スピーキングの発音も以前よりも「より英語らしく」なり、滑らかになった。

また、英語学習用のオリジナルの脚本と言うのがまたよく出来ていて、内容的にも面白い上に、普通の映画やドラマだと数本分観ないと学べない「必要な学習事項」を濃縮して1冊にまとめており、非常に効率が良く、楽しく学べる。スクリプトも完璧で、単語の意味も辞書を引く必要が無いくらい記載されている。このため、映画のスクリプトで勉強する際に時折遭遇する、「スクリプトが不完全で何度聴いても何を言っているか理解できない部分が残る」「単語やスラングの意味やニュアンスを調べるのが面倒臭い」と言った問題に全く遭遇する必要がなく、本当に効率的である。正に、筆者のような上記問題を抱えた英語学習者のツボを完全に押さえた素晴らしい内容である。


勿論ネイティブレベルになるにはこれら2冊だけでは無理だろう。しかし、「これ以上はノンネイティブだから無理」と思っていた諦めをブレークスルーしてくれる、ノンネイティブなりにもう一回りこなれた英語力を身につけるきっかけにはなりそうな参考書である。上記を読んで感じる所があった英語学習者には、お勧めの2冊である。

○スパルタ婚活塾の書評、パートナー探しに悩める愛すべき中年妙齢拗れ独身男女の同類達への讃歌等。

$
0
0
大変に久しぶりのブログとなった。

Twitterでは「ヘッジファンド業界の動向を是非書いてください!」等と言った真面目なリクエストを頂いたりもしたが、週末にそのような仕事のような真面目な事を書く気力が残念ながら筆者のごときでは湧かなかった。そしてスパルタ婚活塾である。ヘッジファンド業界や金融市場の真面目な記事を期待されていたかたには申し訳ない。しかしこれが筆者である。仕方ない。

筆者の芸風も、相場芸人からただのおっさんになって来ている事を大いに感じるが、そんな事は置いておこう。今回は題名の通りで、「スパルタ婚活塾」の書評に絡めながら、パートナー探しに悩める愛すべき中年妙齢拗れ独身男女の同類達への、慈愛に満ちた讃歌を送りたい。

筆者の私生活の話題の中心は、いい中年になって結婚生活の悩みでもなければ、子育て奮闘記でもなく、いまだにパートナー探しであり、ぐるぐると山手線を回り続けるような日々を過ごしている。今や周囲は山手線をとうに降りて、「結婚生活駅」「子育て駅」と言った各自の目的地へと旅立った既婚・子供持ちばかりであり、フェイスブックには子育て奮闘記の話題で溢れている。親には最早孫の顔が見たいとも言われなくなり、筆者の親は姉の子供を見る事で孫の顔が見たい欲求については満足している(双方にとり平和な均衡に到達するに至っているのかなとは思う)。

「自分の人生は山手線、いい歳して山手線、シンガポールにまで来て山手線(注:シンガポールで類似する電車路線としてはMRTのCircle Lineがある。しかしこれは山手線と違い同じ駅を一周ぐるぐる回るようにはなっていない)」。この現実は直視する必要があると感じている。なので今回の話題は婚活なのである。

最初に断っておくとこの文章には最後までオチはないし、自己啓発的に得られる事も何もないし、経済や金融市場に関する知見も全く存在しない。何かを学びたいと思って読むのは時間の無駄である。ただ何となく、昨今の筆者の身の丈で感じる事を、書評に絡めてアナ雪のエルザのごとくありのままに表現してみたかった、ただそれだけである。それでも読みたいと言うかただけ以下に進んで頂けると幸いである。


○スパルタ婚活塾の書評。

スパルタ婚活塾 
水野敬也 


さて、これが今回題材に採り上げたい「スパルタ婚活塾」である。

筆者が勝手に敬愛する文響社、水野敬也氏の著作であり、一言で言えば、女性の婚活を男目線で分析した本である。

非常に面白かったし、「結婚どころかお付き合いする段階に中々至らない、ブレイクスルーが欲しい、厳しい叱咤と共に笑いと励ましを貰いたい」と言う女性には特にお勧めである。また、独身中年男性が読んでもいちいち頷ける事が多く面白いので、疲れた男性婚活の箸休めにもお勧めである。


○実用的な内容が満載。

例えば、女性から意中の男性に意図してスキンシップを図って行く「お触り48手」などは即戦力として使えるものと思われる。確かにこれをされると男は結構さくっと落ちるのだが、これを適切に実践出来ている女性は案外中々居ない。その他にも、男目線で至極その通りなのだが女史側が犯しがちな禁忌と言うのが多数指摘されており、参考になる点が以下の例のように目白押しである。

・「婚活マニュアルでは”聞き手に回れ、相手を褒めろ”とあるが、婚活マニュアルを意識しすぎて会話や行動が通り一遍、ただ褒めるだけ聞くだけになってしまっている女性と話していても面白くない・印象に残らない。」

・「SATC臭のする女はまずダメである。SATC臭とは、肉食系で、凝ったブランドやおしゃれ等に凝っていてカネもかかっているのだが女性目線を気にし過ぎていて微妙にシャープ過ぎて色味がは虫類のごとくやや原色に近いきらいがあり男のツボから外れており、自虐ネタが多く、会話の中身や笑い方がどことなく下品な女である。アラサー以降のハイスペ女史にSATC臭が中年男の加齢臭のように付きがちであり、そうした臭いが身についていないか細心の注意を払う必要がある。」

・「女性は女目線を気にし過ぎる余りファッションの方向性が男受けする所からずれている。男が好きなのは白のワンピースとかシンプルにかわいらしいものでブランドで言えば(女性同士では格好悪いと言われようが)ジルスチュワートみたいのだ。」

・「セクロスの事に及ぶ段になって”私、付き合っている人とでないとしないの”等と言うのは男の気分を萎えさせ、もうこの女史どうでもええわとなる禁忌の筆頭である。付き合うとセクロスの交換とか何の商取引ですか、高いフレンチの店でワインを値切ろうとする男のように全てが台無し。」

...等等。もう男目線からすると、逐一至極その通りである。因みに本書には書いて居なかったが、白のワンピースやジルスチュアート風ファッションに更に一点加えると「ナチュラルで自然に見えるが実際は白いカンバスに絵を描くかのごとく顔を作り込んでいるフルメイク」等も男目線的には重要であろうと筆者的には思ったのでこの場を借りて追加しておく。

男女市場に打って出ようと言う際に、こう言う基礎的な傾向と対策すら打てておらず、ドラクエで言えばスライムを倒して経験値を稼ぐまでもなく討ち死にしている人は男女共に非常に多いのではないかと、ここもとで比較的多数の女性との婚活活動を行いサンプル数だけは増えて来た拗れ中年男である筆者からすると感じる。本書はこうした女性に対して、「男女市場に打って出る際の基本的な武器と防具と道具、言ってみれば男女市場クエストの銅のつるぎ、かわのたて、やくそう2-3個」を面白い文章と手ごろな価格で与えてくれると言えよう。


○一方で、筆者的には賛同出来ない点も。

ただ一方で、筆者的には本書の内容に必ずしも賛同出来ない部分もあったのでこの点についても書いておこう。

この本に出てくる「ツッコミ会話術」「吊り橋理論」と言った、「上げて落としてを繰り返し、男性側が失礼と感じるか否か・怒るかそうでないかのギリギリの所を攻める事で印象付ける」と言ったコミュニケーション上のテクニックは、キャバクラの女の子か、キャバクラの女の子が出来る位の年齢の若い女性向けのテクニックかなとも思われ、筆者は賛同出来なかった。アラサー以降の女性が恋愛だけでなくその先の結婚も見据えるようになった段階でやるのはちょっとリスクがあるかなとも思われたのである。

確かに、プロ女子大生とか二十代でまだ「アラ25」位までであれば、ツッコミ会話術や吊り橋理論を年上のおっさん等にやればかなり印象付ける事は出来る。

なぜか。理由の一つとしては、おっさんは、歳が上になればなるほどそうなのだが、会社でも地位が上になり責任も重くなるため、女性からも往々にして「崇められてしまいがち」であり、内心それを窮屈に感じているからである。時には若い頃のカジュアルなモードに戻りたいと思っている面があるのである。このため、若い女性が「親しみを持ってツッコミを入れていじくって」くれると新鮮に感じるしほっとするのである。

二つ目の理由としては、自分の若い頃を思い出して、「自分も若い頃はこうして無鉄砲だったなあ(実際にはプロ女子大生やキャバクラ嬢は緻密に計算して年上の男性に失礼に当たらないぎりぎりの所を攻めているのだが)、まるで自分の若い頃のようだ」と言った感慨を持つ事になり、「ちょっと変わっているけど面白い子だな」と親近感が湧く、と言った要素も挙げられるだろう。大体おやじキラーの若い女子は、こう言う辺りを体感・経験から目ざとく理解した上で、こう言うスキルを身につけているようにも思う。

しかし、これが通じるのはせいぜい「アラ25」位までの女性ではないかと筆者は感じている。アラサー女史以降は、ツッコミや吊り橋理論的な表面的なコミュニケーションのテクニックで得点が稼げる段階は終わりではないかと言う事である。

アラサー以降になり、恋愛だけでなくその先の結婚も考える、となると結局の所は、仕事とどう取り組んで来たか、私生活をどう過ごして来たか、煎じ詰めるとどう人生を生きて来て今後どう人生を生きてゆきたいか、それが噛み合う異性と出会えるか、と言った長期でのファンダメンタル、Intrinsic Valueが問われる事になるのではないかと。

アラサーになって、表面的なツッコミ術や吊り橋理論的な、相場で言えばどうだろう、一時的な需給要因みたいな小手先の会話技術を駆使されても、「ちょっと落ち着きのない女性だな」「こう言うコミュニケーション技術と若さと見栄えの良さで”ちょっと変わっているけど興味を惹かれるかわいくて面白い子”的な雰囲気を演出して人生乗り切ってきたんだろうな、もうそう言うのも通じなくなりつつある歳だけど」位の印象になってしまう気がするのである。

なぜかと言うと、おっさんが若い女子ではなく大人の女性に求めるのは、そうしたガチャガチャしたコミュニケーション術ではなく、カウンターの鮨屋やバーでゆっくりと人生の話が出来る、あるいは週末に家で映画を観たり一緒に運動したりと言った日常を一緒に自然に楽しめる、と言った「大人の休息的な時間を一緒に過ごせるか」と言った事柄であるようにも思うからである。

加えて、結婚となると、例えば金銭感覚が近くお金の話がきちんと出来るかどうか、子供が欲しいか否か・また子供が欲しい場合は予想される子育ての方針がある程度一致するか、人生プランがかみ合うか(例えば筆者の場合シンガポールに今後も長期で住む予定なのでこの点かみ合わないと難しい。男女間での仕事観等が一致する必要もある。男性側は女性に子供が出来た後も働いて欲しいと思う一方で女性側は専業主婦になりたいあるいは逆、と言った不一致があると恋愛でそこまで考える必要はないが結婚は成立しない)、親の介護諸々の問題等、もっと現実的なイシューとも向き合う必要が出てくる。

筆者は離婚経験があるのでなおの事実感しているが、恋愛段階では考える必要のない上記のようなシリアスなイシューとも、結婚となると「大人同士として」きちんと会話・議論が成立する必要がある。それは本書にあるようなタクティカルなコミュニケーション術だけではカバーしようのない話である。

年齢と共に芸風・持ち味も進化・深化させてゆかないと男女市場での生き残りを果たす事も難しいように筆者は感じている。芸能人も若い頃はアイドル・タレントで若さでやって行けるが、年齢と共に本格的な舞台やドキュメンタリー、ドラマで母親の役等出来るようになる事で初めて長期の生き残りが可能になるのと同じである。本書でカバーしている範囲は、「そもそも恋愛関係に入れない比較的若い女性が、恋愛モードに入れるまでの技術」であると思われ、その先の話については本書は何らの記載がないのである。この点は留意して読む必要があるだろう。

○まとめ、愛すべき悩める中年独身拗れ男女の同類たちに送るエールなど。

とは言え、本書にあるようなコミュニケーション術も、例えば仕事・キャリア一辺倒でデートの会話も仕事の話ばかりで口調も理路整然としてしまい会話に「アソビ」「女性らしさ」「色気」を演出する事が中々出来ないために恋愛モードにすら中々入れないキャリアウーマンや、婚活を意識して世間体的に差しさわりのない模範解答的な堅苦しいやり取りに終始しがちな女性等には参考になる所が大いにあろうかと思われる。

また、最初に述べた通りで「SATC臭が付かないようにする」等の「男女市場に打って出る際の基本的な武器防具、言ってみれば銅のつるぎとかわのたてとやくそう2-3個と言った基本装備」が男目線できっちり書かれている稀有な本でもある。銅のつるぎとかわのたてとやくそう2-3個も持たずにひのきのぼうだけで男女市場に突進してスライムにすら勝てずに冒険がスタートしない所で人生が頓挫してしまっている男女も非常に多いのは確かだ。まずは男女関係モードに入れないとその先の結婚だの子供だの親の介護だのの話題をする事も適うはずはなく道のり遠しなのもまた確かであり、本書はその段階を突破するための銅のつるぎを読みやすい面白い文章で安価に提供してくれている。

加えて、「結婚に執着しつつも、それと同時に執着しない余裕を持っていなければならない」と言う禅問答のようなくだりなど結婚だけでなくお金とかキャリアとか他の分野でも言える話であり、更に本の最後は泣けると言うか感動する。笑いを追求しつつも実践的に役に立ち、所々人生の本質を突いており涙と感動がある、と言う水野節が見事に発揮されている。筆者と共に男女市場で迷える独身中年おっさん、また独身妙齢女性の箸休め兼実践の書として、是非お勧めしたい。

悩んでいるのはディスプレイの前の貴方だけではなく、ディスプレイの向こうの筆者も同様である。今日もまた、フェイスブックでは友人知人の子育て奮闘記だの久々に旦那(嫁さん)に誕生日を祝って貰ってデートしてちょっとうれしかった(はーと)だの勝ち組感一杯の話題に溢れる中で、筆者は独りシンガポールの南国を漂流している。

ただ、漂流生活もそれはそれで楽しいものだ。男女市場の冒険者仲間も出来るし、独り暮らしだからこそ出来る自由や楽しみもある。人生をあてもなく漂流しながら目に映る景色や体験する人生経験もそれはそれで味わいのあるものだ。まずは今日のこの日を楽しもうではないか。

そんな訳で、似たような境遇にある愛すべき悩める中年独身男女の同類たちに、「スパルタ婚活塾」と言う銅のつるぎとかわのたて+やくそう2−3個を掩護射撃として紹介しつつもエールを送りつつ、相互の健闘と幸運を祈る事としたい。おお神よ 中年・妙齢拗れ独身男女たちに あなたさまのご加護の あらんことを!(ドラクエの神父さんより)

「男女関係開始アルゴ」のテンプレートその1:参考書と前準備

$
0
0
皆様こんにちわ。「もう夕方になり辺りも暗くなっていて家に帰って晩御飯の時間なのにお砂場で遊んでいる子供」の感は免れない三十路も佳境の筆者による、久々の投稿である。もはや金融市場の話でもヘッジファンドの話でもシンガポールの話でもないが、これが筆者である。例によりこうした話題を希望の方には全くもって情報価値はないのでその点最初に断っておきたい。

色々考えたのだが、今回は「取り敢えず男女関係の発生については困らなくなる方法」について、同年代の独身メイトの友人に自らの経験を踏まえてアドバイスした内容を多少加筆編集して掲載する事にした。最初に「必読の参考書を紹介した上で前準備を提示」した上で、次に「男の側からの女性と交際を始める際のセオリーを紹介」、最後に「男性側のセオリーを踏まえて女性の側はどう動けば良いのか」を記載しようと思う。出来る限り男女両方に適用可能な形で書ければと思う。

これを掲載してしまうのは、言ってみれば筆者としては「手の内」を明かす事に等しい。これを観た異性には同じ手は使えなくなる訳である。しかし、筆者はもう今後10年20年と同じアルゴリズムを男女市場で回し続けてお砂場で遊び続ける積もりはない。「手放す事で、次に行ける」と感じているので、文章化して公開する次第である。

また、筆者とその周囲の同年代の三十路佳境男女の友人を見ていても痛感するが、「いい歳してまだお砂場で遊んでいる子供問題」、いわゆる晩婚化・非婚化と言うのは最早社会問題化しているように思われる。周囲には、本人はちゃんと魅力的であるにも関わらず、ちょっとしたプレゼンの仕方・男女市場における基本的な型とでも言えるものを踏まえていないが故に男女関係が始まらない、と言った人がわらわらと雨後のたけのこのごとく頻繁に見られる。少しでもこれの改善に貢献できればこれ幸いである。内容は男女の浮かれた話だが、当事者にしてみれば大真面目にして深刻な問題であるからして、大真面目に書いている積もりである。

○参考書と前準備

まずは参考書の紹介と前準備である。
スパルタ婚活塾 水野敬也

まずこの本を今直ぐに読む事である。この本のノウハウだけで結婚に到達するとは思えないが、交際回数は確実に増えるようになる。筆者が以前に書いたブログも参照。


次にこの本を踏まえた前準備である。大雑把に幾つか列挙すると、以下であろうか。全て男女共通である。

・交際はバッチ処理で1人づつ行かないで、同時に複数を処理・攻略に行く事。

最初に最も重要な事なのでこれを挙げておく。これは特にネット婚活サイトでの異性とのやり取りや合コン、ディナー・デートする位の段階ではそうだ。「一度に大勢とデートするなんて不誠実だ」等と妙に真面目になり過ぎる事で最初のスタートも切れず、「お友達アンパイ君・さん」「いい人だけど異性だと思えない君・さん」へとまっしぐらしてゆくものなのである(筆者の実体験より)。まだ特定の交際相手が居ない段階で複数の異性とデートする事は社交の範疇であり、決して不誠実ではない。ある程度多くの人と接してみないと自分がどう言った異性としっくり来るのかについても見えて来ない。また、最初から一人に絞ってしまわない事で余裕が生まれ、余裕が生まれるとモテる、と言う良い循環になる。先ずはこの好循環を作る事が重要である。一人に絞るのは「この人だ」と言う特定の異性が見つかった段階でと言う事で十分誠実さは維持出来るだろう。

・服装・見た目をちゃんとする。

特に三十路以降であると、男性の基本は、「ジャケット着用」である。「男の魅力スーツ3割り増しの法則」と言うのがあり、女性から見るとスーツを着ている男性は何となくカッコよく見えてしまうものだ。これをカジュアルでも応用するにはジャケット着用である。基本的に、男の場合は「スーツ姿を基点にして、カジュアルに多少崩す、色味を統一する」と言うステップを取ると失敗がないように思う。スーツをカジュアルジャケットとチノパンやきれいめのジーンズにして、ネクタイをストールに変え、眼鏡をサングラスに変え、仕事用のストレートチップの革靴をややオサレ風な革靴に変える。色味を青・ネイビー系、茶系など自分に合いそうな色で統一する等。

また、おしゃれな男性に注意なのが、「凝りすぎても・奇抜過ぎても特に三十路以降は異性から得てして好印象にはならない」点かも知れない。20代のころ個性・奇抜さ重視のおしゃれをして来た人が三十路入りした際や、お金を持っていて派手なブランド服を制限なく買えてしまう人などはこの点注意である。大方の女性が三十路以降の男性に求めるのは「奇抜過ぎず、清潔感があり、落ち着いた信頼感」辺りの所かと筆者の経験では推察している。服装については筆者的には以下の書籍辺りをお勧めする。

男の休日着こなしの方程式 
森岡 弘 

他に、顔に色気が少し足りないなと思えば顎鬚など生やしてみるのも良いだろう(但し綺麗に手入れして清潔感は維持する事。「清潔感」は重要と言う女性は多い)。眉毛の手入れもお勧めだ。人相がだいぶ変わりしゃきっとする。

髪型はきちんとお金を払ってちょっといい美容院に行って「老け込んでしまわないようにかつ奇抜になり過ぎず清潔感がある範囲でオサレにやってください」等と頼めばいい塩梅にやってくれる。サイドが膨らんでトップが薄い(バーコードのおじさん等が極端な例)だとおじさん臭くなる一方で、サイドを抑えてトップを豊かめにして少し変化を付けられるような髪型にしておくと若く見えるのだが、そうした点も踏まえて美容師さんは上手くやってくれる。

上記服装をして、サングラスをして眉毛を整えて顎鬚など生やして美容院に行けば、特に三十路以降の男子は殆ど元々の顔などイケメンだろうがそうでなかろうが関係ない。凡庸な顔形でもぼちぼちほどほど位にはなる(筆者体験より)。そして多くの女性は案外男に超絶イケメンなど求めていない。ぼちぼちほどほどでちゃんと清潔、位でも体験上十分である。


一方で女性は基本は白のワンピースとか「男から見てかわいい服」が基本である。女同士のおしゃれ競争に走らない事(必ず余計モテなくなり、どつぼにはまる)。

女同士で見てカッコいいオンナ風の服装、拘った凝ったブランド等は男には殆ど効果がない。悲しいかな、そんな凝った服装よりも、男は女性のTシャツ(夏)や白のブラウス(仕事時等)からほのかに透けるブラジャーのライン等にムラムラと萌えているのだ。

そんな男をバカだの物事分かってないだの言うのは簡単だが、結婚や出産は男としなくてはいけない。逆に女性のファッションの細部やブランド等の違いに非常に詳しい男性は、服飾が仕事である場合等は別としてそうでない場合男同士で見ても色々面倒臭そうな男性である場合も少なくないように思う。「各種色々面倒な」男と敢えて付き合いたいなら話は別だが、そうでないなら現実を直視した方がいい。凝ったブランドもの諸々は女子会の時だけ位にして、男性と会うときは白のワンピース他「男目線で清楚でかわいくて、でもブラなどちょっと透けそうで透けないけどやっぱり微妙に透けるかも」位の服装で場に臨むと効果が高い、と覚えておこう。

その他、メイクはすっぴんでも相当美人である場合はノーメイクでも何でも良かろうが、一般の場合は「ナチュラルに見えるメイクでがっつり顔を作りに行く」のが良いだろう(但しくれぐれも厚化粧してる風になってしまわないように注意。男は見るからに厚化粧の女子を余り好まない傾向にある)。女性はメイクで誰でもセクシーで美人になれる。メイクが出来ると言うのは女性が持つ男性にはない武器である。メイクも実力である。筆者はメイクの細部については知識はないが、Amazonで検索すれば必ずメイクのマニュアル本などあるはずである。後付けで学習すれば改善する事はやっておくに越した事はない。


・体型をちゃんとする。

次に男女とも、ジムに行くなどして体型を整える。太りすぎなら痩せる。お菓子食べないようにして炭水化物の量を減らして(但し炭水化物を完全にゼロにするダイエットは身体を壊すのでお勧めしない。ご飯の量を小盛りに減らすだけ、パスタの量を標準一人前100gから50g程度に減らすだけでも効果がある)、ビールやジャンクフードを控えて野菜を多く摂り適度に運動すれば人間痩せるものだ。

逆に痩せすぎなら適切な肉感を持つ所までウエイトを上げる。プロテインを摂りジムで太ももや胸部など大きい筋肉を高めの負荷で3セットを週2-3回筋トレすれば体重は増える。プロテインは乳製品由来等の動物性たんぱくのプロテインだと胃腸を壊す人もいる(痩せ型の人は胃腸がそう強くないから余り量を食べられず体重が増えない、と言う人も多いように思う)ので、その際は大豆由来のソイプロテインの甘味料他なしプレーンのものが胃腸にやさしく、経験上お勧めである。女性でダイエットマニアで痩せすぎな人が居るが、特に三十路佳境に入って来ると男女とも痩せすぎだと皺っぽくと言うか干からび感が出てきてしまい貧相に見えてしまい色気が維持出来ない。適度な肉感を維持する事である。筆者も元々やせ型だったがジムで筋トレして7kg増やしたら、別に精悍でもないし「可もなく不可もなく」程度の体型に改善したに過ぎないが、それでも女性からの引き合いがかなり増えた。「瘦せ過ぎで貧相に見える」というボトルネックが解消されたということなのだろうと思う。

男女とも、ありのままの自分を見て欲しいとか言うのはベッドインして交際も深まって来てからである。三十路も佳境になり年齢も上に行けば行くほど、お付き合いの当初からこうした事を言い出す男女が後を絶たなくなる。退行現象なのか婚活疲れなのか理由は幾つか考えられるが、何にせよ現実を見る必要がある。

最終的には互いに飾らないで自然体の関係に到達するのがゴールではあるが、序盤の段階ではまず異性に「もっと知りたい」と興味を持って貰う必要がある。服装や体型とはプレゼンテーションである。仕事においてパワーポイントで要点がまとまっていなかったりインデントがずれていたりフォントがばらばらだったらその時点で内容以前に「いまいちだな」となってしまう。それと同じで、男女関係を開始させるに当たり服装・見かけの時点からアレな感じでは男女とも内容・中身を見て貰える段階に中々ならない。特に三十路以降になり若さがなくなって来ると、服装や体型がだらしないと大きくビハインドな一方で、この辺をちょっとちゃんとしているだけで元々の顔だのルックスだのがそうイケメン・美女でなくとも挽回できる余地が大いにある。この辺はちゃんとしておく方が良い事を筆者も経験上大いに実感したので、紹介しておきたい。

・男性は「おっさん臭」、女性は「SATC臭」が加齢臭のごとく付いてしまっていないか厳にチェックし、こうした臭いの消臭に務める事。
下準備の最後としてこちらを紹介しておきたい。「おっさん臭」「SATC臭」は三十路以降で男女市場に打って出て行かざるを得ない男女の大敵である。

おっさん臭とは、いまいちなセクハラ系下ネタや自分以外誰も喜ばない各種自慢話、無理して若者に会話を合わせようと若作りするけど実際はやっぱり世代ギャップは否めず微妙な感じになる等を放出するごとに漂ってくるおっさん臭い雰囲気・臭いの事を言う。

「SATC臭」とは、得てして非モテあるいは20代はモテていたがオプションで言う所のタイムディケイが効いて来てTime to maturityが近づきつつあるハイスペ女子が放出してしまいがちな、Sex and the cityの下衆で色気を全く感じない登場人物女性達のようなオーラを指す。

これらの臭いが定着してしまうと、男女としてはもうお終いと言う面がある。「SATC臭」については先のスパルタ婚活塾に記載があるので是非参考にして頂きたい。

また、歳を取って来ると「いい人」ほど自らの「おっさん臭」「SATC臭」 の自虐ギャグで笑いを取る等してしまいがちだが、これは自らを貶める行為なのでもしそう言う心当たりがある場合は直ぐに止める事である。自分が過去何年間セックスしてないか・干からびてるか等開陳して周囲の同情・笑いを誘っている場合ではない。男性も女性も男女のエチケットに気を遣い、定期的に恋愛ものの映画・コメディ等を観る、年齢相応の紳士淑女として適切な話題の引き出しやコミュニケーションの作法を身に着けるなどして男性・女性として終わってしまわないようにケアしてゆく必要がある。


・まとめ

…ほかにも細かい点は色々あるが挙げるときりがないので、以上位を下準備として挙げるに留めておく。

男女とも、服装・メイク・見栄え等を上記の通りに一変し、おっさん臭、SATC臭の消臭に務めると必ず周囲の何割かからは揶揄される。「何頑張っちゃってるの?」など。普段一緒に「どうしていい男/女っていないのかねー」等とダベっていた同性の非モテメイトの友人の幾らかは去ってしまうかも知れない。

しかし気にする事はない。急に変化すると周囲は驚くものだ。そして周囲の自分を見る目が変わってゆき、普段接する人も変わってゆき、自分の周囲の世界が徐々に変化してゆく事が実感できるだろう。その過程を楽しむ位で良かろうと思う。これで男女市場にIPOする準備は完了である。

下準備だけで相当な分量になってしまったので、「男の側からの女性と交際を始める際のセオリーを紹介」「男性側のセオリーを踏まえて女性の側はどう動けば良いのか」等については次回以降としたい。

○筆者のビジョン

$
0
0
真面目なる運用者の技能を最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なるアルファファクトリーの建設に貢献する短期・中期・長期全てのタイムホライゾンにおける投資・トレードにて好況・不況に関係なく安定した絶対収益を上げる事で、以下3点に貢献したい。

1.個人・年金・大学基金・チャリティ基金等の顧客に、老後の暮らし・大学運営費用・慈善事業運営費用等に煩わされる事なく、安心して各自の人生の謳歌、教育の向上、慈善事業等に集中できる環境を作る事に貢献する。

2.株式・債券等を発行する事業会社には目先業績等を心配せずに中長期的な事業経営に集中出来る環境を作る事に貢献する。

3.これら活動を通じて、金融・運用業界の健全な発展と自身を含めた金融・運用業界従事者の自己実現に資する。』


...以下、幾らか補足したい。

運用者は「真面目」である:資産運用も製造業や他の事業と同じ、真面目な実業である。運用者は真面目なものである。また、コンプライアンス・法令等を遵守し、フェアに清清しく収益を上げて然るべきである。

運用者は「技能を最高度に発揮」せしむものである:鮨職人等がそうであるように、運用者も常に技能向上に努め、これを発揮して然るべき存在である。

運用者は「自由闊達にして愉快」である:創造的な投資・トレードアイデアは自由闊達で愉快な環境から生まれる。バリュー投資の父、ベンジャミン・グレアムは「バカげた事や創造的な事、寛大な事」をしていたいのだと言う名言を残している。ウォーレン・バフェットも時折投資を下世話な下ネタや冗談で喩えるなど、独特の遊び心がある。運用業界の末席にて仕事をする筆者も、先人のこう言った特性に習いたい。

運用者は「アルファファクトリー」である:業界内外から異論はあろうものと思われるが、短期・中期・長期のタイムホライゾンに対応出来て好況・不況に関わらず安定した絶対収益を上げられる事で、顧客・投資先に貢献出来ると筆者は信じている。年金受給者・大学基金・慈善基金等の資金の出し手が不安を抱く事なく、各自の人生の謳歌・教育改善・慈善活動等に打ち込める環境を作る事に貢献するのが運用者のミッションであると考えれば、短期のトレードで市場に流動性を提供しながら安定的な収益を上げられる事も疎かにするものではないし、短期収益の積み上げによる余裕が得られて長期のリスクテイクも不安なく出来るものと考える。また、事業会社の経営者には「短期の株価の対応は、資金の出し手が不安にならないように運用者側で上手くやりくりしておく事もまた運用者の仕事だから心配する事はない。事業経営者は目先の四半期業績を作る事等に惑わされずに、中長期で社業が良くなる事、ひいては社会に貢献する事に集中すれば良い」と声をかける事が出来るものと筆者は考える。

また、目標が東京通信工業の設立趣意書の引用である点については、時代の変化が速くリスクと不確実性に満ちている現代だからこそ、戦後の焼け野原の時点で上記のような設立趣意書を書いて立ち上がった先人の勇気と知恵を拝借したいとの思いからである。

資本主義の腐海のたび日記

$
0
0
シンガポールより、ヘッジファンド業界の動向、金融/ファイナンスのトリビア、ただの雑談等について、つれづれに書いて行こうと思います。

(2010/9/16、2010/10/17、2012/4/17、2014/2/25加筆・修正)
気まぐれ、つれづれで書き始めた積もりが、長期間連載する事になりました。以下に、当ブログの主な項目ラベルのガイドを簡単に書いておきます。

「就職/転職」:金融業界、資産運用業界、ヘッジファンド業界の就職/転職に興味のあるかたは、このラベルを参照頂くと、該当項目について色々書いてあります。

「資本主義Matrix」:就職転職に並んで、元々この項目を書いてみたくてブログを始めた面があります。資本主義の腐海を旅する中で出会った、マネーに関わる人々の悲喜こもごもを題材にしながら、「資本主義の腐海の生態系はこんな感じなのではないか」と思った事を書いていますフィクションですが、アナリスト/運用者として見聞きしたり経験した事実をベースにはしています。お金に対する適切な理解、適度な距離感、そして適切な活用と運用をほんの少しでも促す事が出来れば、資本主義の腐海のいち旅人としては幸いであります。

「市場・経済・金融関連メモ」:金融関連ニュースや相場動向についての備忘メモです。投資は自己責任で。この項目については現在更新を停止しています。ご理解賜ると幸いです。

「投資/金融トリビア」:投資や金融の分野での、ちょっとした「へー」を提供する事を一応目指しています。現在は一般的な話に留める事にしており、特に個別銘柄、相場の方向性、個別具体的な投資戦略等に関する議論は更新を停止しています。ご理解賜ると幸いです。

「本日の名言」:元々のアイデアはBloomberg起動時に出て来る格言の真似ですが、筆者が心に残った格言を、投資関連に限らず紹介していました。昨今余り更新しておりません。

これ以外については、個人的な趣味、雑談、内輪トーク等が中心で、読み手に対する情報価値と言った面は余り考えずに何となく書いている面が強いです。適度に流して頂けると幸いです。

右側にある「関連書籍一覧」は、ブログ内で紹介された参考書籍、映画等です。大まかに、上の方に紹介されている書籍程「読む価値のある書籍」です。多少なりとも参考になれば幸いです。

当該ブログは何らの投資判断、金融商品等の推奨、勧誘等を提供するものではありません。また、当該ブログを読んだ事により読者に発生したいかなる損失も、筆者は一切の責任を取りません。投資は自己責任にてお願いします。

読者からの投稿内容については、書き手、読み手双方が楽しめるブログ運営と言う観点から、公開する事が相応しくないと判断した場合、管理者の判断にて削除させて頂きます。何卒ご理解の上、公序良俗とマナーを弁えた、良識あるコメント投稿を頂けますと幸いです。

メール等で頂く質問等については可能な範囲で目を通した上で可能な範囲で回答致しますが、回答の保証は出来かねます。ブログで金融関連、就職・転職や英語等のスキル習得法等について書いているのは(仕事等ではなく)筆者のちょっとした余暇の活動である事をご理解頂き、質問内容等についても公序良俗・マナーを弁えた上で、整理された適切なものであるよう配慮頂けますと幸いです。また、Twitterについては完全に趣味・娯楽としての位置づけであるため、Twitterでの(特に社会人としての良識・マナー・配慮等に欠けた)質問等への回答については保証出来かねます。

ブログの分量、更新頻度、内容については、筆者都合等により大幅に変化します。この点もご理解賜ると幸いです。

車にお金をかけてみて良かった事3点、微妙な点3点。

$
0
0
3年弱位乗っていたポルシェを売却した。 売却する時には少しおセンチな気分になった。ある意味彼女と別れる時より名残惜しいと言う感覚である。ああキミは嬉しいときもつらいときも常に一緒に居てくれたね...しみじみ、と言う感じとでも言おうか。それと同時に、資本主義における、あるいはツイッター居酒屋・TLにおける話題としては頻出問題の、『車にお金をかける事の是非』について、良い面・悪い面双方で諸々学ぶ面はあった。ここで少しまとめておこうと思う。


○良い面

1.お金を稼ぐ事の楽しさを分かりやすい形で実感出来た。

親にも節約して貯金する事を子供の頃から躾けられ、無駄遣いはいけないと言う価値観で育って来た事もあった。元々自身は質素倹約を旨とした生活をしていて、経済合理性の全くない大人の遊びにお金を使うと言う感覚がなかった。

しかし一方で、質素倹約ばかりして銀行口座の数字だけ眺めていても窮屈だし、人生一回なのに老後のためにお金を貯める生活ばかりしていても仕方ないなとも感じるようにもなっていた。

また、成功者の中には、大金持ちなのに質素倹約を旨として一切贅沢しない人も居るし、一方で『高品質なもの、ラグジュアリなものに触れていくなかで自身のキャパシティも広がり、富裕層の気持ちも分かり共通の話題も出来るし、豊かなオーラ的なものを身にまとう事も出来て、より高みに行けるんだよ』と高級車や機械式時計等を身につけてみる事を勧める人もいる。この辺が実際どうなのか自身で試してみない事にはよく分からないので実際に試してみたいと言う気持ちもあった。つまり資本主義の探究を行うのが仕事の自身としては、資本主義につきものな『ラグジュアリな車を買ってみるとは、どういう事か』と言うお題を実際に体感して理解してみたいと言う気分もあった。

その他、幼稚園の時にじどうしゃずかんを見るのが好きで、赤いポルシェと言うのは単純に一回乗ってみたいものでもあった。

そうした中で、銀行口座の数字を分かり易いモノの形に変換して幼稚園の頃の夢をかなえてやることで、『なるほど、頑張って働いてお金を稼ぐ事で、子供の頃の夢のいくばくかを実現することが出来るのか』と言った、お金に対する前向きな・肯定的な実感を持つ事は出来たようには思う。日本の一般的な教育環境ではどうしても「お金は汚いもの」「常に節約しなければならないもの」と言ったイメージの刷り込みはなされるようには思うし、自身もそのご他聞に漏れなかった面はあった。そうした刷り込みから脱出して、お金を努力してまっとうに稼ぐ事、人生を楽しむためにお金を使う事に対して肯定的な感覚を持つ事が出来たのはちょっとしたブレークスルーであったし、自身の視野・キャパシティを幾ばくか拡大してくれたようには思う。

そうした意味において、成功者のうちの『高品質なもの、ラグジュアリなものを試してみる事を推奨する組』のアドバイスには一定の妥当性はあるのかなと言うのは実感出来た。(一方で、成功者のうちの『金持ちになっても質素倹約していた方が良い』を旨とする組の妥当性もまた別の意味である事にも気づいた。これは後述する)

こうした理解を実感として持つ事が出来たのは、自身にとっては悪くない学びであった。


2.車が好きな人の気持ちが分かるようになった。

当初、自身は(幼稚園の頃の素朴な夢は別として)車全体についてはさほどの興味はなかったし、自動車なんてタイヤが4つ付いていて走れば何でも同じだ位にしか思っていなかった。そんなに車に凝って何が良いのよと。

しかし、実際にポルシェを買って乗ってみると、それはやはり、実家やレンタカーで運転した車とはもう、全然モノが違う事は一目瞭然であった。一言で言えば、良い車と言うのは 「ただの移動の手段」ではなく 「ただ乗っているだけで楽しい」のである。

鍵を回す際や加速する際の抑制のきいたしかし爽快なエンジン音(ポルシェはエンジン音への拘りが凄く、良いエンジン音を出すために排気管の構造等も工夫が為されている)、もったり感が全く無くてアクセルを踏むだけ加速してくれるしブレーキを踏めば高性能のディスクブレーキでピタッと止まってくれる「自分の手足のような」感覚、シートの下から微かに伝わってくるエンジンの振動、音楽やラジオを聴くに気持ちよい高品質なスピーカー・音響設計(エンジンと共に本当に音に拘っているのが素人にもよく分かった)。それら一つ一つが乗車体験のラグジュアリ感を演出しており、ただ乗っているだけで『ちょっぴり贅沢な、良い気分』にしてくれるのである。これは乗ってみて初めて分かる話である。

また、元々がインドア派のオタクであった自身でも、車を持つことで週末にちょっと出かけたり、車がないと行きづらいような郊外のカフェや公園、海べり等を開拓したり出来るようになったと言うのは非常に良い経験だった。電車やタクシーしか使っていなかった頃は、シンガポールの地理にしても「点と点、せいぜい線と線」でしか把握出来ていなかったものが、面で把握出来るようになり、土地勘もかなり付いたし街の楽しみ方の多様化にかなり貢献してくれた。

何より、車を買う事とは「車と共に作る思い出」を買う事なんだなとも実感出来た。 山口百恵の歌そのままに緑の中を真っ赤なポルシェのコントラストで走り抜けて行った週末のカフェのひと時は素晴らしかった。車で頻繁にセントーサ島のホテルのラウンジに行き海を眺めながらプログラミングの勉強をコーヒー一杯で何時間もしていたひと時は今も良い思い出である。毎日の通勤のひと時すら、儲かっている時は祝うように厳しい時はなだめるように走ってくれる感じがして「ちょっと良い時間」を演出してくれたし、彼女がいる時はデートに華を添えてくれるしひとりの時は自分に寄り添うように走ってくれた。修理/点検でシンガポール郊外の広々とした整備工場を訪問した際には、微かにオイルの匂いがする中で夕陽に照らされた幾多のポルシェ達、新しいものから数十年前のクラシックカーのポルシェ、エンジンだけ換装中のものまでが多数佇んでおり、まるで自動車博物館にでも来たかのような趣であり、こうした場を知る機会があったのは素晴らしい僥倖だな等と思ったものだ。

三十路のシンガポールでのこうした思い出が、売却する時には走馬灯のように巡り、少しおセンチな気分になった。レンタカーやカーシェア、Uberではここまで日常に密着した形で同じ車を長期間利用する事には実際ならないだろうから、車にこうした『思い出と紐づいた愛着』までは湧かないだろうと思う。これは車を所有する事ならではの価値であろうかと思われる。自動車メーカーは性能とかよりももっとこう言う「Pricelessな思い出バリュー」を売り込んだ方が良いと思った程である。

その他、良い車を買う事で、隣に乗る人も喜んでくれる、と言うのもあった。女性も最初に見た時には『赤のスポーツカー』と言うベタ感に抵抗感を覚える人も幾らかは居たが実際には乗れば100%好評だったし、友人の子供を隣に乗せて走ったら喜んでくれたと言うのはこちらも嬉しかった。なるほど、良い車に乗ると言うのは自分が楽しいだけでなく、人を喜ばせる事も出来るのかと。

そんな訳で、昔は車が好きな人の熱弁を聞いていても何がなんだかさっぱり、と言う感じであったのだが、実際に自分が体験してみる事で、車好きの人の気持ちにも共感する事が出来るようになったのである。


3.最後の「モノを手放す」と言った所も含めて学びになった。

遠足はおうちに帰るまでが遠足、車と言うのは名残惜しさと共に手放す所まで含めて車である。同業者で、所得はピークアウトして、最早幸運な時期も終わり良い場所にもいないのに、見栄や世間体で生活水準を下げられないでアップアップしている人、と言うのは見るに堪えない。モノはいつか手放すものであり、執着するのもまた良くない。

しかし頭ではそう理解していたものの、実際に一回良いモノを手にしてしまった後でそれを潔く手放すと言うのには一定の勇気が必要である事もまた実感した。口で言うだけなら簡単だが、実際にやるのは何事も難しいのである。

そう言う意味では、お金が入れば適度に楽しむためにお金を使い、収入が下がれば軽やかに余計なモノは手放して身の丈でいつでも楽しむ事が出来る自分でいられる事が分かったのは、ちょっとした自信になった。車のある生活は楽しかったが、別になくても人生を楽しむ事は出来る。そう言う実感・自信は、この不確実性の高い時代において、不確実性の高い商売をやっている自身にとっては結構大切な事かも知れないなと感じている。

そんな訳で、全体として、おカネを楽しむためにえいっと使う事の楽しさ、車がある事による行動範囲の拡大、楽しいひととき・思い出、手放す時の名残惜しさなどを一通り味わい学び、自身の三十路ライフの味わいを増してくれたように思う。


○悪い面・微妙な面

1.定説通りに「死亡フラグ」になった。

アナリストの界隈では、「フェラーリの法則」と言うのがある。フェラーリを購入して雑誌等に掲載されるようになった経営者・そうした経営者の運営する企業は概して「売り」であり、この人もうピークアウトだな、と言う事になる。

自身の感覚では、イタリア車で真の「遊びのため・見せるため用の車」であり維持費も高くつくフェラーリやランボルギーニではなく、あくまで実用車のポルシェなんだ、と言う所でこの問題を回避した積もりであった。ポルシェと言うのは真面目堅物のドイツ人の作ったあくまで実用車であり、値段的にも特にエントリー~中位車種であるボクスターやケイマンであれば「サラリーマンが頑張ったらちょっとした贅沢として買える位」に設定(注:但しシンガポールにおいては車と言うのは日本の販売価格の概ね2.5~3倍増しの価格でありその限りではない)されており、故障も昨今殆どなく維持費も案外ソコソコで済む。『実用性重視の中での抑制の効いたラグジュアリ』の真面目堅物のドイツ人の血統の硬派なポルシェなんだ、石田純一やGacktが乗るような『真の伊達男・贅沢の象徴・良くも悪くも大人の遊び以外の何者でもないイタリア車』じゃないんですよと。

しかし実際の所はフェラーリとポルシェの間でそんなに大差はなかったかも知れないとも感じている。結果としてポルシェを買った時が自身の年収のピークアウトのポイントになってしまい、ぶっちゃけこの2-3年の自身の年収は、全く振るわなかった。相場の商売なんて言うジョブセキュリティがさっぱりないストレスのかかるリスクの高い寿命も長くない商売をやっていて、年収が普通のサラリーマン位(ヘッジファンドではベースサラリーは大概そう高くは設定されていないため、応分に収益を上げて応分のボーナスを得ない事にはこうなってしまう)では、率直に言って全く割りに合わずペイしない。

やはり、自分の楽しみのためとか、達成感の実感のためとかで大きな消費をし始めるタイミングと言うのは、何かしらこうピークアウトになりがちあるいはピークアウトの時期と重なりがちなんですね、と言うものがあるのではないか等と実感するに至った。アナリストとしては良い経験をしたと思っている。今後は少なくとも当面の所は、質実剛健質素倹約で電車に揺られて通勤する積もりである。


2.良い人のご縁や運気を運んでくれるかと言うと、副作用もある事を学んだ。

車と言う趣味が広がる事で得られるご縁もあるにはある一方で、『シンガポールでポルシェに乗っているファンドの人』と言う事実、またそれにより周囲に与えるある種の印象が、例えば良いご縁・人との出会いや運気面でプラスだったかと言うと副作用もあったように感じている。

車にお金をかけると、実態としてはどうであれ、世間から見るとよきにつけ悪しにつけ『お金持ちに見える』と言う面はあるのだなと言うのは実感した。詐欺師が成功者風味に見せるために高級車に乗ったり一流ホテルでセミナーやったりする場合があると言うが、これは効果てきめんなんだろうなと言う事は実感出来た。実際には昨今の水冷ポルシェは昔の空冷エンジンの頃と違って故障もしないし車検もそんなに高くはないし、維持するだけであれば世間が思う程には実際はお金はかからないのではあるが、世間でそう言う事を理解している人はさほど多くはない。

昔からの知人で、もともとの自身の出自・性格・キャラクターをよく知った人であれば、『あんたがポルシェ?ぷぷぷっ』と言う微笑ましいハロウィンの仮装行列的な何か的なネタである、あるいは『倹約ありきだったのに、勇気出したね~』と言うある種実験的な試みであったと言う事は理解してくれる。

一方で、初対面の段階で、『シンガポールでポルシェのファンドの人』 と言うのが第一印象になってしまうと言うのはある種の問題を伴う事を実感せざるを得なかった面もあった。有り体に言えば、拝金厨、胡散臭い有象無象厨、 お金目当ての奢って奢って乞食、と言った有象無象の人種も引き寄せてしまいがちな面は今思うと否めない面もあった。表面的には口ざわりの良いお世辞を言うこうした人達に、実際は仕事・キャリアも難しい時期に差し掛かっており悩みもある云々でも話そうものなら、男女問わずサーっと引いてゆき、まともに話を聞いてくれたり相談に乗ってくれる人などいない。胡散臭い界隈の、お金・利害だけで成立している「お友達」等と言うのは得てしてこのようなものである。

そんな訳で、かなり気をつけていないと、利害・私心のない素朴・素直な朗らかな人達との本当の意味で豊かと言える長期的で信頼できる人間関係を構築するに際して、『シンガポールでポルシェのファンドの人』 と言うイメージ・色眼鏡で見られてしまう事については微妙な影を落とす面もあるのだなと言った事を身を以って学ぶ事になった。


3.モノが人生の諸問題を根本的に解決する訳ではないという事もまた実感した。

確かに良い車は楽しい。生活に華を添えてくれる。しかし、根本的な所で、物欲を満たしただけでああ幸せわが人生に悔いなし、人生の諸問題は全部解決、等と思えるほどに人生は単純ではない。当たり前の事かも知れないが、地方のさほど裕福でもないDQNとして育った自分には、そう言う事も実感して体験する必要があった。

もちろん衣食住がきちんと満たされ、それなりに良好な暮らし向きであると言うのは幸せを構成する要素として重要な所ではある。物質的に貧しい環境の中で心だけでも豊かに保つと言うのは可能ではあるにせよ相応の精神力・人間力が要るものであり、凡俗でそう高邁でもない一般人たる自身には、やはり「一定程度の良好な生活環境と金銭面の余裕」は幸せを感じ心身ともに満たされるには必要条件ではあると感じている。

しかしそれだけでは人間満たされる事はなく、つまり物質的な充足は幸福への十分条件ではない。社会に貢献できていて感謝してくれる人がいると言う実感であったり、金銭利害を抜きにして信頼できるパートナーや友人がいて自分には居場所があると言う感覚であったり、仕事が充実していると言う手ごたえであったり、そうした事柄もトータルで幸せ感と言うのは決まるものだ。車にお金をかけてみる事で、こうした事もまたよく実感出来た。


○まとめ:

以上を全体的にまとめてみると、『良い点』を総合すると成功者のうちの『高品質なもの、ラグジュアリなものを試してみる事を推奨する組』のアドバイスには相応の実感と妥当性はあるものと思われた。その一方で、『悪い面・微妙な面』から分かるように、成功者のうちの『金持ちになっても質素倹約』を旨とする組もまた正しい事を言っているのだなとも痛感した。結局の所、どちらの言い分にも一定の真理が含まれているように思われた。諸々ポジティブ・ネガティヴ含めて、大変に良い経験をさせてくれたと思う。

あゝ我が愛車よ、色々な学びと、素晴らしい思い出をありがとうございました。

「男女関係開始アルゴ」のテンプレートその2:「3ステップアルゴリズム」

$
0
0



○男の側からの女性と交際を始める際のセオリー。

皆さんこんにちわ。一旦は幸せを掴むかと思いきややっぱり今日も拗れ独身中年の山手線ぐるぐるを続ける筆者です。さて、コメント欄でリクエストもあったこともあり、以前に紹介した「男女関係開始アルゴ」の続編であります。ええ、再婚のゴールはこれがさっぱり中々決まらずもう来世位かなと半ば諦めの感な訳でありますが、「とにもかくにも男女関係を開始するのだけ」については、一定の訓練の成果により、 DQNキモオタ拗れ中年でもある程度こなれたものになったのであります。

そんな訳で今回は、非婚化・少子化に少しでも歯止めをかけささやかな社会貢献になればと言う事で、ボランティアにて男の側からの女性と交際を始める際の基本アルゴリズム、テンプレートを紹介したい。極めてベーシックにして何のひねりもサプライズもなくマニュアル的であるが、そうであるがゆえに基本テンプレートたり得る、と言った辺りを紹介しようと思う。実際には勿論無数の応用編があろうかと思われるが、物事まずは基本的な型を押さえておくこともまた大切であろう。

こうした事を身につけた所で筆者は結局再婚ゴールは決まらずに三十路を終えてしまう事になりそうで、後は荒野の広がる四十路しか待っていないようにも思われる。しかし皆さんにおいてはどうか幸せを手に入れて頂ければ・その一助になればと思い、参考までにまとめて書いておくことにした。ここ数年の婚活のある種の 総括とでも言おうか。

繰り返すが、例により金融やヘッジファンドについて何の洞察もないので、そうしたものを求める方はここで読むのを止めて欲しいことを最初に断っておく。

○雛形テンプレート:「3ステップアルゴリズム」。

筆者が頑張って婚活をしていた時は、名づけて「3ステップアルゴ」をテンプレートとしていた。

1.1回目のディナーデートでお手手を繋ぐ事をObjective、ゴールとする。それだけにフォーカスする。1回目でそれ以上は狙う必要はない。

2.2回めのディナーデートで軽くで良いからちゅーをする事をObjective、ゴールとする。それだけにフォーカスする。2回目でそれ以上は狙う必要はない。

3.3回めでひと晩過ごして夜の営みをする事をObjective、ゴールとする。ひと晩過ごす際には必ず女性側に2人で過ごす良い言い訳をお膳立てする。これをもってお付き合い確立。

1-3各々のデートでは、色々複雑な事を考える必要はない。1回目ではいかにお手手繋ぐかというゴールだけにフォーカスして全てを組み立ててゆきお手手繋げばミッションコンプリート、2回目のデートではいかにちゅーが出来るかと言うゴールにフォーカスして全てを組み立ててくちびるとくちびるがかすりでもすればミッションコンプリート、3回目のデートでは一晩過ごし諸々抜き差しする仲になればミッションコンプリートである。各々の段階で、応用の利かない女性慣れしていないDQNキモオタ拗れ中年でもフォーカス可能なシンプルなゴール設定をして、全てを組み立てるようにするのがポイントである。

勿論生来の石田純一的DNAを保有している生来のモテ男性、又は生来の恋愛体質DNAを保有している生来のモテ女性はこんな型にはまったマニュアルは鼻で笑うだろう。男女の機微と言うのはもっとケースバイケースで複雑繊細でだからこそ面白いものなのだよと。そう言う真の石田純一的モテ男のDNAを持つメンズや恋愛体質的モテ女のDNAを持つレディはこんなブログ読む必要もなくモテていて、あっという間に結婚もするし結婚後も適度に男女関係の諸々を楽しんでいるだろう。そうした羨ましい人種はこのブログの対象読者ではないから、ここで哀れみとともにブログをそっと閉じて欲しい。

しかし、DQNキモオタ拗れ中年と言ったコンボがキマッてしまっており、こんなブログにしがみつく他ないような状態のメンズ達にとっては、女性を前にどんなに緊張していて心臓はばくばく言いアタフタしていてもこれだけを意識・達成できれば良い、と言うシンプルで実行可能なテンプレートが必要なのであり、それは自身がDQNキモオタ拗れ中年なので良く理解しているつもりだ。そんな訳で、以下に上記3ステップアルゴを実行する際のポイントを幾らか書いておこう。


○ステップ0:下準備~ディナーを誘うまで。これは娯楽ではない。仕事である。

以下がディナーに女性を誘うまでの下準備である。 男女交際が億劫なDQNキモオタ拗れ中年にとって決して楽な作業ではない。これはデート・娯楽ではない。仕事である。そう言う気分でやった方が良いと思う。慣れてくれば流れ作業として無意識にこなせるようになり余裕も生まれて来る。

・まずは前回の「前準備」を実践しておく。

ここは前回の以下のブログを参照。

「男女関係開始アルゴ」のテンプレートその1:参考書と前準備
http://anonymousinvestortokyo.blogspot.sg/2015/12/1.html

スパルタ婚活塾の書評、パートナー探しに悩める愛すべき中年妙齢拗れ独身男女の同類達への讃歌等。
http://anonymousinvestortokyo.blogspot.sg/2015/04/blog-post.html


・女性をディナーに誘う際のポイント:最初から堂々とこれは男女関係ですよと宣言する。

昨今の出会いのツールは出会い系サイトやアプリ等もあるし、知人の紹介、合コンでLineを交換して、同業者や取引先の知人等色々あろうかと思うが、出会いのチャネルは何にせよまず重要なのはこの点、「最初から堂々とこれは男女関係ですよと宣言する事」である。

得てして人は最初の印象で、会った人を「恋愛候補フォルダ」「仕事相手フォルダ」「友人フォルダ」と言った具合に無意識のうちに分類している。そして、一旦そのフォルダで定着してしまうとそれを覆すのは難しくなる。心理学的にも最初の印象というのは長期に残るものである。

そうであるにも関わらず、世のDQNキモオタ拗れ非リア中年は、気恥ずかしさや断られたらどうしようと言う不安などから、「仕事の情報交換しましょう」とか「お友達からでもいいです」とか、「時間があれば少しだけでも」等と言ったへりくだった誘い方をして、「仕事相手フォルダ」「友人フォルダ」に収まる選択をしてしまう。結論から言うとこれは男女関係を構築すると言うObjectiveに対しては誤りであり、最初の乗り越えるべき問題・ハードルである。女性にアプローチする際には、「仕事の情報交換しましょう」とか「お友達からでもいいです」などと言った気弱なアプローチをしてはいけない。

奥手の男性ほど、最初のアプローチの所で「男女関係であると最初から宣言して断られたらどうしよう」「まずはリスクの低い参入の仕方として、お友達からとか仕事の情報交換から始めれば断られる可能性も低いし良いのでは」等と考えてしまいがちだが、これは逆である。一旦自分の事が相手の中で「仕事相手フォルダ」「友人フォルダ」に入れられてしまうと、それを覆すことはかなり難しくなり、それこそ生粋の石田純一でもない限り、あるいは相手がずっと自分の事を気にかけてくれていた等の幸運でもない限り、劣勢を挽回する事は不可能になる。 DQNキモオタ拗れ非リア 中年であればあるほどこれは悪手なのである。

そうした訳で、 DQNキモオタ拗れ非リア 中年であると 自分の事を自覚している諸兄であればあるほど、堂々と、「あなたの事がかわいい/素敵だなと思いもっと話がしたいと思いました。ディナーしませんか?」と誘う事である。ディナーの段階で断られる事は案外少ないものだ。既に固定した配偶者/彼氏がいるとかどうしてもこの人とは生理的にありえない、という事でなければ案外Yesの返事が返ってくる。ここから断られてしまう頻度が非常に高い諸兄は、前回のブログなど参照して身だしなみなど基本を整える所から復習する事、またアラフォーで所得も見栄えもぼちぼちの中年なのにアラ25の非常に美人な女性と言った高嶺の花を狙いすぎていないかを再考する事である。ターゲット先の異性が年齢差など極端に離れておらず、極端に高望みではなく、配偶者や彼氏等も居ないことが確認されており、前回の基本を満たしていれば、多分この段階でつまづく事は案外少ないと思う。


・デートの内容:最初の2回位のデートはべただけどディナーで良い。

次にDQNキモオタ拗れ非リア中年が往々にして悩むのはどんなデートが良いかという事だろうか(自身がそうであったから良く分かる)。食事、映画、コンサートとかイベントの類、どこか観光等に行く、はたまた大人のメンズであればミュージカルだの観劇だの文化・知性のかほりのひとつも漂うデートが必要なのではないか。一体どうしたらよいのだろうか。何か気の利いた企画をしなくてはならないのではなかろうか。DQNキモオタ拗れ中年であれば必ず悩み、オドオドし、緊張する事だろう(自分がそうなのでよく分かる)。

これについては、結論から述べてしまえば最初の2回位のデートはべただがディナーで良い。理由は、食事と言うのが一番相手とゆっくり話が出来て相互理解を深めるには適しているし、おいしいものを飲み食いしながら話をすれば相互に気分の良い方向に持って行き易いからである。映画、コンサートなどだと、映画やコンサートがメインになってしまい、男女でゆっくり話をして互いを理解すると言う事が難しい。映画・コンサート・観劇等の企画の後に、ディナーで映画・コンサート・観劇 の話題を肴に盛り上がると言う選択肢もあるかも知れない。しかしこれだと関係性が浅い割りに拘束時間が長すぎて、全然気が合わない場合の気まずさを考えるとリスクもある。女性側も、最初の2回のデートをディナーだけにする事で「月並みでつまらない」等と言って来る事は経験上余りない。特に相互に一定年齢を越えた大人であれば、お互い仕事だって忙しかろうし、そんなアクロバティックで凝ったデートの企画など期待していない。そんな訳で、最初の2回のデートはべただがディナーでよい、と覚えておこう。


・どんなディナーをどう段取りすれば良いのか:高級すぎず安すぎずできっちりおいしくゆっくり話が出来る店を、相手の意向も聞きつつも男性側が手配をする。

次にどんな店・ディナーを手配すれば良いかだ。これについては、「高級すぎず安すぎず、適度にカジュアルできっちりおいしくて、ゆっくり話が出来る店」位が無難だと思われる。最初から高級すぎる店に連れて行くと「奢って奢って乞食」の財布になってしまう可能性がある。いったん女性側から、「お財布担当、お食事係担当のおっさん」というラベルを貼られてしまうと、恋愛に発展する可能性はまずない。アラフォーの域に入りおっさんになればなるほどそのリスクは高まる。最初からひとり何万円もするような勝負デート仕様のレストランに行く必要はない。気合い入りすぎて・勝負デート感が最初から充満してしまいいささかの不自然感もある。その他、付き合いを深めていく過程で「最初の勝負デートが頂点で、後はボロが見えていくだけ」になってしまいがちでもある。これは筆者がちょっとボーナスが出たりして瞬間風速で成金になりかけた際に少なからず過去にやらかした問題でもあった。特に所得が一定以上ある金融・コンサル・IT業界等のDQNキモオタ拗れ非リア中年は気をつけて欲しい。イキナリ一人前で数万円する鮨屋やフレンチに行ったりするのは、相手も応分に稼いでいるバリキャリ妙齢女子等なら別だが、過半の場合はやり過ぎである。

一方で、流石にチェーンの居酒屋やファミレスでは学生ならいいだろうがこのブログの読者層のアラサーアラフォーの妙齢拗れ中年組にはそぐわないし、ゆっくり話をしづらい。よって、先に挙げた結論となる。

「高級すぎず安すぎずで、きっちりおいしくて、ゆっくり話が出来る店」をどうやって探すかについては、初心者であればザガットやミシュランのビブグルマン・そう高価でない価格帯の店を取り敢えず当たってみれば良いし、そうした店をある程度押さえてしまったと言う事であれば自身でそう言う店を開拓しておく必要がある。拗れ中年であれば一人焼肉、一人イタリアン等もやれる程度には拗れているであろうから、日々そうしたリサーチを行っておくと良いだろう。食べログ等のレストラン評価サイトの評価を使っても良いが、昨今その評価の妥当性や正確性については微妙な場合もあるから注意が必要である。この位の先行投資・R&Dはしたほうが良いのでやろう。女性とどう接したらよいか分からないDQNキモオタ拗れ非リア中年としては、レストランは初めて行く所よりある程度勝手の分かっている店の方が緊張しないで良いと言うのもある。(因みにシンガポールの場合も同様のレストラン評価サイトは幾つかあるが、そのクオリティや確度の高さはまちまちな面もあった。最近になってミシュランがシンガポールでも評価するようになり、ようやく一定のベンチマークが出来たと言えよう。)

また、店の決定プロセスで迷う人も居るだろう。男が優柔不断でもよくないし、かといって女性の意向を考えずに勝手に決めるのも問題だしと。そうした際には、まずはディナーを堂々と男女として誘ってYesの返事を貰ってから、「お店のジャンルで希望とか好きなモノ・苦手なモノとかある?特にないなら和食かイタリアン位で探しておくね」位が筆者の経験としては無難である。相手の意向を聞きつつも、特に希望がないなら最大公約数的にまあ嫌いと言う人は滅多に居ない辺りで決めておく、と言う無難な辺りを行く感じである。ここでいきなりタイ料理とかインド料理とかマニアックな方に行くと好き嫌いが別れる事も多い。既に特定の料理が好きだという情報があれば良いが、特に情報がない場合は上記位をデフォルト設定にしておくと良いだろう。DQNキモオタ拗れ非リア中年はこう言う、デフォルト設定とかマニュアルを持って置く事で心の安心を得られる場合が往々にしてあるものだ。

そして、お店を決定したら接待の時と同様、お店の日時・場所・地図・緊急時のお店の電話番号・予約名義等を先方に投げておく。お店の名前と住所だけとかだと案外行きづらいから地図とTelも、と言った細かい配慮をした方がいい。これは仕事と同じである。面白くはない発想だが、慣れないうちは特に、これは試合であり接待だ位に考えた方がいい。慣れて来れば流れ作業でやれるようになる。

集合場所は、こなれた人であれば近くのホテルのラウンジだのバーだので待ち合わせて一緒に行くとかオサレな事をしてもいいかも知れないが、慣れない 我らがDQNキモオタ拗れ非リア中年的には難しいプロセスが序盤で入るのは負担な面もある。別にお店に直接集合で構わないと思う。

生粋の石田純一先生的DNAを持つ真のいい男がこれを読んだら、「こんなんで戸惑うもんなの?これの読者っていい歳の大人でしょ?普通に誘って普通にディナーして普通にエッチすればいいんだよ」とでも思うかも知れない。しかしDQNキモオタ拗れ非リア中年はこう言う一つ一つで悩むものだ。それは自身がDQNキモオタ拗れ非リア中年だからよく分かっている。優れたプレーヤーが優れたコーチとは限らないのだ。プレーヤーとして本当に苦手だから同じように苦手意識のある人をコーチ出来る場合もあるのだ。であるからして、平凡すぎて詰まらない所作かも知れないが、「この位がテンプレート」と言う基本フローチャートを用意しているのがこのブログの趣旨である。


○ステップ1:3ステップアルゴその1、1回目のディナー。「お手手繋ぐ」のObjectiveを達成せよ!

次に1回目のディナーである。ここでのゴールは「お手手繋ぐ」である。とにかく帰宅するまでに女性とお手手繋ぐ事を念頭に全てを組み立てる事である。以下に幾らか詳述する。

・10分早く現場・お店に到着する。

これは、自分が遅刻すると、「女性を待たせてしまう」「それに対して、ゴメンゴメン、遅れてしまって」と焦り、汗だくで、罪悪感、謝罪と共にディナーをスタートする事になり、試合運びが不利になり易いからである。宮本武蔵のような手練の剣豪なら、巌流島の戦いで佐々木小次郎を倒した時の如くに、遅刻でゴメンゴメンからの勝利と言うのもあるかも知れないが、女性にきょどってしまうDQNキモオタ拗れ非リア中年がそんな高等テクを使えるようになるのは来世位の話である。10分前に到着し、お手洗いを済ませて(これは後ほど女性からお手洗いの場所を聞かれた際に案内できると言う良さもある)、汗を拭い、深呼吸して着席し、メニューを眺めて優柔不断君になってしまわないようにオーダーするモノを幾らか決めておく、位の事はしておきたい。

・オーダーは迷わずにズバッと決める。女性にオーダーやお酌をさせない。

女性が来たら、簡単に挨拶をして、先ずは苦手なもの好きなものなど聞きながら、最初のドリンクと店によるが直ぐに出てくる酒の肴的なものを迷わずに手早くオーダーする。ここで長々優柔不断に迷わない事。二人で話をして相互理解を深めてお手手繋ぐのがゴールであり、女性側の苦手な食べ物や希望を考慮するのは重要であるが、その辺をクリアしてさえいれば自分が何を食べるかは重要なイシューではない。店員さんにオーダーするのは男性側がやった方がスマートである。女性にウエイター/ウエイトレスさんを呼ばせたりオーダーさせたりはしないのがマナーである。またワインを注ぐのは男の仕事で女性にお酌させるのはマナーではない事等も覚えておくとポイントが高い。

・その他、表面的でも細かい優しさを演出する。

これは以前に紹介した水野敬也氏の著書のうち、「LOVE理論」に詳しい。

LOVE理論 
水野敬也 

詳細は上の書籍の「うわっつらKINDNESS理論」を参照して欲しい。例えばエレベーターのボタンを男性が押してあげる、ドアを開けたげる、レストランの席は女性に上座あるいは景色の良い席(=まともな店ならウェイター/ウェイトレスが先に椅子を引いて座るように促した席がそれだと覚えておく。自分が一人で先に現場に着いた場合はウエイターさん/ウエイトレスさんに「どちらの席が上座で女性に適切か?」と聞いてもよい)について貰う、オーダーは男性がやりワインは男性が注ぎ女性にお酌させない、お会計は女性のお手洗いの最中に済ませておくとか。

ええ、表面的である。男の価値はこんな小手先のホストがお客に対してサービスとして提供出来る演技の類なんかでは決まらない。男の価値は中身で決まるんじゃいと。DQNキモオタ拗れ非リア中年ほどそう言いたいのは分かる。しかし会って最初のディナー、と言う薄い関係性においてはなにぶん判断材料が少ない訳であるから、こうした表面的な事で判断されてしまうのもまた現実なのだ。「自分は慇懃無礼な人ではないよ」と言う事を伝達するマナー位のものと思って少しづつでも取り入れる事をお勧めする。海外でエレベーターで見知らぬ人と二人で乗ったら笑顔で会釈するのが「怪しい人ではないよ」と言う事を表現するマナーであるとかと同じ類の事だと思って、LOVE理論など読みながら学習して欲しい。

・仕事の話を長々しない。

さて、ここからが重要、試合運びの要点である。大概は、簡単に自己紹介等を互いにして、社会人同士なら名刺交換などするかも知れない。ここで仕事の話を長々してはいけないという事である。簡単にどんな仕事をしていてどんな感じなのか等の話を一通り済ませたら、直ぐに「放課後」の「恋愛」の話に移る事である。これは1回目のディナーにおけるもう極めて決定的に重要な事項であり、幾ら強調しても強調し過ぎる事はない。仕事・キャリアの話を長々としてはダメだ。それでは仕事の人脈かお友達になってしまう。筆者が幾ら男女交際をスタートしようと思ってもお友達キャラになってしまっていた頃の最大の敗因は、今思うとこれであった。

具体的には、「週末何してるの?」と言った辺りから早めに週末・趣味=仕事外のパーソナルな話に話題を移すのがポイントである。そして相手の趣味やライフスタイルを褒め、自分との共通点・接点を探していきながら共感を示すのが基本である

次に、そこから更に「最近良かった映画は?自分はxx(必ず恋愛映画を挙げる事)が最近良かったな」等と趣味と恋愛をブリッジするような話題を経由して、「好きな異性のタイプは?」「デートするとしたらどんなデートがしたい?」等の会話を通じて恋愛の話に早期に移るのがポイントである。これを1回目のディナーで遂行出来るかと言うのが試合の分かれ目、天下分け目の関が原である。これは仕事の飲み会・友達同士の仕事の愚痴のガス抜きとかの会じゃないよ、男女の恋愛の会なんですよと言う事をはっきりさせるのが重要である。

この辺は実際には相手により詳細はケースバイケースでありこれ以上の説明を筆者がするのは難しいのだが、上記を意識しながら実際に場数を踏んでいくと段々慣れていく。とにかく放置しておくと無難な仕事の話に留まりがちで、男女関係構築と言う観点からすると重要ではない周辺の話題に終始し、重要な核心になかなか到達しないで周辺を旋回し合いながら互いに様子見するみたいな事になり易い。仕事の話からは早めに離れる、男性側から仕事→趣味→恋愛、と話の流れを意識して作って行く、と言う事をとにかく心がけて欲しい。

・「ギャップ」を意識して作る。相手の「ギャップ」を探す。

さて、趣味や恋愛の放課後の話に移行した際のポイントとしては、この「ギャップ萌えの誘発」である。筆者の場合、例えば服装面での小奇麗系カジュアルな側面と、「専門職・プログラミング・本性としては生真面目オタクタイプ」と言った側面を交互に見せると「ギャップ」になるのでそうしていた。また、バリキャリ系女性なら全然バリキャリっぽくない趣味を聞き出して褒める、美人系女性ならちょっといけてない部分やかわいらしいなと思われる趣味等を聞き出してそこが好きだなと褒める、等の所作は基本であろうかと思われる。

お会計は女性のお手洗いの最中に済ませておく。

女性に食事を奢るべきか割り勘にすべきかと言うのは諸説あるし、女性内でも考えの分かれる所のようである。筆者も今でも悩みながらやっているのが現状であり確たる結論は持ち合わせていない。女性側がずっと若いとか、所得的に自分の方がずっと上だとか言う場合は奢るのが普通だろうし、女性と年齢や所得的に大きな差がない場合は割り勘の方が良い場合もある。しかしどちらにせよ、ディナーのお会計は女性が終盤にお手洗いに行っている際に男性がやっておくと言うのがテンプレートでありスマートだという事になっているというのは覚えておいた方が良いし、仮に割り勘にする際もディナーの際に1円単位で割り勘の計算をする等は明らかに無作法である事は覚えておいた方がいい。

筆者からお勧めなのは、ディナーでは「ここは僕が払うよ」で自分が払い、じゃあこれからいく2件目のバーで一杯奢ってよ、とか次回の食事では奢ってね、と言う形で「次のアポ」を確保しに行くという作戦である。相手の所得に応じて「次回」の価格を上下させる事で負担を加減できるし、何より次のアポが取れる点で有用な戦術である。

・「二件目のバー」は出来れば事前に徒歩圏内で確保しておく。

さて、お会計も済ませた後はディナーの後をどうするかである。ディナーを一緒にしていて明らかにぴんと来ないなと言う場合はそのままバイバイで良い。趣味や恋愛の話をして行く過程で、「これはお互い違うわな」と分かる場合も結構ある。この場合は、無理に男女関係に引きずり込もうとはしないで、あっさりと友人・知人・仕事上の人脈等に収めておくのが良いと思う。またお互い男女関係としてよいかもなというニュアンスがある場合でも、平日でお互い翌朝早い等の場合も1回目のディナーで粘り続けるのは互いに良くないだろう。一方で、週末でかつ話が合うかも、もっと先にプロセスを進めたいと言う場合には「徒歩圏で行く2件目のバー」を用意しておくのはプラスになる。必ず事前にサーチしておこう。

・そして「お手手つなぐ」のObjectiveを達成せよ。

そして、これが1回目のディナーの最後のハイライト、最も緊張するポイントの「お手手つなぐ」である。これを何としても達成して欲しい。ただの友人や仕事上の相手とお手手繋ぐ事はない。「お手手繋ぐ」と言うのは、これが間違いなく男女関係であり、次回のデート以降も男女関係として関係を発展させて行くモノであると言う関係性構築の上での重要なポイントなのである。

2件目のバーに行かないけれども男女関係として良いかもなの場合、最寄り駅まで歩くとかタクシーに一緒に乗る、と言う「横に並んで一緒」のシチュエーションを作る事である。そして、歩きながら距離を縮めたり、タクシーなら座る距離を縮めたりしながら様子を見る。多少手などがかすったりしても相手が特に気にしないとか相手から自分の事をかすって来たりしていても気にしていない風味の場合は男子たるもの、思い切って、お手手を繋いで頂きたい。

DQNキモオタ拗れ非リア中年の 同志としてはこの時心臓はばくばく言い手に嫌な汗が出てくるのを感じ拒絶された時の恐怖で緊張の頂点に達するかも知れない。しかしこれは男女関係構築をするに当たりどうしても越えるべき山なのである。書いていてこっぱずかしい。これは厨二の思春期の子供が書いている文章ではなく、アラフォーのおっさんの書いている文章である。恥ずかしい事この上ない。しかし世のDQNキモオタ拗れ非リア中年の同志達を救うために筆者はこれを書かなくてはならない。これは筆者の神から与えられた使命なのだと思いながら解説を続けたい。

一方で相手が嫌がる感じがする・距離を置くような感じがする場合は脈がないので無理には行かない事。とは言えお手手繋いだ位では犯罪にはならないので、多少強引な位でもお手手繋いでしまう位で丁度良い場合が多い事も伝えておきたい。ガチに脈がない場合は女性の側からお手手繋ぐのも断られて多少気まずい思いはするが、ニュートラル位なら結構問題なく繋げるものだ。

2件目のバーに行く際には、お手手繋ぐチャンスはそのまま帰る場合よりも豊富にある。まずはレストランからバーに徒歩で移動する途中。シンガポールでは常夏なのでこの手は使えないが、日本の秋冬などであれば、寒いね等と言いながらお手手繋ぐチャンスがまずある。この場合のプロセスは上の通りである。また、バーに入ったら必ずカウンターで横座りになる。こうなると距離を縮められるし、心理学的にもテーブル越しに対面で座るよりも親密度が増す。タクシーの車内の時と同様で相手の様子のお伺いを立てながら距離を縮めて行き、相手が特に避けたり違和感感じたりしないようであれば、カクテルグラスを持っている手などを見て、きれいな手だね等と褒めながらお手手をタッチするのが定番である。文章にするとなんかすごくスケベったらしいおっさんっぽくてアレなのだが、スケベと認定されるリスクは男が取るべきものだ(これは3回目のデートの所でも詳述する)。自分は清廉潔白でいたい、「スケベ&キモいおっさん認定リスク」を取りたくない、と言った重度のリスク回避志向者に男女関係のリターンは得られようがないのである。

バーでする話はディナーの恋愛の話の続きでいい。お酒も飲み、お手手も繋げば、仕事の取引先や情報交換相手ではなく、「男女関係」と言う関係感・空気感を作る事が出来る。また、上に書いたとおりでバーから各自帰宅する際にもタクシー車内や最寄り駅に戻るまででお手手繋ぐチャンスがある。ディナーだけの時よりはお手手繋ぎ易い場合が多い。

会話が一気に弾んだり距離が急激に縮まった場合などは元来二度目のデートでのObjectiveのちゅーまで行っても良いし、相手も明らかに乗り気の時など「これはこのままベッドまで行ってもそんな不自然じゃないかもな」と言う場合に遭遇する事もケーススタディを重ねて行く中ではある。但し、真面目なお付き合いを考えるなら1回目のディナーでセクロスの試合までするのはよしておいた方が良いとも思う。某同業者?が指南しているらしい恋愛工学とやらでは1回目からとにかく云々書いてあるみたいだが、真面目に婚活・パートナー探す前提の場合はよしといたほうが良いと思う。1回目の出会いでセクロスまでキメようと思うと余りにもプロセスが詰め詰めであり過度に強引になってしまいがちで余裕もなくなりがちだし、1回目の会合でセクロスに応じてくれる女性の場合は女性側も「遊びの男女関係」と言うフォルダに自分を入れる事になりまともな人間関係に発展しないリスクの方が高いと思う。真面目な付き合い・パートナー探し前提の場合における、これは男女関係なんですよと言う関係性を決定付けるスキンシップとしては、1回目では「お手手繋ぐ」で十分であり、かなり盛り上がってもちゅーまでかなと言うのはある気はしている。その先まで行っても良さそうな感じでも、1回目はばいばいして終了にするのが良いのかなと言うのが経験からの実感である。

慣れるまでは、お手手を繋ぎに行くその瞬間など、「拒否されたらどうしよう」「大丈夫なのかな」と死ぬほど不安になり、心臓はばくばく言い、緊張は頂点に達すると思う。しかし思い切って繋いでしまえば案外繋げるし、仮に拒否されてもああはいはいと引いて友人・知人に戻すのは比較的簡単に出来るものだ。このハードルをまずは越えて欲しい。慣れて来るとトヨタの製造工程の流れ作業のごとくにサラッとお手手が繋げるようになる。慣れ・場数をある程度踏むことが重要である。

以上が1回目のディナーでのObjectiveとそれに到達するまでの「雛形」である。1回目のディナーのハードルが一番高いので、かなり詳細に詳述することになった。至極オーソドックスで何の工夫もなく、男女経験のこなれた男女からすると恥ずかしい位のレベルの話であると思うが、我々は DQNキモオタ拗れ非リア中年だから苦労しているのであり、生粋の石田純一先生ではない。また基本の雛形も持っていない人の方が世の中多いようにも思われ、こうしたべたな雛形があるだけでも経験上、飛躍的に成功率は上げられる事も添えておきたい。

○ステップ2:3ステップアルゴその2、2回目のディナー。「ちゅー」のObjectiveを達成せよ!

さて、次は2回目のディナーの段階である。ここでのObjectiveは「ちゅー」である。2回目のディナーの別れ際までに、くちびるとくちびるがかする位でも良いからちゅーが出来れば、2回目のディナーはミッションコンプリートである。それだけにフォーカスして試合に臨もう。基本線、一番ハードルが高いのは1回目のディナーのお手手繋ぐまでであり、2回目のちゅー、3回目のお泊りと至るほどにハードルは下がってゆく。なので、以降は比較的簡潔な記述に留めたい。

・2回目ディナーのアポの取り方。

さて、2回目ディナーのアポの取り方だが、理想は1回目ディナーの際に既に次回のアポを取っておくことである。具体的な方法としては、1回目のディナーで奢っておき「ここは僕が出すから、次一杯おごってね」でアポを取る、1回目で趣味の話で本の話題になった場合など特に有用だが、本を貸し借りする約束をしておくなどが自然である。ディナーの予算等も、1回目と同様、「高級すぎず安すぎずで、きっちりおいしくて、ゆっくり話が出来る店」で良いと思われるが、1回目のディナーで相手の趣味嗜好等の情報が得られているのであればそれを反映して多少ひねりを入れるのも良いだろう(例えばアジア旅行が好きならば良い感じで余りハードコア過ぎないタイとかベトナム料理、等)。

・1回目ディナーとの「ギャップ」を作るのが有用。

2回目のデートに当たる際は、服装などを一回目と変えると有効である。一回目でちょい悪路線だったなら二回目は真面目系、一回目は会社帰りでスーツ等真面目系なら二回目は土曜日にアポを取りカジュアル・眼鏡を休日用のカジュアルなものに変えるなど。(これは女性側も使える戦略で、1回目が清楚路線なら2回目は行き過ぎない程度にセクシー路線、等とすると男性陣は結構簡単にドキドキしてくれる)。ギャップと振れ幅はここでも重要である。

・互いの理解を深める。

2回目のデートは、1回目でお手手を繋いでいれば最初から男女の関係である事は雰囲気上明らかである。最初から手を繋いだり触ったりのスキンシップも簡単に取れるのでそうすると良いだろう。話題はケースバイケースだが、1回目のディナーの話の延長として、仕事・キャリア等に関する考え方の話(但し話の話題がこれ一色になってしまわないように留意。あくまで男女関係開始の前段階として仕事・キャリア等に関する考え方をシェアするのも大事な事なのでそうした話題をする、と言うスタンスが良い)、恋愛の話 、お互いの人生のヒストリーの話 、友達や日々の生活の話など、トータルに話を深めて相互の理解を深めればいい。1回目のデートで仕事→趣味→恋愛→お手手繋ぎ、まで到達出来ている場合、ここは比較的自然に運ぶのが経験上通例であり、そんなに気負う事はない。

・3回目のお泊りのための伏線を用意しておく。

2回目のディナーでのハイライト、越えるべきハードルの一つはここだろうか。3回目のデートで「お泊り」の案件を受注する必要があるのである。相手が旅行が好きであれば週末小旅行の「こんな所行ってみるのも楽しそうだね」と言った話題を仕込んでおく必要がある。また特に旅行と言った雰囲気ではない場合は、自ら「最近料理が趣味でさ、パスタ作るのにはまってるんだよ。自分が作るから、xxさんには安いのでいいからワイン持って来てくれると/xxさんも料理趣味って言うし前菜一品持ってきてくれると嬉しいな。次の週末にでも是非家に来てよ」と言った楽しめる企画を用意しておき、2回目のデートのどこかで話題に出してみる必要がある。どうやってこの手の話題を出せば良いのかと言われてもここはケースバイケースなので何とも言えないが、趣味の話で「旅行」とか「料理」「ワイン」と言った趣味が相手にあれば比較的容易にそれを取っ掛かりに出来る面はある。そう言う取っ掛かりがない場合は何とか頑張ってそう言う話題に持っていって欲しい。

・そして「ちゅー」のObjectiveを達成せよ。

そして、2回目のデートのもう一つのハイライトは「ちゅー」のObjectiveの完遂である。

手法については、1回目の「お手手繋ぐ」と比較的似ている。出来れば2件目のバーを用意しておき、彼女に「酔っていたから」と言う言い訳をお膳立てしてあげると良いだろう。そして、タクシーや駅までの帰りなどで「横並びの環境」を作り、タクシーの中・人気が余りない所などでサラッとちゅーをするのである。経験上、別れ際に「じゃあね」と言う際などにサッと行うのが一番スッとやれて円滑である。

慣れるまでは、お手手を繋ぎに行く時以上に、「拒否されたらどうしよう」「大丈夫なのかな」と死ぬほど不安になり、心臓はばくばく言い、緊張は頂点に達すると思う。しかし思い切って別れ際等にちゅっとやってしまえば案外問題ないし、お手手繋ぎと同様に仮に拒否されてもああはいはいと引いて友人・知人に戻すのは案外出来るものだ(実際そう言うひと悶着した後で普通に友人に戻り、人生相談など相互にしている女友達も筆者の場合は居る)。このハードルを2回目では必ず越えて欲しい。慣れて来るとトヨタの製造工程の流れ作業のごとくにサラッとちゅーが出来るようになる。これも慣れ・場数である。

因みにちゅーの質だが、軽く「ちゅっ」で十分であり、(互いに既に結構酔っていたり男女の熱が盛り上がっていたりして雰囲気的に許されるなら 悪くはないが)「べろちゅー」まではしなくていい。軽く「ちゅっ」でも十二分にステップ3への下準備は完成であり、十分である。


○ステップ3:3ステップアルゴその3、フィニッシュ。「一晩をともにする」のObjectiveを達成せよ!

さて、遂にクライマックスの3回目のデートである。ここでのObjectiveは「一晩をともにして、色々抜き差しする仲になる」である。こんな事を大真面目に書いているのはアラフォーのおっさんである。我ながらほんとキモい。しかし世のDQNキモオタ拗れ非リア中年の同志達へのささやかな援護射撃・社会貢献を考えたらこれは書かないといけない事なのだ。恥ずかしい気分をかなぐり捨てて前に進みたい。とは言え、ここまで来れば、案外当初の「お手手繋ぎ」ほどの緊張はなく、自然に事を運べる場合も多い。従って比較的簡潔な記載に留めておく。


・2回目で張ったお泊りのための伏線を実践に移す。出来れば共同作業・共同企画的にすると効果的。

さて、2回目で週末小旅行(近隣の一泊でいい)、料理作るし家でワインでも開けようよなどのアポが取れるように、そうした話題の伏線をまいておいた事がここで生かされる事になる。旅行なら二人で日程や行き先などを企画したり、自宅に呼ぶならパスタは男子、前菜/ワインは女性に持ってきて貰うなど、「一緒に企画を作り上げる」感じにするとチームワークが醸成され、男女関係が深まる感じがし易くなるので良いだろう。

・男の料理は、おっさんの「必修科目」。

因みに、男の料理はポイントが高い。この3ステップアルゴリズムを遂行する上で、30歳を越えたおっさん中年男子が必ず身につけておくべき必修・必須スキルである。実際やってみるとそんなに難しくない。ポイントは、「レベルが高くかつ簡単に作れる料理レシピ教本を買い、それに忠実に従う事」である。以下辺りを勧めておく。

男のイタリアン (オレンジページブックス―男子厨房に入る) 
手塚浩行 

フライパン1本でできるお手軽フレンチ 
ダニエル・マルタン 

料理は洋モノ、具体的にはパスタが調理が簡単な割りに女性が嫌いと言う事も概ね無く好評を得易い事もありお勧めである。和食は料理スキルのアピールには良いかも知れないが、初めてお泊りしてあれやこれやを抜き差しする関係になるにはちょっと家庭的過ぎると言うか、えっちな気分になるというよりは実家に帰ってお母さんにご飯出して貰うような気分になってしまうので初回のお泊りのネタとしては余り勧めない。出会って3回目でほうれん草のお浸し、かぼちゃの煮物、肉じゃが、お茶碗によそられたご飯に味噌汁などを自宅で二人で食べながらムラムラっとした気分になるのはいささか難しいと言うのは何となく想像が付くであろう。(注:但しお付き合いを開始してからであれば喜ばれるだろう。筆者の場合シンガポール在住である事もあり、ローカルフードでは胃腸が疲れがちの事もあり、日本人女性が相手の場合あっさりした和食と言うのは大概喜ばれる)。カレーライスとかチャーハンとか餃子とかそう言う日常メシについても、お付き合い定着後は良いかも知れないが初回としては雰囲気に欠けるので初回のネタとしては勧めない。

初めて女性がいる所、人に見られながら料理するのは結構緊張するし中々手際よくやれないものだ。オープンキッチンで調理するシェフなど本当に凄いなと思う。パスタだけでもレシピ本など見なくても暗記で安定した味で作れるように平素より訓練しておく事だ。また、いちごにブランデーと蜂蜜かけただけとか簡単なモノで良いからスイーツ・デザートも事前に用意して冷蔵庫に仕込んでおくと更にポイントアップする事も覚えておいて良いだろう。甘いものはスイーツな関係に至ろうとする際に良い効果があるようだ。

ちなみに自宅の部屋をどう演出するか。まずは神経質でない程度に、「男の一人暮らしの部屋としてはソコソコきれいに」しておく事である。掃除が面倒であれば清掃業者に時々入って貰えば良い。あとは雰囲気を高めるのに一番簡単なのは、蛍光灯や普通の直接照明は全部落として間接照明だけにして、自炊のテーブルの上にキャンドルでも灯す事である。これだけで部屋の雰囲気は全然変わり、非日常感が増す。間接照明はIKEAでもどこでも安価に売っている。別に金持ちでなくてもこういう工夫は簡単にできる。


・女性側に「言い訳」をお膳立てしておく事。スケベの称号を被るのは男の仕事。

ここで重要なのは、相手に「言い訳」を用意しておくのがポイントである。「旅行の企画が楽しそうだったし」「週末に一緒に料理してワイン用意してとか楽しそうだったし」「男性の側が積極的だったし」と言う事である。女性をコーナーに追い詰めてはいけないし、「女がはしたないからセクロスした」と言う環境を作ってはいけない(実際にはアラ35位から男女で性欲が逆転し、往々にして女性の方が性欲が強くなると言うのが医学的な傾向らしいにせよ)。男子が週末旅行や家に来る事を誘い、企画が楽しそうで、男子が積極的だから「仕方なく」そうなっちゃった、と言うシチュエーションを作るのが大事である。ここで男側がカマトト清純ぶって俺は悪くない俺はスケベじゃない等としてしまうと女性側的に困るので、スケベの称号を男側が被るのは男の役割、と言うのを意識するのが大事である。

二人でホテルの部屋や自宅に入ったら、お手手繋ぎ、ちゅーは段階を踏まえながら既にしており、かつ女性側が個室で二人きりになる事に同意している訳であるから、そんなに難しい話ではない。後は普通にご飯食べたり飲んだりほろ酔いの時、ソファーで映画観てる時などからちゅっちゅして、ソファーやベットに勇気を持って押し倒してしまえばよろしい。女性側的に本当に押し倒されたくないならそもそもこの段階で家に来たり二人で一泊旅行したりは大概はしない。ここは安心して押し倒すべきであるし、逆に経験上女性側も大概はこの段階ではそれを待っているようにも思われる。「オイ、女に押し倒させる積もりかよ、もじもじしてないでちゃちゃっと早く来いよ」と。ここで躊躇する必要はなく、一気に男女であれやこれやを抜き差しする仲に展開させるべきものである。


○さいごに:3ステップアルゴその後。お付き合い開始!

後は、ステップ3の最中あるいはステップ3の翌朝にでも「好きだから付き合って頂戴」と言う趣旨の事を伝えればお付き合いは普通に開始される。別に格好つけて物凄い気の利いた事が言える必要はない。既成事実は既に出来ているので、この段階まで来ればまず断られない。あとは普通にお付き合いをお楽しみください。結婚出来るかどうかは別として、女性とお付き合いまでも全く行かなくて困っている、と言うDQNキモオタ拗れ非リア中年が上記を実践してある程度数をこなして学習曲線を利かせてゆけば、大概の場合はかなりの程度症状の改善が見られるであろうと思う。


ほかにも細部のポイントは色々あるが、大雑把には筆者からは上記位である。こんな事自慢しても仕方ないが、このテンプレが出来てから、本当に女性とデートするだけであれば殆ど困らなくなった。上記のテンプレートを雛形にして、後は関係性の育ち具合に応じて関係を進展させるスピード感を変えたり、これは違うなという事になればこのプロセスを途中で止めて、スキンシップをやめて距離をとり、仕事の話など中心にするようにすれば関係に距離を持たせられるなど、ある程度自分の裁量で人間関係の距離感を調節できるようにもなった。男女の人間関係の扱いが以前ほどストレス/負担ではなくなる事が出来た。

もちろん、ナチュラルに石田純一先生的勝ち組DNAを持つ勝ち組イケメン男性諸氏や、恋愛に長けたナチュラルに勝ち組DNAを持つ勝ち組美人女性諸氏がこのような凡庸・平板に過ぎる内容を観たら、苦笑と共に、「男女っていうのは、もっとケースバイケースに個別な機微があって、だから面白いんだよ。こんな陳腐なマニュアルで交際をテンプレ化するなんて、本当にDQNキモオタ拗れ非リア中年って人生分かってないよね、だからキモいんだよね」と言った感想を持つ事は分かっている。

しかし、当のDQNキモオタ拗れ非リア中年からしたら、大真面目に深刻な問題である事もしばしばあるのだ(自身がそうであったし) 。もうさっぱり男女交際のきっかけも作れないし、こんなんじゃ本当に人生どうにもならないまま終わってしまうよ、と。男女関係について全く何のきっかけも掴めず、人生の時の流れの濁流に飲み込まれて下流に為すすべもなく流されて、自らの生物としてのオス・メスとしてのOption価値のタイムディケイと満期日(=男女として終了、又は人生終了)のナイアガラの滝つぼがひたひたと迫ってくるのを分かっていながら、掴めるワラすらない。もうどうすれば良いんだと。そうであるから、恥をしのんで、この度一定のテンプレートを用意してみた次第である。本来の所としては、男女交際と言うのはもっと個別なものだし、ケースバイケースの機微があるものであって然るべきものである事は添えておきたい。

……ま、交際相手はお陰様でこの数年ぼちぼちそれなりにあったけれども、再婚相手は結局さっぱり見つからなかったまま、四十路のナイアガラの滝つぼに飲み込まれつつあるんだけどもね筆者は。四十路のナイアガラの滝つぼに飲み込まれて筆者はきっと生きてはいられないと思うし、遠くないうちに四十路の荒野にひとり寂しく溺死体として打ち上げられるのだと思う。皆様におかれては、人生の濁流に飲み込まれ滝つぼに今まさに落ちんとしている筆者の屍を乗り越えて、男女関係の幸せの丘への上陸、これを生きて掴みとって欲しい。

(注:この、「3ステップアルゴでデートは出来るようになるが再婚相手が見つからない問題」については、構造的かつ深刻な問題が横たわっているようにも感じられる。これについては時を改めて思う所を書くかも知れないし書かないかも知れない。)

「男女関係開始アルゴ」のテンプレートその3:「3ステップアルゴリズム」を踏まえた女性側のテンプレ。

$
0
0
○女性の側からの男性と交際を始める際のセオリー。
前回の続きである。前回は、男性側の視点から、女性と交際を始める際のテンプレートを提供した。今回は、逆に女性の側からの男性と交際を始める際のセオリーを紹介したい。

「拗れ独身男女市場砂漠」をうろうろしていると、自身のような男性の男女市場砂漠徘徊者だけでなく、女性側にもいつまでも男女市場砂漠におけるオアシスすらも見つけられずに孤独と渇きで干物になりそうな・既に干物化している同志というのがいる。そうした女性側からもこうしたアドバイスを男目線で欲しいと言ったリクエストを過去に何度か受けた事があり、それが執筆を決めた背景である。

前回同様、DNAから恋愛体質がきちんと備わっており放置していても男性からモテるような勝ち組女性は対象読者にはしていない。「全く恋愛モードを開始できない、三十路以降に突入し彼氏居ない歴もx年となり、恋愛って何だっけ?と最早男女関係を忘れてしまいつつある」女性向けに、「結婚出来るかは別として、取り敢えず交際を開始し、女性としての自信を取り戻し、男女関係ってこれだったと思い出すためのきっかけ」を提供出来るような、極めてベーシックにしてなんのひねりもサプライズもないマニュアル的な基本テンプレートの提供を男性目線から行う、と言うのを本投稿の目標としている。

仕事や普通の友人関係はうまく行っているのに何故か恋愛になるとてんでダメ、「お友達キャラ」で苦労してもう男女市場砂漠で干物になって死にそうだ、と言った我が同志の拗れ独身女性に小規模のオアシス、水筒の一杯の水を提供できればこれ幸いである

また、20代の若い頃は何もしなくてもモテたのに30代に入って全くお呼びがかからなくなり価値の暴落に驚愕している、と言った女性へのささやかな処方箋も入れた積もりなので、そうした向きも参考にして頂ければこれ幸いである。

何度でも繰り返すが、例により金融やヘッジファンドについて何の洞察もないので、そうしたものを求める方はここで読むのを止めて頂けるとこれ幸いである。

○基本コンセプト:男性側の「3ステップアルゴリズム」をお膳立てするのが女性側の基本。

女性側の基本戦略は簡単である。男性側の「3ステップアルゴ」を円滑に行い易いようにお膳立てをする、と言うのが基本スタンスとなる。以下に、 男性側の「3ステップアルゴ」を簡単にレビューしておく。

1.1回目のディナーデートでお手手を繋ぐ事をObjective、ゴールとする。それだけにフォーカスする。1回目でそれ以上は狙う必要はない。

2.2回めのディナーデートで軽くで良いからちゅーをする事をObjective、ゴールとする。それだけにフォーカスする。2回目でそれ以上は狙う必要はない。

3.3回めでひと晩過ごして夜の営みをする事をObjective、ゴールとする。ひと晩過ごす際には必ず女性側に2人で過ごす良い言い訳をお膳立てする。これをもってお付き合い確立。

上記が基本アルゴな訳であるが、昨今男性側が草食になり、モジモジして恋愛が発火しないケースが増えていると言う現状があるので、女性側から上記を実行し易いように促すと言う事である。つまり、女性側の 「3ステップアルゴ」は以下になる。

1.1回目のディナーデートでお手手を繋ぐ事をObjective、ゴールとする男性側がお手手繋ぎ易いように女性側からもお膳立てをする。
2.2回めのディナーデートで軽くで良いからちゅーをする事をObjective、ゴールとする男性側がちゅーしやすいように女性側からもお膳立てをする。
3.3回めでひと晩過ごして夜の営みをする事をObjective、ゴールとする男性側が事を進め易いように女性側からもお膳立てをする。
因みに、女性側からどんどん手を繋いだりちゅーしたり男子を押し倒したりする必要はない。男性側に花を持たせる意味でも、適度に男性側に主導権を持たせる位にした方が恋愛開始の頃合いとしては円滑な面があるのは(元来男女は平等で然るべきであるにせよ)確かなように思う。サルサ等のダンスの主導者が男性であると言う事には一定の意味合いがあるとでも言おうか。

余りに女性が主導権を握りすぎると、依存心の強い「だめんず男」が寄って来やすくなる等の弊害も想定されるので、バリキャリ系・姉御肌系の女性等はこの点は留意頂けると幸いである。

従って、「男性側が3ステップアルゴを進め易いように女性側からお膳立て・呼び水を入れる」と言うのが基本スタンスになる。以下に「女性版3ステップアルゴ」を実行する際のポイントを幾らか書いておこう。

○ステップ0:下準備~ディナーを誘うまでの、女性側のお膳立ての仕方いくつか。

以下が女性側の下準備である。基本線、男性側のステップ0を女性版に焼きなおしたのみである。

・まずは前回の「前準備」を実践しておく。

ここは前回の以下のブログを参照。

「男女関係開始アルゴ」のテンプレートその1:参考書と前準備
http://anonymousinvestortokyo.blogspot.sg/2015/12/1.html

スパルタ婚活塾の書評、パートナー探しに悩める愛すべき中年妙齢拗れ独身男女の同類達への讃歌等。
http://anonymousinvestortokyo.blogspot.sg/2015/04/blog-post.html

男性側だけでなく女性側もこれはやっぱり必要である。

確かに、「ありのままのわたしを受け入れて欲しい」と言う気持ちは重々分かるし、最終的には男女ともありのままを受け入れ合えるようなパートナーを見出すのがゴールであり、幸せである事は自身も実感している。

しかし、現実としては暴飲暴食を繰り返し体型も崩れきりお肌も荒れきってチャーミングさのかけらもなくSATC臭を充満させていて「これがアタシのありのままだから受け入れてよ!」等と叫んでみた所で、現実として無理な話ではある。低収入チビデブハゲ無趣味不潔感漂うDQNキモオタ拗れ非リア中年男性が恋愛や結婚の候補者の俎上にすら上がりようもないのと同じで、やっぱりそれでは相当に厳しい。

特に30代以降入るときちんと運動などしておばさん体型にならないようにビジュアルを維持する、適度な睡眠にヘルシーな食事等で健康を維持する、服装で女同士のマウンティングばかり意識してマニアックなブランド・デザインの服等に走り過ぎずに男性から観て良いなと思えるような服装・メイク等も出来るようにしておく、女を捨ててしまわないように・SATC臭の加齢臭が付いてしまわないように女性の尊厳を確保する、と言った基本インフラの確保は非常に重要である。

20代の頃は暴飲暴食して不摂生で運動もせずその他諸々も無茶苦茶、みたいな状態でも素材が良ければ勢いでモテたりもするが、30代に入るとこれでは圧倒的に厳しくなるので注意が必要である。

それに、女性の「ありのまま」は、本当に「 デブでチャーミングさのかけらもなくSATC臭漂う中年女」なのだろうか。人間は行動・習慣でどうとでも変わりうる。最初は子供の頃の学芸会の演技だかコスプレだかライザップの恋愛版だと言い聞かせてでも、ジムにでも入会するかヨガでも始めるかして適度に運動をして、睡眠を十分に取り、暴飲暴食を止め、健康な適度な色気のある体型にし、白のワンピースみたいな男受けするベタな服を1着位用意してみて、下ネタやアタシ何年セクロスしてない干物女なの的な自虐で笑いを取ったりしているなら直ぐにやめてSATC臭の消臭に励んでみて欲しい。

一度定着してしまえば、そのうちそれが当たり前の習慣になり「ありのまま」になると言う側面もある。自信も付くと思う。

・ディナーを受ける際のポイント:男性側から堂々とこれは男女関係ですよと宣言して誘われたら、生理的にこの人はあり得ないという事でなければ茶化したりしないで受ける。

さて、男性側がディナーに誘うポイントは、最初から堂々とこれは男女関係ですよと宣言する事」であった。これに対して女性側のポイントは、「男性側から堂々とこれは男女関係ですよと宣言して誘われたら、生理的にこの人はあり得ないという事でなければ茶化したりしないで受ける」と言う事になる。

男と言うのは、幾ら仕事が出来ようが、見た目堂々としていようが、大概はある意味「ガラスのメンタル」を持っている。最初のアプローチの所で「男女関係であると最初から宣言して断られたらどうしよう」と言う不安を全く持たない男性は少ない。ガラスのメンタルを手なづけながら、不安を抱えながらも、勇気を出して「あなたの事がかわいい/素敵だなと思いもっと話がしたいと思いました。ディナーしませんか?」と誘っているのである。

ここで女性側が、男性を茶化したり、私かわいくも素敵でもないとかはぐらかしたりしてしまうと、ガラスのメンタルの男性の心は砕け散ってしまいリカバリーに難儀する状態になってしまう。誘って来る側が余りにも「生理的にあり得ない」「何がどう転がってもこの人と接するのは嫌だ」と言う事であれば、仕事が忙しくて等適度な理由を付けながら丁寧に断った上で連絡を減らす・断つ等してフェードアウトしてゆけば勿論それで良いが、ニュートラル以上の印象を持っているのであれば、「ありがとう、是非」と乗ってあげて欲しい。

また、女性側も「彼氏が居ない段階においては複数の男性と同時にアプローチする」と言うのは需給改善の上で非常に有用である。特定の彼氏が居ない段階においては複数の男性とのディナーが適度に入っている状態を作っておき場数を踏んでおくと言うのは、余裕のある環境のもと落ち着いて次の交際相手を探す意味においても価値のある事である。そうした意味合いにおいても、ディナーの入口の所であまりハードルを上げすぎず、ニュートラル位なら空き時間で軽めのディナーを受けるようにする、と言うのを心がけると良いと思う。複数の選択肢があると言う余裕が、モテ度上昇には大きな役割を果たす面がある。

「お友達キャラ」に陥ってしまい男女交際が中々発生しない人と言うのは、男女ともここの所が妙に生真面目過ぎて、まだ男女交際も始まっても居ないのに「食事すら1回に1人」のバッチ処理をしてしまっている場合が多いと思う。最終的にはひとりの人と浮気せず交際をするのが誠実だとは思うが、特定の彼氏が居ない状況におけるディナーの段階ではそれはまだ「一般的な社交」の範囲である。同時に複数名を並行処理で接する事は決して不義理ではない。生真面目過ぎる向きにおいてはそう言う理解を確認しておいて欲しい。

・デートの内容:最初の2回位のデートはべただけどディナーで良い旨を促す。
次にデートの内容であるが、男性側がある程度こなれており適度にディナーをセットしてくれるのであればそれで良い。一方で一番最初からイキナリお泊まり旅行とか自宅にどうかとか「段階を飛ばしてセクロスに行きたがる」場合は断った方が良い場合の方が多いだろうし、そうした悪気はなくても映画やコンサート等の「拘束時間が長い割に互いに理解を深めづらい企画」が来た場合は忙しいとか適度に断りながら、「当初のデートはディナーが良い」と言う方向に呼び水を入れてあげて欲しい。

或いは、映画やコンサート他男性側の趣味と思われる企画モノ+お茶で感想を語り合いここではお手手繋ぎもなし、と言ったデート位で0.5回位にカウントし、次回は食事でもしながらゆっくり話がしたいなという流れに持っていって残り0.5回としてこれを持ってお手手繋ぎと言う流れでも良いだろう。

何にせよ、映画・コンサート・観劇等の趣味の企画モノだけを共有している段階では互いの人となりは中々分からないので、その後にお茶、ディナー等の飲食をしながら話をする事を促す事が肝要である。

・どんなディナーをどう段取りすれば良いのか:高級すぎず安すぎずできっちりおいしくゆっくり話が出来る店を男性側が手配をするのをお膳立てする。
次にどんな店・ディナーに決めるか。一定以上場数を踏んだ男性であれば「何でもいいです」と相手にお任せにするだけで適度に素敵な店をチョイスしておいてくれるだろうし、それで相手の趣味や男女関係のこなれ具合、センス等を推し量ると言うのもそれはそれで考え方である。

しかし一方で、男性側の種明かしをしておくと、往々にして男は素晴らしいレストランだデートスポットだにそんなに詳しい訳ではないし、デートのディナーの場所を決めると言うのは結構負担だったりするものである。特に仕事一徹の男性、営業等でない研究職や専門職等で接待・会食を仕事でしない男性、女性経験の場数をそんなに踏んでいない男性等については、「最初のデートをどうするか」「最初のディナーの場所をどうするか」でさえも、結構なハードルなのである。

こう言う男性は地味かも知れないが、大概は真面目だし浮気もしないし深く付き合えば非常に良いパートナーになる場合も少なくない。こうした男性を全部「いい年して女性もエスコート出来ないなんて頼りないしつまらないからダメ」と切り捨てるのは男目線の筆者からすると余りに勿体ないし、そうして男を見る目ばかり肥えさせて行く一方で歳ばかり取って行くから独身拗れ中年女性として男女市場砂漠を妙齢になってもさ迷い続ける羽目になるのである。

ここは女性側もひと肌脱いで、男性側に協力的な呼び水を入れてみる事で、男女市場砂漠から脱出する確率を上げる事が出来る局面である。

特に女性が30代に突入すると、20代の頃の「自分はお客さん・お姫様で男性に良くして貰って当たり前」と言う意識のままでは拗れ中年アラフォー突入はほぼ確定であり、「女性側も協力的に一緒に関係を作りあげると言う意識を持つ」と言うのは決定的に重要になる。心当たりのある女性は注意して欲しい。

具体的には、女性側から「何でもいいです」ではなく、「オフィスがこの辺/当日はどこそこの出先に営業で出て直帰の予定だから、場所はこの辺で、この料理ジャンル(イタリアンなど無難でチョイスが豊富にあるのを選んであげよう)を、余り肩肘張りすぎずでもゆっくり話が出来る所がいいな」と希望を述べてあげるのが良いだろう。

男性側からすると、「何でもいいです」と言うのは、ある種女性側から「センスの良い趣味の良い店をチョイスしないといけない」と試されているような負担感があり、ハードルが高くなるのだ。一方で、エリア、料理ジャンル、予算(=ガチすぎずでもゆっくり話が出来る所、と言うのである程度予算が特定される)、の呼び水を女性から入れてやれば、男性側は食べログなりミシュランなりザガットなりで調べて店を特定し易くなるのである。

因みに、ガイダンスは女性から呼び水を入れるにせよ、店のサーチと決定自体は男性にやって貰うのが良いだろう。女性が余りに何でもやってあげると、だめんずを掴むリスクもある。不器用にしろ、女性からのガイダンスを踏まえたものにせよ、男性が店のサーチと決定位はする甲斐性・行動力・決断力位はあるかは見ておく方が良いだろう。

そして、お店を決定してくれたら、 多少店のチョイスが拙いなと思っても、「決めてくれてありがとう」とニッコリ喜んであげる。これにより男性側の緊張感・不安感はだいぶ緩和する。

男のデートコースのチョイスを上から目線で評定して「だっさー」等と言っていられる女性は、若いだけで価値のある20代、それもせいぜいアラ25位までである。特にアラサー以上の女性で若い頃男性にモテていた女性は要注意である。アラサー以降も上から目線で男性を鑑定していたら結構な高確率でアラフォーになっても拗れ独身中年女性である。

筆者のような轍を踏んでいいアラフォーになってもパートナーがいないと言った事になってしまわないためにもこの点気をつけて頂き、大人の女性たるもの、女性側からもお膳立てや呼び水を男性側に入れてあげる、二人で良い関係を一緒に作って行く、と言う寛容と包容力を心がけて頂けるとこれ幸いである。

集合場所は、こなれた男性であれば近くのホテルのラウンジだのバーだので待ち合わせてカクテルでも一杯飲んでからみたいなケースもあるだろうが、過半のこなれていない男性にこう言うのを期待しない事である。現地集合でよしとしてあげよう。

○ステップ1:3ステップアルゴその1、1回目のディナー。「お手手繋ぐ」のObjective達成をお膳立てせよ!

次に1回目のディナーである。先の通りで、ここでの男性側のゴールは 「お手手繋ぐ」である。女性側としては、相手が自身の気に入る男性であったら、男性がお手手繋ぎ易いようにお膳立てする・呼び水を入れると言うのがゴールになる

・時間丁度位、または微かに遅れる位にお店に到着する。
これは、男性側にスタンバイする猶予を与えるためである。女性を待たせるのは良い事ではない、と言うのは大概の男性は理解しているので、女性側が10分前到着をされてしまうと男性側は焦る。多少早く現地に到着できる場合でも、敢えて時間丁度位に到着してあげよう。

又は、LINE等で少し遅れる旨謝罪を送ってわざと2-3分位微かに遅れて「ごめんなさい遅れちゃって」等と登場してあげると言うのも良いかもしれない。すると男性側は既に心の準備やオーダー等も決める事が出来、「大丈夫だよ、僕も今着いたばかりだから」と寛大な俺アッピールをする事も出来、滑り出しの良いスタートだなしめしめ等と感じる事が出来る。これを女性側から敢えてお膳立てすると言うのも悪くない所作と思う。

ただしちゃんと「ごめんなさい遅れちゃって」と謝罪を入れておかないと、単に時間にルーズな人なのかなと思われる可能性もあるので注意して欲しい。

・男性にオーダーして貰うように促し、男性と同じものを頼んで暗黙の賛同を示すか、違うものを頼んでシェアする等をお膳立てする。取り分けやお酌はしても良いが相手がしてくれる場合はそれをとめたりしないでありがとうと感謝を表現する。

オーダーは男性にやって貰うのがマナーなので、男性にウエイター/ウエイトレスさんを呼んで貰う。優柔不断による失点は男性の方が大きいようにも思うが、女性側も余りに長々迷われると男性はテンポが狂う面もあるので早期に決めてあげよう。迷ったら特に飲み物などは男性の頼むものと同じものを頼む事で「暗黙の賛同」を男性に示す事が出来る。

また、男性と違うものを頼んで「ひとくち飲ませて」「アペタイザーをシェアしよう」とお酒や皿をシェアするように促すと言うのも親密感を増す所作として良い(大げさに言えば間接ちゅーなのであり、お手手繋いだりちゅーしたりの前段階ウォームアップになる)。

また、オーダーしたりワインを注ぐのは男の仕事だと言うのは知らない男性も案外いるので女性側がオーダーやお酌をしても良いが、男性側がいいよ俺がやるよと言ってくれたら「ありがとう」と言って男性にやって貰うのが吉である。男性側にポイントを稼がせてあげる、花を持たせる、但しお礼の「ありがとう」をしっかり言うと言うのがポイントである。

基本線、男は言葉で言ってくれないと分からない生物なので、自分がやって欲しい事をしてくれたら「ありがとう」と感謝を言葉で示すと言うのは重要である。ちゃんとした男性であれば、次回も同じようにやってくれるようになるだろう。)

・その他、表面的でも細かい優しさを演出されたら「ありがとう」の感謝で返す。

これは以前に紹介した水野敬也氏の「LOVE理論」を参照。

LOVE理論 
水野敬也 

例えばエレベーターのボタンを男性が押してあげる、ドアを開けたげる、レストランの席は女性に上座あるいは景色の良い席について貰う、オーダーは男性がやりワインは男性が注ぎ女性にお酌させない、お会計は女性のお手洗いの最中に済ませておく、こうした一連の所作は、男性側は最初から知っている訳ではなく、それなりに意識して、学習してそれを遂行している。

男性側からすると、そうした気遣いに女性側がきちんと気づいてくれて、「ありがとう」と喜んでくれると嬉しいものであるし、「この女性は気遣いにありがとうで応えてくれる女性だな、打てば響く、優しくしがいのある女性だな」と感じたりもする。

一方で男性側からすると、こう言う所作ひとつひとつについて「してくれて当たり前」と言う態度の女性と言うのは、男にちやほやされ慣れているのかな、傲慢なんじゃないかな、と警戒するものである。特に「お会計を男性が済ませる」に対して、それを当たり前と言う態度の女性に対して男性は警戒する。

そぶりでも良いから財布を出す態度を見せる、ありがとうごちそうさま美味しかったと感謝を述べる、店を出てから割り勘を申し出て男性側がそれでも今回僕が払うよと言うなら次の機会に私からも奢らせてねで返す、等のフォローを入れておくと言うのは重要で、男性の中にはここのフォローの有無で次回その人と会うか否かを決める人も結構居る。

そんな訳で、女性の側は、男性が頑張って優しい俺アピールをしてくれているようであれば、表面的かも知れないにせよ、「ありがとう」できちんと応えてあげると良い。

・仕事の話を長々しないように、女性側から趣味や恋愛の話の呼び水を作る。

さて、次はこの「仕事の話ばっかりになってしまう問題」である。男性と言うのは、とかく仕事の話が好きな生き物である。特にある程度仕事に情熱を注いでいたり仕事の出来る人であればその傾向が強いし、そうでなくても仕事の愚痴等の話題がついつい多い男性と言うのは多い。他の手持ちの話題が余りない男性もいる。

勿論男性側がそれでは男女関係にならないと言う事を理解して、話題をパーソナルな方面にマネージ出来るのであればそれで良い。しかし中々そう言う兆しが男性側からなくて延々仕事の話をしている場合に、それでもその男性とお付き合いまで持って行きたいと言う場合、女性側としてはどうすれば良いか。女性側から趣味や恋愛の話の呼び水を入れる事である。

具体的には、「仕事は仕事として、休みの日は何してるの?」と言った辺りから早めに週末・趣味=仕事外のパーソナルな話に話題を移して、女性側から男性側の趣味やライフスタイルを褒めてノセて行くのである。車とか時計とか女性からしたらさっぱり分からない趣味でも話は聞いてあげよう。

またアニメ・鉄道等のオタクっぽい趣味、元来「モテ」と言う観点からはマイナスになり得る趣味を開示してきた男性には、「いいじゃんアニメ!私も観るよアニメ」「鉄道いいじゃん、私も駅弁と缶ビール片手にローカル線の旅とかいいと思うよ」等と強い共感を示してあげれば、男性側はその女性を「理解のある味方」と思うようになり親密感が一気に増す。

後はもう、「今度xxさんの車に乗せて貰いたいなあ」「今度xxさんと一緒にアニメ観たいなあ」「今度xxさんと鉄道の旅でもしたいなあ」等と男性側の趣味に合わせて「その趣味をxxさんと一緒に私もやってみたいなあ」とちゅー以降の呼び水を女性側から作ってやれば、物事進展させるのは結構簡単である。

こうして、男性側は「おおそうか、じゃあ今度一緒に行こう/やろう」と回答しさえばすればよい所までお膳立てしてやれば、仮に女性側がきちんとステップ0の準備の所で服装見た目SATC加齢臭の除去等しっかりやっており、男性側からしてそう悪い印象がないのであれば、恐らくかなりの高確率で関係を進展させられるだろう。(それでも断られたり話をそらされたりしたら、それはもう脈がないと言う事なので諦めて他の男性に行こう。)
女性の側からも、仕事の話からは早めに離れる、仕事→趣味→恋愛、と話の流れの呼び水を作って行く、と言う事を心がけて欲しい。

・「ギャップ」を意識して作る。相手の「ギャップ」を探す。
さて、「ギャップ萌えの誘発」が効くのは男女とも同じである。美人系が全く外見にそぐわない意外な趣味を持っている、バリキャリ系の女性が料理等の家庭的な趣味を持っているとか、そう言う振れ幅を用意しておくと言うのは有効である。

また、男性側の「ギャップ」を探して褒めてあげれば大体ポイントは高い。例えばバリバリ仕事をしている男性の意外に小心だったりかわいい一面を見つけてそこが良いと褒めてあげたりすれば大体ポイントが高い。

 お会計が女性のお手洗いの最中に済ませてあったら、割り勘の意思表示・感謝を示す。
先述のとおりだが、 「お会計を男性が済ませる」に対して、それを当たり前と言う態度の女性に対して特に男性は警戒する。そぶりでも良いから財布を出す態度を見せる、ありがとうごちそうさま美味しかったと感謝を述べる、店を出てから割り勘を申し出て男性側がそれでも今回僕が払うよと言うなら次の機会に私からも奢らせてねで返す、等のフォローを入れておくと言うのは重要である。

先に述べた通りで、男性の中にはここのフォローの有無で次回その人と会うか否かを決める人も周囲には相当数居る。お礼を言わない場合、ありがとうが言えない女性とは次はないなと言う男性陣は結構いる。付き合った後も彼女のために気遣いしても感謝してくれない人と居るのは嫌だなと感じるからである。

また、「うーんxxより味/サービスがいまいちだったな」「前回より味が落ちたかな」とか食通ぶった・評論家じみた発言をわざわざする女性もいるが、こうした場合も、男性側は自分のレストランのチョイスひいては自分自身を否定された気分になってしまい、次ディナーに誘ったり気遣いしたりしてもどうせ批判されるしもういいやとなってしまい、もう次はない。

男ってなんて軟弱で小心なんだと責めたい気持ちは分かるが、男心はガラスのように脆く繊細なものなのである。若い頃モテてあちこち男性に奢って貰って良い店に連れていって貰っていたとか、バリキャリ妙齢女性で接待やお一人様で仕事あがりに普通に良い店で食事をするのに慣れてしまっている人等でこの手の問題は発生し易いように思われるので、注意が必要である。

ストランの辛口めの評定までするのは、相応に親密になり、互いにレストラン食べ歩きが好きだと言う共通の理解がある場合で、互いにレストランの辛口評定をし合う事で互いの一体感が増すと言った場合に限定される。仮に女性側の方からその男性とは次はないなと思った場合でも、その男性の友人等から運命の人が見つかるかも知れないのだ。わざわざ男性側を不愉快にする事により得るものはない。

以上より、ご飯食べてお酒飲んでお腹一杯でましてや奢って貰った時に、わざわざ批判的なコメントを述べて場を凍らせる必要性はない。感謝の意を示しておくのが吉であるし、大人のマナーである。

・「二件目のバー」はお酒が飲めなくても付いて行く
さて、男性側の「3ステップアルゴ」を読んだかたは分かるだろうが、次は2件目のバーをどうするかである。これは男性側と事情は一緒で、女性側もディナーを一緒にしていて明らかにぴんと来ないなと言う場合はそのままバイバイで良い。趣味や恋愛の話をして行く過程で、「これはお互い違うわな」と分かる場合も結構ある。

一方で、もっと先にプロセスを進めたいと言う場合には「徒歩圏で行く2件目のバー」を男性に提案されたら付いて行った方が良い。

ここでのポイントは、「相手の男性が魅力的だと感じたなら、お酒が飲めなくても2件目には付いて行く」事である。特にお酒が飲めない女性はこれを、相手の男性の事をいい男だなと思っている場合でも「お酒飲めないから」で断ってしまう事で機会損失がみられる場合がある。筆者の周囲の拗れ独身メイトの女友達等の事例でも複数こうしたケースは見られる。

相手の男性がいい男だなと思うのであれば、飲めない場合でも「私お酒飲めないんだけど、ノンアルコールカクテルとかがあるなら付き合うよ(注:どこのバーでも必ずMocktail、ノンアルコールカクテルは用意されている)」と言って付いて行く事を勧める。

・そして「お手手つなぐ」のObjective達成をお膳立てせよ。
そして、1回目のディナーの最後のハイライト、「お手手つなぐ」である。相手がいい男だなと思うのであれば、男性側がお手手繋ぎ易いように女性側は呼び水をいれてあげて欲しい。男女とも、ただの友人や仕事上の相手とお手手繋ぐ事はない。「お手手繋ぐ」と言うのは、これが間違いなく男女関係であり、次回のデート以降も男女関係として関係を発展させて行くモノであると言う関係性構築の上での重要なマーキングになるのである。

2件目のバーに行かないけれども男女関係として良いかもなの場合、女性側からどうするか。最寄り駅まで歩くとかタクシーに一緒に乗る、と言う「横に並んで一緒」のシチュエーションが発生するはずである。この際に女性側から「カバンをわざと当初は男性側に持っておいて、更にわざと男性側の反対に持ち替えて手を空ける所作を取る」と言うのが男性側からすれば「お手手繋いで良いですよ」の呼び水になる。また、距離を詰めてわざと多少手などがかすったりする状況を作ると効果的である。

2件目のバーに行く際には、お手手繋ぐチャンスはそのまま帰る場合よりも豊富にある。まずはレストランからバーに徒歩で移動する途中。この場合のプロセスは上の通りである。また、バーに入って「テーブルが良いかカウンターが良いか」と聞かれたら必ずカウンターで横座りになる事を希望する事。こうなると距離を縮められるし、心理学的にもテーブル越しに対面で座るよりも親密度が増す。

そして、わざと距離を詰めたり、男性側が手を触り易いように男性の近くでグラスに手を添えたりすると良い。

また、男性側が面白い事など言った際に、談笑しながら女性側から手を男性の肩や腕等に軽く触れたりするのは非常に効果的である。ここは水野氏の以下の書籍の「お触り48手」を参照して欲しい。この書籍のように露骨に女性から男性にボディタッチするのはちょっと勇気が要るだろうし若い頃ならともかく30代以降になったらちょっと不自然だなと言う項目も多いが、上記のように談笑しながら男性の肩等に軽く触れる位であればハードルも低いしある程度自然だろう。女性側からボディタッチと言うのは草食男性を男女関係に促すには非常に有効なのは確かである。

スパルタ婚活塾 
水野敬也 

バーでする話はディナーの恋愛の話の続きでいい。お酒も飲み、お手手も繋げば、仕事の取引先や情報交換相手ではなく、「男女関係」と言う関係感・空気感を作る事が出来る。また、上に書いたとおりでバーから各自帰宅する際にもタクシー車内や最寄り駅に戻るまででお手手繋ぐチャンスがあるので、その際は上述の通りで鞄を男性の反対側に持ち替えてあげて男性側の手を空けてあげる、距離を少し詰める等で呼び水を入れてあげると良い。

以上の施策を打つ事で、女性側から「お手手繋いで良いのですよ」と言う呼び水を入れてやり、男性に「お手手繋ぐ」のObjectiveを達成させてあげる、と言うのがステップ1の要諦である。至極オーソドックスで何の工夫もなく、男女経験のこなれた男女からすると恥ずかしい位のレベルの話であると思うが、特に仕事や勉強ばかりして来た女性、彼氏居ない歴x年で男女関係を忘却しつつある女性など、こうした基本の雛形を持っていない女性も世の中結構いるようにも思われる。

また、実際周囲にこう言うアドバイスを求められて回答した事もある。こうしたべたな雛形があるだけでも経験上、飛躍的に成功率は上げられる。参考なれば幸いである。

○ステップ2:3ステップアルゴその2、2回目のディナー。「ちゅー」のObjective達成をお膳立てせよ!
さて、次は2回目のディナーの段階であり、男性側の投稿を読んだかたは周知の通りで、Objectiveは「ちゅー」である。2回目のディナーの別れ際までに、くちびるとくちびるがかする位でも良いから男性側からちゅーを促す事が出来れば、2回目のディナーはミッションコンプリートである。

・2回目ディナーのアポの取り方。貸し借りを作って、誘い易いきっかけをお膳立てする。
さて、2回目ディナーのアポの取り方である。女性側の心得としては、「貸し借りを意図的に作り、誘い易いきっかけをお膳立てする」事である。具体的な方法としては、1回目のディナーで奢って貰ったら、「ありがとう、じゃあ次回は私に一杯奢らせてよ」と返す、本の話題をして本を貸し借りする約束をしておくなどが自然である。ディナーの場所についても、1回目と同様に、希望を女性側からある程度伝えてあげた方が男性側からすると助かるのは同じである。

・1回目ディナーとの「ギャップ」を作るのが有用。
2回目のデートに当たる際は、服装などを一回目と変えると有効である。1回目が清楚路線なら2回目は行き過ぎない程度にセクシー路線、1回目が仕事帰りでオフィス服なら2回目は土曜日でカジュアル路線、等とすると男性陣は結構簡単にドキドキしてくれる。ギャップと振れ幅はここでも重要である。

・互いの理解を深める。
2回目のデートは、1回目でお手手を繋いでいれば最初から男女の関係である事は雰囲気上明らかである。スキンシップも簡単に取れるので最初から談笑しながらボディタッチ、お手手繋ぐ等を自然にすると良いだろう。

話題はケースバイケースだが、1回目のディナーの話の延長として、仕事・キャリア等に関する考え方の話(但し話の話題がこれ一色になってしまわないように留意。あくまで男女関係開始の前段階として仕事・キャリア等に関する考え方をシェアするのも大事な事なのでそうした話題をする、と言うスタンスが良い)、恋愛の話 、お互いの人生のヒストリーの話 、友達や日々の生活の話など、トータルに話を深めて相互の理解を深めればいい。

1回目のデートで仕事→趣味→恋愛→お手手繋ぎ、まで到達出来ている場合、ここは比較的自然に運ぶのが経験上通例であり、そんなに気負う事はない。

・3回目のお泊りのための伏線を用意しておく。
女性側にとっても2回目のディナーでのハイライト、越えるべきハードルの一つはここだろうか。3回目のデートで「お泊り」の案件を女性側からも促す必要がある。

女性の側からは、上述の通りで 「その趣味をxxさんと一緒に私もやってみたいなあ」の系統でお泊りをお膳立てすると良い。

男性側がきちんとおっさんの宿題をこなして料理が趣味だと言うなら「xxさんの料理食べてみたいな。 私がワイン/前菜持っていくよ」と応じてあげよう。王道である。

鉄道が好きだというなら 「私も電車の旅してみたいな」、旅行・温泉等の類が好きなら「どこそこに行きたいな」。アニメ・映画が好きなら「私もそのアニメ・映画観てみたいな」である。

ポイントは、男性側が「そうか、じゃあ僕の家にきなよ」「そうか、じゃあ旅行行こうか」と回答すれば良いだけの状況を作る事である。筆者も男稼業を長らくやっているが、女性側からこう言う呼び水があると非常に誘うのが楽である。

繰り返すが、男性は基本的に、「言って貰わないと分からない生物」である。女性側からもある程度意思表示と呼び水を入れる方が円滑な場合が多いのである。

・そして「ちゅー」のObjectiveを達成せよ。
そして、2回目のデートのもう一つのハイライト「ちゅー」のObjectiveのお膳立てである。手法については、1回目の「お手手繋ぐ」と比較的似ている。特にお酒が飲めない女性に伝えておきたいが、前回に続いて2件目のバーも飲めなくても参加する事である。

そして、自身はノンアルコールのカクテルを頼んだ上で、ほんの一口だけ男性のお酒を味見させて貰うのだ。後はもう簡単で、「お酒弱いから一口で酔っちゃった」等と味見したお酒を口実にして帰りのタクシーで男性に寄りかかってあげたり、帰りの歩きの道のりでお手手繋いだ上で更に密着したりすれば、男性側への「ちゅーして良いですよ」のサインになる。多少わざとらしくてもそこを咎める男性はいないから安心して欲しい。

但し、ここまで促しても男性側が動かない場合は脈がない可能性が高くもある点には留意。

○ステップ3:3ステップアルゴその3、フィニッシュ。「一晩をともにする」のObjective達成をお膳立てせよ!
さて、遂にクライマックスの3回目のデートである。ここでのObjectiveは「一晩をともにするのをお膳立てする」である。とは言え、ここまで来れば、案外当初の「お手手繋ぎ」ほどの緊張はなく、自然に事を運べる場合も多い。従って比較的簡潔な記載に留めておく。

・2回目で張ったお泊りのための伏線を実践に移す。出来れば共同作業・共同企画的にすると効果的。
さて、2回目で週末小旅行(近隣の一泊でいい)、料理作るし家でワインでも開けようよなどのアポが取れれば、3回目のObjectiveはほぼ達成である。

女性側が完全に受身にならず、旅行なら二人で日程や行き先などを企画したり、男性側の自宅に行くなら女性側もワイン/デザート/前菜一品を持参するなど、「企画に貢献する意思」「一緒に関係を作って行く意思」を見せると男性陣からは概ね好印象である。

因みに女性側の家に男性を呼ぶ時は、部屋を掃除しておく事。女性の部屋が散らかり放題だと男性側はかなり引くので留意。

あとは雰囲気を高めるのに一番簡単なのが蛍光灯や普通の直接照明は全部落として間接照明だけにして、自炊のテーブルの上にキャンドルでも灯す事なのは男性の場合と同じである。間接照明はIKEAでもどこでも安価に売っており、別に金持ちでなくてもこういう工夫は簡単にできる。

後は二人でホテルの部屋や自宅に入ったら、男性側が押し倒し易いように「酔っちゃった」「疲れちゃった」等言いながらソファーやベッドで横になったり、適度にスキを見せてあげればObjective完遂である。

○さいごに:3ステップアルゴその後。お付き合い開始!
後は、ステップ3の最中あるいはステップ3の翌朝にでも「好きだから付き合って頂戴」と言う趣旨の事を男性から女性側に伝えられて、女性側がYesと言えばお付き合いは普通に開始される。
但しここで「きちんとお付き合いしよう」の宣言が男性側からない場合は要注意であり、相手の男性は肉体関係目的だった、或いは一晩過ごしてみたが諸々ぴんと来なかったと言う可能性も高くなる。3回目のお泊りに入ってから肉体関係に入るのを拒むと言うのは流れ上難しいものがあるので、これについては1-2回目のデートの中で相手の人となり、ちゃんとした男女関係がしたいのかセフレが欲しいだけなのか、相手の自分に対する熱量はどの程度なのかについては判断をしておく必要がある。
また、身体の相性と言うのはやはりあるようにも思われ、この場合はもう仕方がない。技術・経験量云々が問題になる事はそうないと思う(これは回数を重ねPDCAサイクルを回す事ですり合わせ出来るようにも思う)が、それでも「これは今後回数を重ねて行く事でこなれて来る感じでもなくて、完全に決定的に合わないな」と感じ、「男女関係は難しいな」と言う結論に至る事と言うのはやはりある。

身体の相性だけでパートナーを決めるのは危険だが、やっぱりこの辺が余りに合わない場合に男女関係を継続するのもまた双方難しい面はあるし、こればかりは仕方ない。判断を誤り嫌な思いをする事もゼロではないかも知れないが、ここは試行錯誤していく他ない。素晴らしい「最後の一人」を見つけるためには、ある程度の場数は必要だろう。

大雑把には筆者からは上記位である。 恋愛に長けたナチュラルに勝ち組DNAを持つ勝ち組美人女性諸氏がこのような凡庸・平板に過ぎる内容を観たら、恐らく苦笑する他ない。

しかし、人柄は良いし仕事も出来るしきちんとメイクしておしゃれすればちゃんと素敵になり得る素養を持った女性であるにも関わらず、上述のような基本テンプレを持たないが故に出会いの機会を逸失している女友達、拗れ中年独身男女市場砂漠メイトと言うのも過去少なからず遭遇する経験を持つ事になった。

そうであるから、恥をしのんで、この度一定のテンプレートを用意してみた次第である。本来の所としては、男女交際と言うのはもっと個別なものだし、ケースバイケースの機微があるものであって然るべきものである事は添えておきたい。

但し、男性の場合同様に、女性側についても「3ステップアルゴでデートは出来るようになるが結婚に至らない」と言う問題は発生し得るし、しかも構造的かつ深刻な問題が横たわっている可能性もある。これについては時を改めて思う所を書くかも知れないし書かないかも知れない。上述のテンプレートは、あくまで「彼氏居ない歴x年の女性が、まずは男女関係、恋愛を思い出し、定期的に男女関係を持つには困らなくなるためのもの」である事は注記しておきたい。

「男女関係開始アルゴ」その4:敗軍の中年おっさん、兵を語る(男女関係開始アルゴの問題点を徒然に)。

$
0
0
さて、前回までで、「男女関係開始アルゴ」を男性側、女性側双方の視点で紹介した。

しかし、これは「男女関係開始アルゴ」であって、「深い男女関係継続アルゴ」でもないし、「結婚・再婚アルゴ」でもないと言うのが留意点なのである。実際にこうしたテンプレートで婚活をしたり恋愛を開始する事には善し悪しあり、どちらかと言うと問題点の方が多いようにも現在は感じている。

そこで今回は、「敗軍の中年おっさん、兵を語る(男女関係開始アルゴの問題点を徒然に)」と題して、恋愛の開始をこうしたテンプレートに頼る事の問題点を中心に、アラフォー中年の懺悔の気分と共に記載しておこうと思う。


○「男女関係開始アルゴ」の良い点

まずは良い点から。

・男女関係を始めるだけなら困らなくなり、対人スキルが改善し、一定の自信が付く。

単に男女関係を始めれば良い、異性との逢瀬を少し楽しんでセックスしたいなという時に、あまり困らなくなる。男性なら女性からちゃんと男として、女性なら男性からちゃんと女として見て貰えているな、自分は異性にとり魅力があるのだな、年齢が妙齢・佳境に入っている場合は自分はまだまだ行けるんだなと実感出来る。

人間、煎じ詰めると異性にモテない・セックス出来ないと言うのは男女双方とも、人格形成に大きな負の影響を及ぼすものであろうと思われる。そうした非モテ時代の問題から自由になれる事で、全く違う世界が広がるようになると言う効果はあるように思う。

また、対人スキルが上がると言う面もある。慣れてくると3ステップアルゴを調節しながら、知人・友人・恋愛対象等の対人距離のマネージが自分で出来るようになる。恋愛関係に進めたい場合はアルゴ通りに恋愛の話をし、ボディタッチやスキンシップを増やしていけば男女関係の雰囲気に出来るし、友人にしたい場合は仕事や恋愛の悩み等を共有するなどで友人関係に出来るし、知人にしたい場合は主に仕事の話や差し支えない世間話等に終始する事で知人程度に出来る。不愉快で知人にもしたくない場合は次回のアポを取る機会を持たないようにする事で関係自体をフェードアウトさせてゆく事も出来る。

相手の反応を見ながら対人距離を調節する事も出来るようになり、相手が明らかに自分の事に色気を感じていて乗り気の場合は3ステップアルゴを早送りにして初対面からちゅーなりやろうと思えば最後まで進めてしまう事も可能になるし、相手が自分の事を知人程度に位置づけており進展の余地はないなと察知して人間関係が拗れる前に知人・仕事上の付き合いのみに収めるようにも出来るようになる。

こうした事をある程度自分で管理出来るようになり、特に対人関係に不得意感を持っている人については、対人関係まわりの悩みが以前より減る事は実感出来るようになるだろう。男女だけでなく職場等でもソツなく対人距離を調整出来るようになり、いじめやセクハラ・パワハラ等のターゲットになりづらくなる等の効果はあるだろうと思う。

結果、全く男女関係のスタートも切れなかった頃に比べて、「絶対の自信」は付かないものの、「一定の自信」が付くと言うのはあろうかと思われる。(なぜ「一定の」自信であり、「絶対の」自信ではないのかと言うのは、問題点の所で詳述する。)


○「男女関係開始アルゴ」の問題点

次に問題点である。率直に言って、恋愛の開始をこうしたテンプレートに頼ることには、長期的には問題点の方が多いように思われた。

・出会いが段々と「作業・接待」になり、楽しくなくなる。出会いの質が悪くなる。

特に婚活として意識して3ステップアルゴで活動し続けると、作業感が強くなる。

最初のうちはお手手繋ぐのもドキドキしていたものが、トヨタの自動車生産の流れ作業のように簡単にお手手を繋ぎ、ちゅーをして、自宅で料理を作り、ベッドイン出来てしまうようになる。いい歳して初々しさとか言う歳でもないにせよ、これはこれでどうかと言うのはある。率直に言って、出会う事の義務感・負担感が徐々に出てきて、新しい異性と出会う事が余り楽しみではなくなる。

また、作業・接待感で出会いを重ねていると、だんだんと出会いの質が悪くなるようにも思われる。これは、自身の人との接し方に作業感が出てきて楽しんでいない事によって、恐らく自身が事務的になり自分自身の質・人間味が劣化すると言う事と、それに応じて出会う相手の質が同様に劣化していくと言う事と、双方で効いてしまうように思われる。

人間、同じようなマインドやエネルギーレベルの同類が引き寄せあうものである。やはり、心のこもった人間関係を持つ、相手と会う事を楽しむように心がけていないと、周囲にも似たように人間関係が雑な人、殺伐とした人が増えて来てしまうように思われた。

そうした背景から、「男女関係開始アルゴ」で男女関係が開始されても、愛情の密度としては表面的で薄いものになりがちのようにも思われた。相手は自分自身・人柄等を愛してくれているのではなく、雰囲気の良い店でデートして雰囲気の良い自宅で旨いパスタ振舞ってくれて等等の「フワッとした雰囲気」を何となく好んでいただけだったのかなと思う事が多くなった。

自身の人との関わり方が作業感の伴う事務的なものになってしまっているのであるから自業自得・因果応報と言う面はある。ある段階から、「3ステップアルゴで密度の低い恋愛を繰り返して試行回数を増やしても、結婚・再婚には至らないかも知れないな」と思うようになった。

こうした症状は、「3ステップアルゴ」を使用する・しないに関わらず、婚活で切迫感・義務感にかられて次々と異性と会っていると起こりがちの問題のようにも思われる。異性を株のスクリーニングみたいに学歴・年齢・収入・趣味等の条件でスクリーニングして、ベルトコンベアのライン作業みたいに次々と人と会って行き、小手先のテクニック・タクティクスで「ソツのない定型的な魅力」で男女関係を開始する。

こうなってしまうと、回数を幾ら稼いでも有意義な出会い・男女関係・人間関係は結べなくなってしまい、カラ回りになり有意義な恋愛や結婚から遠ざかる一方になってしまうと思われるので注意が必要である。

1回目のデートでディナーを終えて「バイバイ」をした後に、接待を終えた後のような疲労感と、ハァーっとため息が思わず出てしまうようになったら、かなり危険サインである。いわゆる婚活疲れと言うやつである。

そうした場合には、もう男女関係初期の場数を踏むのは十分なので、ちょっと立ち止まって、中身のある人間関係を構築するにはどうしたら良いかと言う事を真剣に考える事をお勧めする。


・最初の3回のデートだけ最適化された洗練されたものになり、初期の期待値が互いに高くなり過ぎ、その後の失望感が大きくなる。

3ステップアルゴを確立した筆者の序盤戦の典型的なおデートはこうだ。髪型服装を小奇麗に整え、ジムで体格を整えた状態で、女性側のニーズを捉えた適度に良いレストランに行き、バーに行き、段々親密になり、3回目のデートでパスタなど自宅で振る舞いワインで乾杯する。一晩過ごした翌日の朝はコーヒーを淹れて女性が起きるのを待っている。筆者が車を持っていた頃はこれに加えてサングラスして赤のポルシェで自然に囲まれたカフェでブランチでも一緒して彼女の家まで見送り等も付いていた。慣れて来ると、DQNのキモい系拗れ独身中年でもこう言うのを空気を吸うように普通に出来るようになる。何事も場数と慣れである。

しかしついった酒場でどうしようもない事ばかりグダグダ呟く筆者の実際を知る皆さんには分かるだろう。そう、余りに出来すぎなのである。

筆者の実際は上記の活動から想定されるようなおシャンティなミドルではない。実際には、加齢に嘆き、上がらない収益にため息を付き、 行き詰るキャリアに悩み、引退出来るだけの資産蓄積もなくこのままじゃ老後まずいだろと焦燥し、再婚出来ない事に嘆き、女心が分かっているように見えてさっぱり分かっておらず、男女活動の行く末にアラフォーのいい年したおっさんが厨二の子供のように一喜一憂しているようなおっさんである。自分でも自覚しているが、ドラえもんののび太がダメなまま大人になってしまったような中年男、そうした面が否応なくあるのが実際の筆者なのである。

確かにおシャンティなオサレ系カフェのようなライフスタイルを適度に取り入れるのも嫌いではなくまあまあ好きな面もあるにはある。しかしそれは自身が根っからのおシャンティ、石田純一先生的なモテのDNAを持つからではない。自身のいけてなさ・グダグダしたマインドだけでは余りに心身のバランスが取れないのでおシャンティを取り入れる事でバランスを取ると言う、「魂の平衡運動」の結果としてのおシャンティなのである。言ってみれば、いつもくさやの干物だ魚の内臓の塩辛だと言った珍味ばかり食べていては栄養バランスも狂うから、オーガニック野菜のサラダもしっかり食べようねみたいな話なのである。

しかし先の序盤戦のデートでは、そうした側面が全く表現されずに、オーガニック野菜のおシャンティなカフェ・レストランの食事みたいになってしまう面は否めない。実際にはおシャンティカフェのオーガニック野菜サラダ風味の自分は前菜であり、くさやの干物や内臓の塩辛も含めた決して万人受けする訳ではないフルコースが自分だと言うのに。

結果として、序盤のデートにより女性側の期待値を余りにおシャンティな方面に引き上げてしまい、付き合いが長くなればなるほどに失望と下方修正を繰り返すと言う構図になりがちであった事は否定できない。仕事で空売りするようなクソ企業・クソ株・クソ経営者達、上場ゴールのクソIPO企業達をこれではさっぱり笑えない。

また、3ステップアルゴに応える女性側にしても同様の構造的問題があろうかと思われる。

男性が好むような服装やナチュラルなメイクで装備し、レストランの希望をガイダンスし、店のチョイス等に多少の不満があっても「ありがとう」と笑顔で返し、男性のどんな理解不能な趣味にも 「いいね!」をして「私もxxさんと一緒に体験したいわ♪」等と共感を示し、その他の細かい男性の気遣いにも目ざとく気づいて「ありがとう」の感謝を示す。男性がお手手繋いでちゅーして一晩お泊まりし易いように男性の知らぬ間にガイドをする。男性の家に訪問する際には前菜/ワイン/スイーツ等を持参する。そしてベッドで一晩過ごす。何て理想の女性なんだろうか。男性の期待値はどんどん高まる。ああ筆者の期待値も高まって行ったさ、嗚呼。

しかし、そんな『理想の女神だけ』みたいな女性がこの世に居る訳はない。実際は生理の周期で男からすると意味不明に不機嫌・情緒不安定になったりし、言う事と実際考えている事が全然違うのに「言わなくても分かってよ!」とかキーキー詰め寄って来て、男からすると「俺は超能力者じゃねえんだよ平素概ね仕事のことで頭が一杯なんだよ言葉できちんと説明してくれないと分かる訳ないだろ」と喧嘩になったりする。これが現実である。こうした現実を経ていくにつれ、女性側も下方修正・ネガティブサプライズを繰り返して行く事になる。

こうして、男女ともに「恋愛初期のアツアツバブル期間」は終了していく事になるのである。何度これを繰り返した事か。嗚呼。

その他に、試行回数の問題もある。

最初の3ステップアルゴのデートについては、同時に複数人数こなす事になるので試行回数は必然と多くなり、経験曲線もどんどん効いてくる。従ってどんどん慣れ・学習・改善が蓄積されてこなれて来る。

一方で一人の異性と真剣にお付き合いするのは当たり前だが一回に一人であり、しかも一人に半年一年と時間を使う事になる。2-3年以上の単位での付き合いとなると、当たり前だが誰だって人生において数える位の交際回数しかない訳である。しかも長期の付き合いになればなるほど個別具体的で相手によりケースバイケースなのであり、容易に一般化はしづらいし前の交際のノウハウを次回に転用すると言うようには行かない。

結果として長期の真剣な男女関係の試行回数は中々増えず、歳を重ねた所でそうそう洗練・学習は蓄積されては行かないし、何歳になっても手探りの暗中模索の面は否めない。構造的に、年齢・経験を重ねるほどに「お付き合い前・初期」と「お付き合い開始後」の学習レベルに差が生じ易くなると言う構造的な問題があるように思われた。年齢を重ねれば完璧に男女関係がこなせるようになるなどと言うのは幻想である。そりゃあ学生の頃と比べれば男女共大人になるにつれ一定の成熟はなされるものの、何歳になっても結局は試行錯誤、学習と成長の過程であるのが男女関係である。

つまり、3ステップアルゴにせよ、巷に出回っている恋愛・モテのマニュアルの類にせよ、恋愛初期を洗練したものに最適化するが故に、初期の期待値もオーバーシュートしがちで、バブルの山も大きくなり、翻ってバブル崩壊のショックも大きくなってしまう、と言う構造的な問題を否応無く抱えているように思われるのである。結果として短期的な関係に終わってしまいがちで、長期的な健全な男女関係の構築に至りづらい面はあると思われた。構造としては上場ゴールのIPO企業・株と問題の種類としては似ている。

もちろん、出会い初期を余りに所帯じみたものにしてしまうとそもそも結婚・再婚どころか男女関係のトリガーが発動せず、彼氏・彼女居ない歴x年の歴史だけが更新され刻まれて行く事になる訳で、さじ加減は非常に難しい。余りに謙虚で控えめ過ぎても、そもそもIPOどころか資金調達もできず成長のチャンスすら掴めない訳で、そうして藻屑と消えて行く幾多の中小企業と問題の性質はここでも似ている。男女市場砂漠の日照りにやられて、干物男、干物女の状態からいつまでも脱出出来ないというのは本当に生きていてつらい。

しかし何にせよ、3ステップアルゴを最適化し過ぎると、「序盤だけやたらおシャンティな雰囲気になり、付き合いが長くなるにつれて後は失望するだけ」と言った事態に陥り易いのは確かである。この点は注意が必要だと痛感した。


・根本的な人柄や相性は3ステップアルゴでは分からない。特に、意見の相違・けんかが起きた際にそれを乗り越えられるか否かが3ステップアルゴでは分からない。

これは上述の、「初期の期待値だけ高くなり、後ほど男女双方で下方修正を連発する事になる」の派生形であると言える。「男女関係開始アルゴ」を用いると、男性側は最初の3ステップを最適化された形でこなすようになり、そもそも交際初期では女性側に大きな不満が出づらい。会話内で相当の失点でもしない限りは「ソツのない」感じになる。

また女性側も多少不満があっても批判はせず「ありがとう」とまずは言う、適切な配慮をするという大人の社交をする事になるため男性側にも不満は出づらく、問題が発生しづらい。

しかし男女関係を開始して交際を続けて行けばいつかは、「意見が合わない」「自分は相手にこうして欲しい・こうあって欲しいと思っているけど相手はそれを満たしてくれてない」と言う事は必ず発生するのであり、不満と言うのは必ず出てくるものである。

ここで初めて互いに心の奥底で燻っていた本音・本質的な人柄がぶつかり合い表出するのであり、これを建設的な形で乗り越えられるか否かは決定的に重要である。つまりは「ケンカが互いに一線は越えてしまわずに、信頼関係がベースにある状況が保たれた形で適切になされ、適度に収拾されるか否か」が男女のパートナー関係が長期にうまく行くには重要ポイントであると、既に一回離婚している筆者としては痛感している訳である。節々で小さなけんかや意見の相違でぶつかり合いながらも、それをこなしていく過程で男女相互の理解も深まり、だんだんとあうんの呼吸も醸成されて来るものだと思う。

しかし「3ステップアルゴ」ではこうした長期的に重要な相性は確認できない。

要するに、「3ステップアルゴ」では、互いに表層的な経歴・性格・雰囲気・セクロスの相性等を、おシャンティなデートと言う雰囲気上のゲタを履いた状態でカジュアルに、かつ比較的短期間で効率的に確認できるという話である。

一方で、付き合いが長期化してオサレなデート・雰囲気と言うゲタ・恋愛初期ボーナスがなくなった状況における、長期的に関係を継続する上で必要な、より根本的・本質的な人柄・本音・相性を確認していく事がしづらいのである

結果として、交際期間3-12ヶ月程度のうちに意見不一致やケンカが勃発し、それを乗り越えられずに関係が終了すると言う事案が頻発する事になる。


・根本的な所での自信は付かない。

3ステップアルゴは、ここまで読めば理解出来ると思うが、言ってみればある種の演出・ロールプレイ・対人技術と言う側面はある。 

人によっては出会い初期には3ステップアルゴなり巷に出回っている恋愛術をフル活用して、完全にキャラ・性格を作って猫を被っている人もいる。また自身にしても、ディナーの最中の会話のやり取り等で嘘を付いている訳ではなかったし、それなりに自分を出し、ついった酒場のTLのようなグダグダさキモさが大いにあるよ、俺はくさやの干物だよと言う説明は当初からしていた積もりではあるものの、なにぶん行為トータルとして正確に自分のキャラクターが相手に伝わっていたのか、また自分のキャラクターを初期から正確に相手に伝える努力をしていたかと言うと大いに問題があったと反省している。俺はくさやの干物だよとオシャンティなイタリアンを食べワインを飲みながら説明しても、状況トータルとしての説得力に欠ける。上述の通りで「恋愛モードを高確率で発動させるためにちょっとおシャンティ過ぎ」な面は否めなかったなと反省している。

こういう恋愛を繰り返しているとどうなるのか。「演出・対人技術で薄く広く異性からはモテる」「しかし付き合いが長期になって来て相手や自分の素が出ると恋愛バブル崩壊・下方修正で失望する・される」を繰り返す事になる訳である。

結果として、3ステップアルゴリズムを会得した初期については「やべえ俺・私って結構モテる、俺・私まだ行ける、人生終わってない!」と自信を得られるものの、時を経てこれを繰り返すにつれて「どうしても別れてしまい上手く行かない」「素の自分には価値がないのではないか」と言う疑問が次第に去来するようになる面はあるなと痛感するようになった。表面的な自信は増大するものの、一方で自分自身の素に対する深い意味での自信・自己肯定感が、度重なる男女関係の失敗・終了により次第に揺るがされて来る面があるとでも言おうか。

つまり3ステップアルゴなどで非モテを解消する事による自信とは、言わば「表面的な自信」であり、本当に力強い奥底から湧き出る自信ではない事を自覚するようになったのである。

「本当に力強い奥底から湧き出る自信」とは、いけてない面も含めて素の自分で十分に価値があると言う事をまず自分自身が確認出来ている事である。それを土台として、「素の自分でちゃんと異性がパートナーとして自分を愛してくれている」と言うのが加わると人間は本当に強くなる。夫婦円満の会社経営者、磐石の妻・夫が付いている起業家は非常に強い、銀行や投資家側でも「夫婦円満の経営者の会社ならカネを入れても安心」と言った格言があるのは、そうした背景があるのかも知れないなと最近実感するようになった。

つまり、「絶対の自信」「深い信頼関係に基づいた、本当の意味での男女関係のシナジー効果」は、表面的なタクティクス・戦術でちょっとモテるようになりましたと言う段階の男女関係・恋愛からは生まれて来ないという事である。

そんな訳で、「真に豊かな、シナジー効果のある男女関係・男女のパートナーシップ」を得る上で、3ステップアルゴなり世間に出回っている恋愛・モテ・婚活マニュアルの類では不十分、またはどこかの段階でむしろ副作用が目立って来るのかなと言う印象を持つに至ったのであった。


○ではどうすれば良いのか?

最後に、「ではどうすれば良いのか?」である。どうすれば良いのだろう。

何の努力もなし、男女のコミュニケーションの仕方の基本も分からず、男の加齢臭、女のSATC臭全開の段階で「ありのままの私を受け入れて!」と言うのも違うだろう。そして自身の経験上からも、周囲の観察からも、こう言う段階から「素の自分、ありのままの自分を受け入れて!」「ありのまま万歳」みたいな方向性でもってアプローチしてもそりゃちょっと違うでしょと言うか、実際の所芳しい成果は出ていない。そう言う類の人は結婚できていないし、結婚できてはいても大概円満には行っていない。

思うに、こう言う低次元の「ありのまま万歳」の男女と言うのは、三輪明弘先生の言葉を借りれば、「ヤツデの葉っぱに水あめをつけたみたいにベターっと重い」事になりがちなのである。単に未成熟なだけと言うか、身勝手なだけと言う事にもなり易いと言うか。

服装身なりからして不潔で清潔感がなくても受け入れてくれ、デブで不健康な生活してて自分自身の健康管理も出来なくても受け入れてくれ、コミュ障で不愉快な自慢話と下ネタ位しか話題がなくても受け入れてくれ、性的魅力も全くないけど受け入れてくれ、自分の事を説明しなくても言わなくても全部分かってくれ、等等。男女とも自己中な身勝手・わがまま・未成熟・自己管理の出来てなさ等含めてそれが素の自分なんだから何でも相手が受け入れるべきだ、と言うのは非常に重たい。若いうちであれば改善意欲さえあれば多少の若気の至りは許されるとも思われるが、年齢を重ねて来れば来るほどそれでは重たい。

つまりはちゃんと相手に受容可能な形に、まずは自分自身で出来る範囲で外見・対人技術・内面とも整えておく、自ら立つと書いて自立しておくと言うのはそれはそれで大切な事であると思う。そう言う意味では、3ステップアルゴリズムの一連の外見・コミュニケーション技術の改善の過程、一定の自信の獲得と言うのも無駄ではなかったかなとは思う。

しかし3ステップアルゴ等の表面的なタクティクス・戦術で男女関係を開始させる事に最適化した形で物事を展開しても、真に実りのある男女関係・パートナーシップにも発展させづらい事もまた、上述の通りに痛感する事となった。

ではどうすれば良いのか?

現状の筆者から出せる答えはない。自身の感覚としては、こうして一周巡って、ようやく素の自分で自然体に行きつつも時には男女関係の塩コショウを適度にまぶして楽しむみたいな形でバランスが取れるのかな、一定程度恋愛も楽しみながらも有意義な信頼関係の構築にシフトしていけるのかな、と言う気もしている。

しかし筆者は齢既にアラフォーであり、人口統計の数字上では「結婚はもう殆ど確率としてはない」年齢に差し掛かっている。もうなるに任せる他ないかな、と言う、戦に破れて捕虜になり、打ち首を待つ侍のような気分である。

織田信長の愛した「敦盛」の、「 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」の一節を 諦観・観念と共にひたすら暗誦し、しかし心の中ではエヴァンゲリヲン・シンゴジラ庵野先生の大昔のNHKアニメ「不思議の海のナディア」のフェイトさんのように、「俺は死にたくねぇ、まだ死にたくねぇんだよ!」と叫び(注:分かる同年代のかたは懐かしい気分にしばし浸ってください、分からないかたは流して頂けると幸い)ながら介錯を待つ段階とでも言おうか。筆者のアラフォーの人生、夢幻の如くであった。合掌。

皆様におかれては、筆者の如くにアラフォーにもなって拗れ独身中年を歩む事にならずに、これを他山の石として、人生の早期よりパートナー探し(これはひいては相手を探す過程を通じた、自分探しという事にもなる)にはきちんとリソースを割いて試行錯誤し、幸福なパートナー関係を構築されるよう、心から祈るのみである。

「敗軍の中年おっさん、兵を語る」であった。
長らくのご静聴と言うか長文のご読解、ありがとうございました。

○村上春樹の長編小説「騎士団長殺し」を第2部まで読み終えた徒然なる感想文。

$
0
0
村上春樹の「騎士団長殺し」を1-2部通じて読み終えたので、今日はその感想を徒然に書いてみた。

例によって物凄く長い超長文であり、 要約すれば「村上春樹ファンやアラフォー中年等なら普通に楽しめると思う」「一方で、村上春樹作品に付きものの踏み込み不足感もやっぱりある」「第3部が出てくる可能性は応分にあるが、出て来ない可能性もある」と言ったたったそれだけの感想をスーパー長文で述べているだけである。以下はご興味のあるかたのみ適度にご笑読頂ければ幸いである。


○村上春樹ファンやアラフォー中年等なら普通に楽しめると思う。

普通に中々面白かった。ミステリー的な、或いはRPGのような展開は飽きさせないし自然で、介護施設(死の場所)から地下のメタファーの異界を進み苦難の末に家の裏側の穴(誕生の場所・子宮のメタファー)に落ちる流れ(これは赤ちゃんが誕生する過程のメタファーであり、ユングで言う所の死と再生のメタファーと思われる)等も非常に流麗な描写であり、村上春樹の作家としてのスキルの高さを感じさせた。日常描写も文章だけから五感が瑞々しく表現されており、やはりプロの作家と言うのは凄いものがあるなと感心せずにはおれないものがあった。

作中の免色さんは村上春樹が好みまた翻訳も手掛けたグレートギャッツビーの明らかなオマージュであるし、作品の設定については意図してなのか手抜きなのかは別として村上春樹の過去の作品への自己引用・繰り返しも見られるように思われる。語尾の「たぶん」なども含めた村上春樹節は全編に炸裂している。これをもって退屈だ、過去作品の焼き直しだと言った評もあるとは思うが、村上春樹が好きだと言う読者であれば楽しんで読める作品のひとつなのではなかろうかと思う。

或いはアラフォーの自身としては、アラフォーを迎えた主人公の成長物語として読む事も出来た。生活のためだけに凡庸な肖像画ばかり描いているうちに擦り切れてゆき、中年を迎えて知らぬ間に妻との距離も離れてしまった男が、遂にそれを維持し切れなくなり中年の危機入りする。それを非日常的な特殊な体験・冒険を通じてゆくうちに成長し、中年の危機を乗り越えんとすると言う物語である。

仕事面・画家としての中年の危機については、生活のためだけの凡庸な肖像画を描く事をいったんやめて、物語を通じて肖像画家としての経験を下敷きにして踏まえながらも若い頃志向していた抽象画的な面と融合して自分なりの画風を確立しつつある所にまで到達する事で、主人公が一定の成長をする物語である。物語のスタートでは顔なし男の肖像画を描きようがなかったのが、2部のクライマックスでは紙とペンさえあれば顔がなくても肖像画を書けそうな段階にまで到達しているように見られる点など象徴的である。それはつまり、主人公が顔の造形と言う表面を越えた所にある対象物の本質に接近できるように画家として成長しつつある事の象徴のようにも思われた。

結婚生活の危機については、妻と距離を置き、傷心旅行等に出たりもし、大変に村上春樹の作品的な形で妻以外の女性と幕間的な不倫関係を短期にこなして心の傷を癒しながらもそこの関係には依存し過ぎずに一時的なものとして終了させ、妻との関係性を見直して関係を復帰させ、最後には子供と言う宝を持ち帰る、と言った成長物語であると読めた。アラフォー中年には中々に臨場感のある内容であった。


○一方で、村上春樹作品に付きものの踏み込み不足感もやっぱりある。

一方で、不完全燃焼に終わった面も感じられた。村上春樹作品特有のある種の踏み込み不足とでも言おうか。

例えば、2部の終わりの時点での主人公の画家としての成長度合いは、中途半端なものであるようにも見受けられた。

真の成長物語であるなら、日常に復帰した後にまた生活のためだけに凡庸な肖像画を描いていてはダメである。せっかく確立しかけた自分なりの画風を実際に世に問い、それを社会に認めさせ、自分の個性・画風で飯を食える所まで持って行ってこその中年クライシスの真の卒業、幹のしっかりとした中年期以降の豊かな再成長軌道を確立する事になる。

しかし、第2部終盤のエンディングではそれは後回しにされており、主人公はまたもとの「飯を食うための凡庸な肖像画を量産する生活」に戻ってしまっている。大部2冊、1000ページ分の大冒険を、死と再生のメタファーなどまでクライマックスでは展開しておきながらこの按配である。

これでは何と言うか成長度合いとしては余りにささやか過ぎるようにも思われる。1000ページ分の大冒険をしておいて、読者にも長時間大部の読書をさせておいて、たったそれだけですか?と思わずツッコミを入れたくなるような中途半端感がある。

また、主人公の心に潜む狂暴性やうしろ暗い部分、主人公の心の闇の部分の象徴であると思われる「白いスバル・フォレスターの男」と正面から取り組み、それを絵画として白日の下に引きずり出し、作品として完成させる、と言う過程を2部の終わり時点で主人公は行っていない。

つまり自身の心の闇と向き合い克服し成長する、と言うプロセスについても中途半端なままで終わってしまっているように見受けられるのである。

白いスバル・フォレスターの男=自分自身の心の闇を、結局は未完成のまま屋根裏部屋の見えない所に押し込んで、火事で焼けてしまってああやれやれ、と言った具合で終わってしまっているようにも見える。2部の終わり時点で、家が火事で焼け落ちてしまった事に対して、表面的には偽善者的に残念そうな素振りをしつつも、白いスバル・フォレスターの男=自身の心の闇と格闘しないで済み、屋根裏部屋に臭いものにふたをふるように押し込んでいるうちに、いい具合に火事で焼けてうやむやになってくれて、主人公は内心安堵しているようにも見えるのである。

更に言えば秋川まりえの肖像も、未完成で踏み込まずに留める事でひと時のかりそめの平和・安寧を得ているようにも見受けられる。

秋川まりえの肖像に、自然と子供の頃に失われた妹のコミの事や、別れを突きつけてきた妻のユズの事も主人公が投影している旨は作中で何度か示唆されている。つまりこの絵を完成させた暁には、主人公が妹のコミへの憧憬を妻や13歳のまりえとごっちゃにして投影している事、そうした主人公の近親相姦・シスコン的或いはロリコン的な心の問題(おっぱいのサイズに対する好み他の描写の端々で妹のコミを嫁のユズに投影している事を示唆しており、しかも嫁を夢の中でレイプしている訳だから、よく考えると主人公は間接的に妹のコミを潜在的にレイプしていると言った論法が成立してしまい、主人公って結構な変態ではなかろうかと読みながら感じたものだ)、あるいはそこまで言わなくとも妹のコミの喪失から本質的には36歳になっても主人公が立ち直れていない事、女性に妹のコミを投影してしまっており対象女性そのものとの関係が築けずに居る事が明らかになったはずなのである。

主人公が「子供時代の妹の喪失と言うトラウマから立ち直れていない、子供時代の妹を嫁のユズに投影している面があり、ユズ自身ときちんと向き合い関係性を構築できていない」 と言う問題を抱えている事が、まりえの肖像を完成させる事で明らかになったはずであったのだ。

ユズが結婚生活にNoを突きつけた背景にもなっていたはずの主人公のこうした心の問題を、まりえの肖像を完成させる過程で主人公自身が認識し、癒して行き、妻のユズ自身ときちんと向き合う、と言った過程があってこその真の成長、結婚生活の危機の真の乗りこえが物語の中でなされたはずであったのに、白いスバルフォレスターの男同様に、最後までは踏み込まずに未完成なままで終わらせてしまっておしまいと言う中途半端な形で終えてしまっている。

結婚生活の問題も、ユズがイケメン好きでイケメンを前にすると理性が狂ってしまう、位のちょっと火遊び位のノリで軽く処理され棚上げされたまま、主人公の心の問題は結局最後まで正面から取り組まれる事はなく、曖昧に嫁さんとはヨリを戻し、子供も出来たし子育てもあるし、と中途半端な形で終わりになっているようにも見える。これも、1000ページも読者に文章読ませておいて進捗・成長はたったこれだけですか?とツッコミを入れたくなるような不完全燃焼感をこの作品に与えているように思われるのである。

つまり、2部の終わり方では、仕事にせよ男女関係面にせよ全般的に、主人公の成長物語としては中途半端なのである。主人公は1000ページ分も散々冒険し、また読者に1000ページ分も読書に時間と労力を割かせた挙句、主人公の心の闇・子供の頃から抱えた本質的な内面の問題も解決せず棚上げで、キャリア上の行き詰まりも本質的には解決しきらず進化の「きざし・萌芽」程度で、中年クライシスの解決も根本的には図らず、何となく嫁とヨリを戻して子宝に恵まれ子育てに励む事でかりそめの平和・日常を取り戻して良かったね、と言う、言ってみれば矮小的なかりそめの平和に回帰する程度の所に留まってしまっているのである。この、「えー、1000ページも読ませてこれで終わりですか?」と言う感覚というのは、恐らく本作品への主要な批判ポイントの一つとして読者から複数類似の感想が出て来ておかしくないように思われた。

このままでは、子供が大きくなり子育ても一服した辺りでまたぞろ夫婦関係にせよ仕事にせよ問題が噴出して、アラ45かアラフィフ辺りで中年・壮年の危機が再度形を変えてやって来る事は容易に想像されてしまう。大著2部の長編、1000ページ分も主人公は冒険をし、また読者にも冒険に付き合わせ、2部のクライマックスでは死と再生のメタファーを経験したが、2部の終わり時点の主人公はまだ成熟した大人とは言えず、「再生・再誕生したばかりの大きな赤ちゃん、再成長への萌芽」位のものでしかない。

主人公が本当の意味で自分自身と向き合い成長・成熟しきるには第3部のさらなる試練、あと500ページ位のもうひと冒険を必要としているように思われる。


○第3部が出てくる可能性は応分にあるが、出て来ない可能性もある。

上記のような中途半端感、不完全燃焼感を村上春樹が意図して第3部への伏線として準備しているのであれば、そして第3部で主人公の真の成長・成熟の骨太の物語を描ききれるのであれば、それは巧みな伏線・背景作りであると言えるであろう。また、2部終了時点では傑作とは言えなくとも、3部までの完成を以って村上春樹のアラ70歳のキャリア集大成的な作品に昇華される可能性は(まだ第3部が出るとも出ないとも判明していない)今のところは秘めているように思われる。

しかし第3部はリリースされない可能性もあるし、3部目がリリースされて更に500ページ位の大冒険をもう一回やっても、結局の所主人公が自らの心の闇とがっぷり四つに取り組み、試練の末に真の成長・成熟を勝ち得ると言った大団円は迎えないかも知れない。また、いわゆる村上春樹ファン、ハルキスト達がそれを求めているのかと言うと微妙かも知れないなとも思う。

村上春樹の持ち味は、あくまで「フワッとした曖昧さ」「現実とがっぷり四つに取り組む感覚の希薄さ」にもあるように思われるのである。つまりは現代的・現実的な時事問題、各自の人生の問題、金銭・経済問題、心の闇、と言った難しくも現実的で切実な問題とがっぷり四つに取り組む事は避けながら、フワフワっと古典的なジャズやクラシックや70-80年代のレコードを聴き、フワフワっと何故かカネには困らず、フワフワっと美人とセックスして、フワフワっと閉じた世界で知性教養があるような気分に浸れる、みたいな所に村上春樹作品の魅力はあるのかも知れないな、等ともふと思うのである。自分にしても、特に学生などの頃は、村上春樹作品のそうした側面をカッコいい、面白いと思っていた節があるし、今でもその残滓のようなものは自分の心の中に幾らかはあるようにも思う。そうであるから、久々に長編が出れば興味深く読みもする。

或いはある種の現実逃避的な懐古主義とでも言う彼の作風が、村上春樹ファンにとっては魅力なのかも知れない。

2017年の現代にあって、SNSやインターネット等の現代的なコミュニケーションやそこから生じる現代的な男女の機微などは、村上春樹作品では一切描写される事がない。

現実の現代の男女は、既読の付くタイミングだとか既読スルー、レスを返すタイミングと分量での駆け引き、と言ったSNSのこまごまとした事で一喜一憂しているし、それが男女関係・人間関係の機微において重要な要素になって来てもいる。

それなのに一方で、村上春樹の小説の世界ではいまだに、20世紀の小説の定番表現である固定電話中心の懐古趣味的なコミュニケーションがポイントとなって物語は展開される。

今の若い人に、固定電話の鳴り響くベルに緊迫した雰囲気を感じただの云々と言った描写が果たして理解可能なのだろうか。ちょっと微妙なのではないかと思う。既にいいおっさんのアラフォーの自分にしても、そもそも大人になって以降一度も固定電話など自宅に引いていないし、特にメッセンジャーやSNSが普及して以降はスマホで音声通話など殆どしない。若い世代になればなるほどそうした傾向が一般的なのではないだろうか。

そうした事情もあるので、村上春樹の作品を読んでいると、1980年代、ノルウェイの森が流行った頃位にタイムスリップしたような気分、地方の寂れた温泉街のゲームセンターで、子供の頃に流行った古いアーケードゲーム(インベーダーゲームとか、VRで現実と見まがう程リアルな最近のではなく今よりもずっとプリミティブな昔の車のレースゲームとか)を久しぶりにやっているような気分になる。

騎士団長殺しの販売動向が過去作品より芳しくないと言った話も聞かれるが、背景にはこうした事情、20世紀的ノルタルジーにもう付いていけない、又はもうぼちぼち卒業かな、或いはそもそも平成生まれで昭和以前のノスタルジー自体をそもそも理解が出来ない、と言った世代が徐々に増えていると言った事情があるのではないかとも思われる(年齢別の売上内訳など見てみたいものである)。

自分個人の感想を言えば、自分の場合はこう言うノスタルジーに浸るのは、それこそ時々地方の温泉に行く頻度位なら良いとは思うし、また上述の通りで学生時代など若い頃は心地よく面白くかつカッコいいと思っていた面はあったものの、いつまでもずっとそのノスタルジーに今現在どっぷり浸りきれるかと言うと、必ずしもそうでもない、と言う感じだろうか。

それこそ作中で記載されたとおり、物語の輪は一回開いたら大団円でしっかりと成長物語として描ききって閉じてくれるべきであると言う発想を現在の自分は持つ傾向もあり、ディズニーやピクサー等のアニメ映画、ハリウッド映画の感動モノ的な作品とも通じるような比較的分かり易い「ど真ん中の骨太の成長物語」を好んでいる。若い頃よりも良くも悪くも発想が現実的にもなったとも思う。ご飯は食べていく必要があるし、何となくノスタルジーに浸り続けている訳にも行かないしなと。

しかし村上春樹ファン、ハルキストの皆が自分のようであるとは限らない。むしろ、数十年変わらない、ノルウェイの森の頃辺りからずっと変わらない村上春樹ワールドにどっぷり浸かって、出来る限り長時間のあいだ非日常体験をしていたい、それが村上春樹の利用法であり消費の仕方だ、と言った読者層も応分にいるのかも知れない。

仮にそれが事実であり、また村上春樹自身がこうした読者層へのイリュージョンをぶち壊さずに夢を見させておいてあげ続けたい、と言う事であれば、白いスバルフォレスターの男や秋川まりえの肖像と言った作品と同様に、未完成感のあるまま2部で完結するのもまた無難なのかも知れないし、3部を出すにしてもやっぱり半端な形で終わりにして、 現代的・現実的な時事問題、各自の人生の問題、金銭・経済問題、心の闇、と言った面倒かつ本質的な問題にはあまり踏み込み過ぎないようにするのかも知れない。


随分と長くなったが、騎士団長殺しの1-2部を読んだ後の感想を最後に再び要約すれば、「村上春樹ファンやアラフォー中年等なら普通に楽しめると思う」「一方で、村上春樹作品に付きものの踏み込み不足感もやっぱりある」「第3部が出てくる可能性は応分にあるが、出て来ない可能性もある」と言った所であろうか。そうした要素に一定の時間やお金を投入して差し支えないと言うのであればお勧めである。 
Viewing all 30 articles
Browse latest View live